『神典』の秘密
古事記・日本書紀などの『神典』の原点は、何故人がこの世界に生まれてくるのかが書いてある。
その事についてはすでに別記事で書いているが、今回はオオクニヌシが何故国譲りをさせられているのかについて。
天孫降臨と国譲りは何故描かれているのか。
オオクニヌシは、国譲りの条件に「自分を神として祀る事」を提示した。
(神話の中で、天から神の子孫が降りてきて、荒れ果てていたこの世界を苦難を乗り越えようやく統治したオオクニヌシに対して、神の子孫に統治権を譲れと脅迫し力づくで統治権を奪っている話が描かれている。客観的に説明するとこうなる・笑)
人から神へ、地にいる人は本来天から来た人である。天から来た人にそれを思い出させられる。
国譲りは、天から来た人に地の人が地を譲り、自分は天に戻る話を表している。
つまり、人が天から地に来て学び、それが終わると次の世代にバトンを渡して天に戻るという姿を表している。
伊勢の神はバトンを受け取った「今ここ」の神。出雲の神は、地での修行を終えた神である。
この世の苦難や学び、徳を積むための祈りは出雲系の国津神がよい。
オオクニヌシは家族との関係で苦難を強いられ、天から来たスサノオに幾つもの試練を与えられ(男性)、愛と人(女性)の助けを得てその試練を乗り越えた。
どんな試練の最中でも優しい心を忘れず素直に生きること。人と助け合うこと。愛の大切さが生きる上での救いになる重要なことだと書いてある。(因幡の白兎)
神武天皇即位以降の話は、史実や後から人の手が加えられたものなので、切り離して読むのが良い(意味が異なる)。
試練(人生)に挑むためにお手本となる態度をオオクニヌシの話で描いている。
辛い思いをしているウサギを助けた優しさや素直さ、正直なこと、人生で起きる不遇は修行のために起きていること、ウサギをいじめた八十神(やそがみ・オオクニヌシの兄たち)はヒメに選ばれなかった、人としてダメな行いの見本として描かれている。
誰かを貶めたり妬んだりつまらない理由で傷つけたりすることは、天の行いから大きく外れるということ。
オオクニヌシは、具体的な人生設計の上で起きることを、わかりやすく手本として描かれた物語になる。
以上が自動筆記の内容になります。
以下、神話を知らないと上記の話はなんのこっちゃになるので、少し補足を加えます。これから書く補足は私の頭で考えて書いていますので、ご了承ください。
●オオクニヌシの試練について
1、因幡の素兎(イナバノシロウサギ)
有名な話なのでご存知の方も多いと思います。お話自体はネットですぐ読めると思うので、ここでは概略だけ。
大勢の兄弟神さまたちが、とっても美人と評判のヤカミヒメに求婚するために全員で会いに行きますが、末っ子のオオクニヌシは家来のように扱っています。
途中傷ついたウサギを見つけて、傷が悪化するような方法を治療法だと偽って教え、その通りにして酷い目にあうウサギを面白がります。
後からやってきたオオクニヌシがウサギの傷が本当に治せる方法を教えて、ウサギに感謝されるというくだりからはじまります。
結局ヤカミヒメも、そんな人相の悪い兄神たちより、一目見て人柄が良いオオクニヌシを好きになり、やっかんだ兄神たちは何度も(実の弟の)オオクニヌシを殺そうとしますが、その度に母神が助けに来たりしてなんとかなります。
(ここまで書きましたが、ウィキペディアで「大国主」と検索すると細かい解説が書かれているので、それを見ていただくのがいいと思います・笑)
つまり、そんな感じで人生に起こる様々な苦難を、異性の助けを得て乗り越えている姿が描かれています。主人公のオオクニヌシが男性なので、女性の助けが入っていますが性別が逆だとどうなんでしょうね。
おわり