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ドラマ鑑賞だって学びだ ~リバオケは細部に宿る

ドラマ「リバーサルオーケストラ」がヤバい。
今期イチ好きだ。
好きすぎる。
先週、最終回を迎えて、まさに今、ロスである。
世の中はWBC一色だけど、私はリバオケロス真っ只中だ。

でも最初の頃は、録画かTVerで休日に見る楽しみ、だった。
なのにじわじわ気になりだして、最終的にはリアタイしないと、むしろソワソワするようになった。

私はドラマ好きだけど、リアルタイムで見るよりは、休日にご飯やお茶をしなから、ゆっくり見たい派だ。
「娯楽」であることは確かなのだけど、多分、娯楽と思って見ている人よりは「勉強」の度合いが強い。
娯楽は、その域を出ると学びになるのだ。

なんやねんそれ、と思われるかもしれないけど、物語をつくりたい人の性分なのだ。
刺さるセリフとか、俳優の仕草や表情とか、展開の持っていき方とか、見て感じたこととか、そういうものを創作ノートに貯めおきたい
美容師が、すれ違った人の髪型が気になって、あーすればいいのにこーすればいいのにとヘアデザインを考えてしまうのと同じである。

で、なんでそんなに「リバーサルオーケストラ」(通称リバオケ)にハマってしまったのか……?
自分でも疑問なので、ちょっと考えてみた。
これも創作の勉強だ。

まず、私が好きな要素が多い。

★ 主人公が地味で、能ある鷹は爪を隠している。
★ 相手役がツンツンなのに、性根は優しい。たまに見せる笑顔とのギャップ。
★  主人公と相手役の付かず離れずな関係性。
★ 音楽やオーケストラを扱っている。
★ 音楽が好きだということがブレない。
★ マジモンのプロオケ(神奈川フィルハーモニー管弦楽団)が劇中オーケストラ(児玉交響楽団。通称「玉響」)として参加している。
★ オーケストラといっても選ばれし者ではなく、身近にありそうなことをネタにしている。(交響楽団員という職業の選択肢がある)
★ 悪役がはっきりしている。でもなんか憎めない。
★ バラバラだった人たちがまとまって行く。(再生物語)
★ ひとつのことをみんなで成し遂げようとする。

そして、強く惹き付けられた要因は、これ。

★ 俳優自身が演奏している。

玉響メンバー役の俳優陣は、昨年夏前から個人レッスンを受けて、このドラマに挑んだらしい。
それを新聞の読者投稿欄(読者の疑問を記者が調べて回答する)で読んだときから、このドラマから目が離せなくなった。

たった3ヶ月の連ドラのために、半年前から触ったこともない楽器や指揮を勉強して、見せられるレベルに持ってきているのだ。
もちろん、ほとんどはプロの吹き替えだと思うけど、指の動きや息継ぎなどを周りの神奈川フィルメンバーと合わせて来ている。
なんなら、指揮者役の田中圭とコンマス役の門脇麦は、一緒にリアル公演もやっている。
(ドラマ本編とは別に、リバオケを冠した神奈フィルのコンサートが開かれ、共に舞台に立っている)
17年前(!)の「のだめコン」も聴きに行ってるけど、さすがに主役2人(玉木宏と上野樹里)は聴いてる側だった。
(玉木宏は指揮振れそうだけど)

そんな俳優としてのプロ意識のおかげで、神奈フィルメンバーとも関係性ができ、ドラマの根幹でもある「バラバラだった人たちがまとまっていく(再生物語)」をリアルな形で視聴者に見せてくれている。

どうやら私は、こういう「やらなくたって成り立つことを敢えてやる努力」に、弱い。
そこまでしなくても見栄えするのに、と正直思う。
この仕事だけしてるんじゃないし。
趣味の時間や家族とすごす時間だってほしいだろう。人間だもの。

だけど、神は細部に宿るのだ。
(1800年代の建築家よ、素晴らしい名言を残してくれてありがとう!)
細かい部分に力を入れると、リアリティが増す、というやつである。

そういえば、20年前のライター学校でも言われた。
「小説は結局のところ《つくりものの世界》だけど、設定を細部まで作り込めばどんな異世界でもリアルに見える」と。
ファンタジーは特にそうだけど、現代ものでもそうだなと思う。
それを改めて感じさせてくれたドラマだった。


私は現在、投稿作品をひねり出し中だが、実は全然書けないでいる。
書きたいものと精神の落差が大きくて、書こうとすると気分が落ち着かない。
その元ネタになった出来事を思い出して、不眠が出てしまったりする。
なかなか厄介な脳みそになってしまったのだ。

そんな私にもう一度、「魅力ある設定」や「書くうえで大事にしたいこと」を思い起こしてくれた、リバオケ。
さあ、この学びをどう活かすのか、私も自分の書くものが楽しみである。


※  ちなみにアイキャッチは、リバオケコンサートでの撮影タイムのスクショ。神奈フィルと圭くんと麦ちゃんと劇伴の清塚信也氏。(SNS投稿OK)

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