コーチに反抗してた
「モノクロだった僕の人生に彩りが加わったのは、大学3年の夏だった」
なんか、ありそうな書き出しを書いてみました。
特に意味はないです。
自己分析というものをやっているだろうか。就活生なら、誰もが通る道である。
小、中、高、大と印象に残っている出来事を挙げてみた。
だが、小学校がよく思い出せない。だから、小学校の時の友達に聞いてみることにした。
友達が印象に残っている出来事の現場には僕もいるので、そこからヒントを得ようと思ったわけだ。
僕はサッカーの少年団に入っていたので、その時のチームメイトに聞いてみた。
3人に聞いた。面白かったのは、2人が同じことを言ったことだった。
それは、夏合宿の時の階段ダッシュだった。
僕たちのチームは、夏になると、市内の合宿所みたいなとこに泊まる。そして、夕飯の前に近くの「大善寺」というお寺で階段ダッシュをする。「大善寺」が気になる人は調べてみて下さい。
僕は階段ダッシュのことは本当に覚えていなかったので、ありがたかった。きつい練習だったからこそ、チームみんなで乗り切ったことを思い出した。
それに追加で、この階段ダッシュを言った奴は、当時セミが大嫌いで、階段ダッシュが終わった後に友達に死んだセミをからかわれて投げられて泣いていた事も思い出した。でも、友達にはそのことは言わなかった。思い出したくない記憶もある。
そして、次に県大会やスプリングカップという、6年の最後の方の大会の事も印象的だったと友達は言っていた。これも、僕は全く覚えていなかったのでありがたかった。
そして、1人の友達だけ、コーチに反抗していた事が印象的だったと言っていた。
これは鮮明に覚えていた。
当時の僕は、4年生で初めて5年生の試合に呼べれたり、5年生の時は6年生の人数が少なかった事もあるが、1年間ほとんど6年生の試合の方に呼ばれていた。(呼ばれていただけで、試合に出ていた訳ではない)でも、呼ばれるくらいの実力はあったよってこと。今くらい自慢させて欲しい。こっから情けない話になるから。
反抗していたのは主に6年生になってから。
当時はコーチが本当に嫌いだった。4年生からずっと同じコーチで、なんか、知らないけど強い代をたまたま見ていたらしく、僕たちの少年団の中では良いコーチとされていた。それで、次は僕たちの代が目を付けられた。僕たちの代は人数も多くて、意外と強かった。これは本当に。そして、4年生になり、その嫌いなコーチが我が物顔でやってきた。そのコーチは練習ですごく走らせる事で有名なコーチでもあった。
だが、僕たちの前に強い代を見ていたコーチだから、僕はさらに成長できるとワクワクしていた。
それに、僕の代のキャプテンの兄が、いわゆる強い代で、そのコーチが教えていたらしく、キャプテンの親とか、その親の子分的な親とかが目を輝かせていた。
僕の母はそういうのはくだらないと思っていたので、無関心だった。(気になる方は前の記事を読んでほしい。)
その、子供のサッカーに熱心すぎるがあまり、運営とかに介入してくる親ほど、めんどくさい親はいない。これだけは虫唾が走る。でも、今回はそんな事ではなくて、そのコーチに反抗してた話。
僕は4年生の時はそのコーチに認められて、試合に出ていた。しかし、4年生の途中で腕を骨折して、走れなくなり、体力至上主義のコーチからは見放されてしまった。
だが、何とか頑張って、上の学年に呼ばれるようになり、ちょくちょく出場機会を増やし、6年になって、また試合にあんまり出れなくなった。
そして、僕の反抗は始まった。
試合に出れなくなった途端、コーチに無性に腹が立ってきた。何で試合に出さないんだ。俺の方が上手いだろ。そんな訳はなかったのに。
当時の僕の心の中はずっとこんな感じ。そして、試合に出たら出たで、コーチに怒られることを恐れて消極的なプレーになってしまう。それで、結局怒られて、自信をなくし、試合に出れなくり、ムカついていた。この悪循環。
それで、ある時、練習試合に出た時に、ムカつきすぎて、コーチからの指示に、「黙れ!」「うるせー!」と言ってやった。何回も言ってやった。いや、言ってしまった。
そこから、練習でも、口答えをするようになった。
もちろん、試合には出れなくなった。
今考えたら、コーチの言ってることは正しかったのかもしれない。自分が認めてもらえないことを人のせいにして、八つ当たりして、自分を守っていた。
ね、情けないでしょ。
認めてもらいたかったら、努力すればいいのに。練習すればいいのに。走ればいいのに。当時の僕はしなかった。ずっとポケモンばっかやっていた。
自己分析をしていて、自分が弱い人間だと気づく。
これは、知りたくなかった自分だが、それが本当の自分であり、自己分析の成果が出た。目を逸らす事は控えたい。
でも、人間だから、自分の弱さに目を逸らしてしまう事もあると思う。そしたら、この時のことを思い出すことにしよう。
そうしたら、モノクロだった僕の人生に彩りが加わるかもしれない。
あ、繋がりましたね。