人はなにゆえ食べるのか
最近の私は一日一食
下手をすると、午後3時頃に食事をしておしまい。
本日も、午後3時に食べた。
決めてるわけではなく、なんとなく食べたくなるのがいつもこの時間。
栗の炊き込みご飯。人参と大根を細かく切って胡麻と栗と一緒に混ぜ込んで炊く。
今日は銀杏も混ぜた。
ちなみに、栗と銀杏はたくさん買って下処理したものを冷凍しておいて、使うぶんだけ都度取り出してる。
薬膳スープはお鍋いっぱいに作って、何日もかけて少しづつ食べる。
乾燥椎茸や手羽元から出る出汁が、日を追うごとに深みを増してくる。
それを感じるのがまた楽しい。
その時に食べたい野菜を、スープに混ぜ込んでじっくり煮込む。
手前の漬物は2種類。
塩麹で浅漬けた人参と、蜂蜜で漬けた大根。
この、蜂蜜漬けの千切り大根から出た汁は喉に良くて、咳止めにもなる。
蜂蜜は養蜂家が作ったものを現地購入しているホンモノ。
塩麹も、海塩と麹で手作りした。
お茶は嬉野茶の茶葉で淹れた。
少しだけ冷ましたお湯で淹れると、苦味と甘さの絶妙な風味が香り立つ。
私はこの、嬉野茶の風味が大好き。
漬物を乗せた小皿は、伊万里焼の窯元で私好みのお皿を買い付けた。
ご飯茶碗と湯呑は、家にあった有田焼の同じ窯。
実家が佐賀県のため、子どもの頃から親しんだ青磁の焼き物は馴染みがあるためホッとする。
そして。
それらとはまた違うカテゴリにあるノリタケのスープ皿。
私の食卓では。
というか、私の中には常に、こんなアンバランスな美的感覚が共存している。
私が美しいと感じるものに、ジャンルは固定されない。
何故ものを食べるのかな。
ふと、そう思った。
生きるため?
ううん、違うなと思う。
だって一日一食でも平気だけど、一日三食食べることもできる。
少しでも満足するけど、たらふく食べることもできる。
私にとって、食べることはどちらかというと楽しみだ。
写真の食事は私の一食だけど、多分これを見た人で、量の少なさにビビる人も多いのではなかろうか。
お腹が空いて鳴ってるときでも、生き長らえるために食べる、という感覚はどうも自分にはないのではないかな、と思った。
実は2年前。
何も食べずに何日も臥せっていたことがあった。
特に体調が悪かったわけではない。
何もする気になれなくて、
何も食べる気になれなかっただけ。
ソファに横たわって、ひたすらボンヤリしていた。
食べるから元気になれる、と世間では言われているけれど、そのとき私が感じたことは、
気力に満ちあふれているから食べる気になる。
ということだった。
身体のために食べるというよりは、気持ちが食べたがっているというか。
食べるは楽しみなのだ。
この人生を楽しみたいから、食べるのだ。
だから、楽しみたいときに楽しみたい分だけ、美味しいと感じるものを食べる。
食べるとは、生きることも大きく含めて
そんな極めてシンプルな喜びなのではないかなと。
そんなふうに思いながら、美味しい食事に改めて感謝の気持ちで手を合わせています。