憧れている人がいた。
私が小学校低学年の頃の話。
彼女も同じ小学生だったが、その姿を見るだけで自分より遥か上の存在なんじゃないかと思えてならなかった。彼女は、ピアノを習っていた。実際にピアノを弾いたシーンは見たことが無かったが、そのフレーズだけでもう素晴らしい存在のように感じた。
それに比べて私は。そう、常に醜い劣等感を感じていた。それでも、少しでも彼女に近づきたくて、ある日とうとうピアノを習ってみたい、と母親に告げた。母親の反応はあまり覚えていない。良くも悪くも強い反応はなかったという事だろう。
私は近所のピアノ教室へ見学に行くことになった。ドキドキした。
見学当日。あんなに夢に見たピアノの教室だったのに、その日のこともあまり覚えていない。どんな先生だっただろう、私は見学を楽しいと思っただろうか。おそらく大変緊張していたせいもあるだろう。
けれど、これには覚えていない原因に心当たりがある。
いつだったか。見学した後であることは確実だ。どこからか私がピアノ教室に見学に行ったということを聞きつけたクラスの女子が、私に向かってこう言った。
「あなた、〇〇ピアノ教室の見学にいったんだって?あなたにピアノなんて似合ってないからやめた方がいいんじゃない?」
衝撃だった。
正直、今まで忘れていた、忘れていたかった出来事だった。
しかし、最近自分の過去と向き合っているうちにだんだんと思い出してきたのだ。そのクラスの女子が一体自分とどういう関係だったかは全く覚えていない。たしか苗字にさん付けでよばれたからたぶん近しい関係ではなかったのだろう。他の人の反応も全く覚えていない。1対1で言われたのか、そうじゃないのか。とにかく、私は彼女にそう言われて、途端に自分がピアノを習うことが途轍もなく恥ずかしい事のように思えてしまった。
自分がそう言われてどういう反応をしたかも覚えていない。ただ、似合っていないと言われたことだけは覚えている。
その後、母親にピアノ教室はどうするかと聞かれたが、やっぱり行かないとだけ言った。母親の反応は覚えていないが、とくに深く理由を聞かれた覚えはない。私も理由は言わなかった。クラスの女子に、ピアノが似合わないと言われたことは、とても母親にいえるようなことではないと思っていた。
大変恥ずかしいことなのだと思った。
それから、私は一切ピアノには触れてこなかった。
しかし、いい歳した今になって、私はピアノに触れている。ピアノは人からの借り物だし、弾ける曲なんてあったもんじゃないが、それでもピアノに触っているのは楽しかった。
あの頃の私に言ってやりたい。そんなやつのいう事なんて無視しろ!自分がやりたいと思ったのならやってしまえ!!