あなた宛の伝言、お預かりしています <初来店>
木製の扉を開ける。カウンターだけのこぢんまりとした喫茶店。
他に客はいない。
知る人ぞ知る、秘密の店。
温厚な空気感を醸し出すマスターが、カウンター越しにこう尋ねてくる。
「何をお飲みになりますか?」
目の前に、メニューが立てかけてある。
・天然水
・ミントティ
・レモングラスティ
・カモミールティ
冷/温 各 1500円
「これだけですか?」
私はそうマスターに尋ねた。
「ええ、その中からお選びください。」
私は値段を見て、心の中で少し高いなと思う。
この店には、友人の紹介を受けて訪れた。
毎日ままならない暮らしに疲弊した私を見兼ねて、
「一杯飲んで癒されてきてはどう?」
と勧められたのだ。
「では、温かいミントティをお願いします。」
友人に勧められたのでなければ、値段の高さとメニューの少なさに尻込みし、すぐに席を立っていただろう。
でも、私は友人の勧めを信じてみようと思ったのだった。
「不思議に思ったので、聞いてみても良いですか?」
私の注文に柔らかな微笑みで頷いたマスターの様子を見て、意を決して疑問を口にした。
「このお店では、珈琲は出されないんですか?」
私の質問に、マスターは柔らかな笑みのまま口を開く。
「何故、それを不思議に思われたのですか?」
まさか質問に質問返しをされるとは思っておらず、私は一瞬無言になった。
「喫茶店と言えば、珈琲を飲ませる所だと思っていたので・・・。」
何とかそう、率直に思いついたことを答える。マスターは笑顔を崩さない。そして、再び私にこう、尋ねてきた。
「珈琲は、どうやって作られているか、ご存知ですか?」
「え?」
また、質問をされた。そんなものは知らない。ブラジルとかスマトラとかで現地の人が育てているのを輸入しているのではないのか。
私が何も言えずにまごついていると、マスターは丁寧な手つきでミントティーをカップに注いでくれた。
「お待たせいたしました。さあどうぞ、お召し上がりください。」
カップの中で黄金色に揺らめく液体は、湯気とともにほんのり甘く爽やかな芳香を漂わせている。香りを嗅ぐだけで、気管を抜けるスッキリとした香りに、瞬時に気分がスッとする。
「いただきます。」
その香りに誘われ、すぐにカップを手に持ち飲み頃の温度の液体を口に含む。
「・・・!!!」
まろやかで柔らかい口当たりの液体が、口の中を優しく潤していく。まるで食レポみたいな言葉が脳内に浮かんでは消える。
その液体は、身体中に染み渡っていくようだった。
身体に染み込む。
そんな感想が、一番しっくりときた。
私はカップを手の中に包んだまま、柔らかいミントの潤いが細胞に染み渡っていく不思議な余韻を楽しんでいた。
「如何ですか?」
暫くして。本当に暫くしてから、マスターが静かにそう私に尋ねた。
「え、ええ。・・・とても、美味しいです。」
私はハッとして、しばし止まっていた私の中の時間を進めた。
「本日のミントは、長野県の高原で自然農法栽培されたミントです。昔から自然の力だけで育てられてきたものなのですよ。」
マスターはカウンターの向こうから、お茶にする前の乾燥した葉を見せてくれた。
「良い香りですね・・・。」
私の口からは、勝手に言葉が溢れでていた。まるで力強く香る爽やかなミントの香りに引き出されるように。
「自然農法って、なんですか?」
ふと、興味が出た。こんなに身体に染み込んでいくようなハーブティは、初めてだった。私がそう尋ねると、マスターは静かに頷いた。
「その植物が好みそうな、人が手を加えない自然のままの環境で、植物が育つのを見守って収穫する農法のことですよ。」
私は、農家はとても大変な労力とお金をかけて、植物を栽培していると思っていた。土を耕して肥料を撒き、土をならして種を蒔き、追肥をしたり農薬を撒いて虫がつかないように管理して、雑草を除草してその植物だけに栄養がいくようにして、ようやく収穫出来るものだと思っていたのだ。
「放置して勝手に繁るのをまって収穫するなんて、何だかとっても楽チンな農法なんですね。」
嫌味で言ったつもりもないし、バカにしたわけでもなかった。ただ、単純にそう感じたから口にした。
そして、口にした後で、嫌味だと受け取られるのではないかと不安になった。そんな楽チンな飲み物にこんな値段を取るのかと、文句を言っているように聞こえるのではないかと恐怖した。
しかし、マスターは特に気を悪くする様子も、気を悪くしたのを隠すような雰囲気も見られなかった。
「その代わり、そうして育った植物は、農薬や肥料を使って育てた植物のように、大きくたくさん収穫出来るわけではないんですよ。その土地に適切な分だけ芽吹いて育ち、その大地の力をたくさん蓄えて育っているんです。」
そう語るマスターの表情は、まるで我が子を愛おしむ親のように見えた。
「自然農法の植物は、周りの木や草や虫たちと共存し、元気一杯に育っている。その力が今、召し上がったあなたにも伝わったのではないでしょうか。」
マスターの言葉は、まるで遠くの方で私の頭の中を、上滑りしてゆく。
今はまだ、私には本当の意味が理解出来ないのかもしれない・・・。
そう感じながら、私はミントティのお代わりをカップに淹れてもらった。
続く