少しずつ、「チームになっていく」ということ-夫婦、親子、家族
2年前の結婚記念日、息子がこの世に生まれて4か月目の日。
学生時代、本当に偶然、大学のとある講義の中で、写真家小西貴士さんの「子どもと森へ出かけてみれば」という写真集を知った。
そこから、森のようちえん、プレーパーク、その他、多くのこどもの幸せな育ちに携わる、敬愛すべき実践者の先人たちに、それから同志たちに出会えたことに思いを馳せていた。
そんなご縁のひとつひとつに導かれるように、自分の世界も広がっていったこと、いとおしい世界が増えたこと。興味関心が深化し続けていること。
それらとは切り離すことができないように、同時並行的に、夫と出会えたこと、息子に出会えたこと。
わたしの人生は全てが繋がっているなあ、と2年前の自分がつらつらと思いを書き綴ったのを覚えている。
そこから2年。
また結婚記念日がやってきた。
この2年間、我々夫婦は、我々家族は、それぞれに身体を壊したり、やたらと車のタイヤがパンクしたり、息子との日々にあくせくしたり、お世辞にも順風満帆とは言えないほど、想像していた以上に、ままならないことの多い2年間だった。
でも、その渦中で、夫婦が、家族が、少しずつ形を変容し続けながら、関係を紡ぎながら日々を営んでいる。
我々はひとつのチームを形づくっていく、まさにその過程にいるのだなあ、と思うことの多い日々だった。
夫婦になる、家族が増える。
関わる登場人物が増えるからこそ、一人で生きるより、想定外の出来事が格段に増えるけれど、その「想定外」が、自分一人では思いもよらなかったうれしい変化を連れて来たり、自分では変えられないと思っていた自分自身の苦手な部分を簡単に取り去らってくれたりもする。
大人になってからもなお、人生ってこんなに伸びしろがあるなんて、面白すぎるではないか。
ー健やかなるときも、病めるときも。
結婚式でのありきたりなワンフレーズ。
我々夫婦の2年間にとって、このフレーズはものすごくわかり味が深いのだ。
家族がみんな、それぞれに身体も精神も健やかでいられること。
それって、ありきたりでもなんでもなく、心の底からのギフトである。
でも、満身創痍な日々を経て、今感じていことがある。
家族は、いつもみんなが元気でなくたって、家族でいられる。
長い時間軸でお互いのバイオリズム的なもを見ていける。
ちがう人間なのだから家族といえどもバイオリズムが異なるのは当たり前だ。
家族が弱っている時に、自分が引き受けられそうならば「よし、まかせて!」と引き受ける。
自分がぐらついている時にも、相手に支えられたり、エネルギーを少々分けてもらったり。
そんな相互の関係性の中で、チームは育まれていく。
これからも、ゆっくり、ゆっくりと歩み進めていきたい。
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