握りしめているもの
2021/07/08 (誤って削除したため、再掲です)
もう、10年以上趣味で通っていた、ボイストレーニングスクールを休会することにした。
休会の理由はたくさんある。
今のご時世、スクールで開催されていたライブや、グループレッスンなどの生徒同士の交流の機会もなくなったこととか、私の生活の場が変化したことにより、以前のように頻繁にカラオケに行かなくなったこととか、そもそも今はイラストを描くことに夢中だからとか。
それらの理由も、もちろん大きな理由だけど、それを差し引いてもレッスン自体はとても楽しいもので。
それまで自分には不可能だと、他人事のように眺めていた弾き語りが出来るようになってきた事とか、なにより最大に嬉しかったのは、それまで不可能だと思っていた"地声で歌う"ことができるようになってきたこと。
憧れるだけで諦めてきていたことが現実になって、それ自体は本当に嬉しかった。
まだまだ安定していないそれらを身につけるのに、レッスンを続けたい理由だって充分にある。
だけど、ふと気がついた。
それまでは、毎日少しでもキーボードを触って練習したり、カラオケに行って教わったことを試したりするのが楽しくて仕方がなかったのに、最近はそこに気持ちが向いていない。
もう、いいかな。
という満足した思いが心の中に芽生えていることに気づいた。
どうしてかな、となんとなく思っていたら、ふと
"この気持ちは、あれに対する気持ちと似ている"
ことに気がついた。
あれを説明する前に、先に書いた私の地声の事を話したい。
私は物心ついたときから、裏声だけ使って生きていた。
話すのも歌うのも全て裏声。
だから、ふわふわした上ずった声になる。
その事に特に疑問も抱いていなかった。
けれど、自分の声域が他の人と少し違うことに気がついて、高音を活かしたくてボイストレーニングに通ってみたら、自分が使っている声が、そもそも裏声だったと言うことを、そこで初めて知った。
しかし、どう頑張っても地声は出せなかったので、裏声で綺麗に歌うためにレッスンを続けた。
裏声で低音域のピッチを当てるのが大変で、不安定さを安定させることがレッスンの目標になっていった。
多くの女性が出しにくい音域を、軽々と出せることは裏声が強化された者の強みではあるけれど、その代わり低い音域は出せない。
教えてくれる先生には恵まれて、言われたようにするとその時は上手く出来る。
だけど、そもそも私自身の根本的な何かがおかしい。
ピッチの不安定さと下の音域を出せない劣等感は拭えないまま、月日は過ぎていく。
私が自分の心に抱える、理由の分からない苦しさを解くために動き出した頃、ふとした弾みでたまに地声が出るようになった。
始めは話しているときに、地声が出せるようになった。
最近ようやく、歌うときにも地声が使えるタイミングが増えた。
私には、生きてくる中で握りしめてしまっていたものがある。
それは親からの良かれという思いで躾けられたことであったり、
学校の教師のマニュアル的指導による強要であったり、
社会全般の風潮による刷り込みであったり。
本当は、じっくりと腰を据えて自分が興味あるものに取り組みたい性質であるのにも関わらず、教師や世間は
早くしろ
サッサとしろ
一人で何でも出来るようになれ
完璧にしろ
と、本来は意味不明の無駄な強要を繰り返してくる。
今はその事に腹もたてられるが、純真な幼少期には、両親に鼻が高い思いをさせたくて、無理難題なその圧力に必死に応えようと頑張った。
そう。
ただただ、大好きな両親に喜んでもらいたい一心で。
音楽が好きな父は、まだ私が小学校に行くようになる前から、毎月世界中の童謡が聴けるレコードを買っては聴かせてくれた。
父のギターの伴奏で、童謡をたくさん歌った。
とても褒めて貰えて、嬉しくて音楽が大好きだった。
その頃は、地声で歌っていた。
幼い頃、私はよく
「賢そうなお坊ちゃんですね」
と知らない人から言われていたらしい。
母はそのことを、私に話してくれた。
ピンクの服を着せていても、スカートを履かせていても、男の子に間違われたらしい。
そしてある時、喧嘩の売り言葉に買い言葉で、私の容姿が従兄にけなされたことがあった。
それを横で聞いていた母が大号泣して、従兄が伯母に叱られて母に謝らせられていた。
私はそのとき猛烈に、
「私の容姿が母を悲しませるんだ。可愛くしていないと母を悲しませてしまう!」
という思いを握りしめた。
もしかしたら、その頃から、裏声で喋るようになったのかもしれない。
その時私自身は自分の容姿を特になんとも思っていなかったし、従兄には普段可愛がられていた気もしていたので、喧嘩の売り言葉に買い言葉だとしか思っていなかったのだけれど、自分が言われたことよりも、母の号泣が何よりショックだった。
そして、母が病気でこの世を去ったあたりから、私の装いがエスカレートした。
元々個性的な服装ではあったけれど、それが少女趣味の方へと舵を切った。
フランス製のフェミニンな服ばかり着るようになり、ボイストレーニングに通いだしたのも、母が亡くなってからだった。
私にとって、裏声の高音は母を悲しませないために、懸命に身に着けたものだったのだと紐解けた途端、ボイストレーニングを続ける意味が、私の中から一度消えた。
つまりは、そういう事だった。
これだけは手放さない
と、大切にしていたものほど、気がついた途端に手離れていく。
その正体は、
好き、ではなくて、拘りだったんだ。
もしもボイストレーニングを再開することがあるなら、そのときは恐らく、とても純度の高い
好き
の気持ちで取り組めるのだと思う。
そのためにいったん、拘っていたものを手放す事が、しっかりと終わらせる事が、とっても大切なのだろう。
長い間、私を支え続けてくれていた、裏声とボイストレーニングに、深い感謝を込めて。