龍とはいったい何なのか
人が人として在るように
花が花として在るように
龍という存在も龍として在る。
ただ、その形を人の目に見えないものとしてとっているだけ。
花に助けられるように
動物に助けられるように
人に助けられるように
龍に助けられることもあるかもしれない。
本来、存在するすべては、他のすべてを助けたい。
それは、認められたいや愛されたい、などの下心とかではない。
花に下心はない。
ただ、自らが美しく咲くことで人を癒し助けることがある。
特別視する必要もなく、ただ、自分が自分で在ることを楽しめば、あらゆる存在の助けになることに繋がってゆく。
何かをする時に抵抗感が湧く時は、そこに下心がないか、確認してみると良い。
下心を抱きながらそれをやろうとしている時、人は恐れの気持ちを持つものである。
認められたい。
これで褒められたい。
これを使って稼ぎたい。
など。本当に楽しくて下心を持たない状態で何かをやる時は、ウキウキした気持ちしか浮かばない。恐れの気持ちは、付随する下心が見せてくるプレッシャーが感じさせているものなのだ。
怖いはGO,というものは、その下心をかなぐり捨てるということ。
下心を捨てた先に待っているのが、本当の自分の気持ちである。