ショートショート:狸寝入り
山本さんの狸寝入りは美しい。
僕は右隣の席で一番窓際に座る彼女の、その神秘的ともいえる姿を見させてもらっている。
教科書を読んでいる様に下を見ながら、何回かに一回コクっと頭を上下させる。それも含めて全て山本さんの完全なる演出である。
なぜ、狸寝入りと分かるか。
それは、足が常にダンスのボックスステップを踏んでいるからだ。
山本さんがダンスを習っているのかどうかは知らない。だが、毎回狸寝入りの姿勢に入るとボックスステップを踏んでいる。足と胴体がまるで別人のようなその演技力に、僕は脱帽している。
ある日、数学の岡田先生が山本さんが寝ていると勘違いして注意しようとして、山本さんの席に近づいた。山本さんは近づいてくる先生に気づき、すぐに顔を先生の方へ向けた。先生は「今、居眠りをしていただろう」と迫った。山本さんは「はい、すみませんでした。」と堂々と謝った。
なぜそんな嘘をつくのか分からなかった。確実に寝てなんかいない。それに、先生に注意されている時も、ボックスステップを踏み続けていた。謎は深まるばかりだった。
授業が終わり、山本さんは友達から「岡田先生に寝てるのバレちゃったね」と言われていた。山本さんは「うん。でも、もう一個の方には気付いてないみたい」と返していた。友達は「もう一個?」と返したが、山本さんは「そう、もう一個」と深くうなづいた。
山本さんのボックスステップには何か訳があるかもしれない。もう一個の方には気付いてないということは意図的にやっているのであって、癖なんかではない。僕は山本さんの事をとことん研究してみたくなった。
次の日も山本さんは狸寝入りをしていた。ボックスステップも調子が良さそうだった。しかし、山本さんに窮地が訪れた。またしても数学の岡田先生が山本さんに気づいた。
先生は前回同様、山本さんに近づいて行った。途中で止まり、不審そうに山本さんの足を見始めた。ボックスステップがバレるかもしれない。僕は急いで自分の消しゴムを山本さんの机の前に方に投げた。「すみません、消しゴム落としましたー!」と山本さんの机の前に滑り込み、上手くボックスステップを隠すことに成功した。岡田先生は驚いて「なんだ。落ち着け。」と僕を注意した。山本さんは顔を上げてため息をついていた。
授業が終わり、山本さんから「ありがとう」と言われた。僕は急なその言葉に動揺してしまい「え、何が」と返してしまった。山本さんは「私の秘密を知ってるんでしょ」と僕の目を真っ直ぐ見て言った。
僕は本当は山本さんにバレることなく密かに研究をしたかった。だが、バレてしまったのでしょうがない。山本さんの真っ直ぐな眼差しに嘘はつけず、正直に
「うん、ボックスステップのことでしょ。」
「いつから?」
「山本さんの隣の席になってから。」
「そう。好きな芸人さんがいるの。」
「好きな芸人?」
「そ、好きな芸人。その芸人がね、言ってたの。大衆に刺さるお笑いもいいけど、俺たちは俺たちの笑いを分かっている、俺たちの面白さに気づいてる人に届けばいいって。かっこいいでしょ。」
「う、うん。かっこいい。」
「でね、私もそうなりたいなって思って。分かってる人、気づいてくれている人に届けたいって思ったの。それで、何年後かに同窓会とかで、ニッチな話題になってほしいなって。」
「は、はあ。」
「気づいてくれてありがと。あなたみたいな人がいるから、続けられる。」
「い、いえ、こちらこそ!とても楽しませてもらってます!」
「そう、よかった。」
山本さんはそう言って、元気そうに教室をあとにした。
僕はすっかり山本さんのファンになっていた。
次の日、山本さんはボックスステップをやっていなかった。どうしたのだろうと思い、山本さんに聞いてみた。
「だって、もう気づかれたでしょ。」
「いや、そうだけど。」
「あんまりこっちから言いたくないけど、また別の事をやってるの。探してみて。」
「あ、そうだったの!」
数学の時間、僕は山本さんが狸寝入りの体勢になるのを確認して、山本さんを凝視した。
あ!
山本さんはコクっと頭を上下させる度に、両手を使い一人でじゃんけんをしていた。
なんて美しい狸寝入りなのだろう。