民撰議院設立建白書 渡瀬裕哉口語訳&原文(ふりがなつき)
渡瀬裕哉口語訳
民撰議院設立建白書(現代版)
私たちが本提言に至った経緯は、この件がそもそも日ごろの持論であり、私たちが政府内にいた際にしばしば上申した者もおりました。そうしたところ、条約を締結した欧米諸国へ使節団を派遣中であり、実際の状況を調査した上で検討して議会を設けるべきとの評議がありました。しかしながら、もはや使節団が帰国して既に数カ月がたっておりますのに、どのような議会開設に向けた動きもなされておりません。近頃の人民の心情は騒がしく、上下を疑っており、国が崩壊する兆しがないともいえない勢いです。結局、人民的な議論が八方塞がりであるためにこのような事態に至ったと非常に残念に思っております。それ故に、議会開設についてご検討されるべきと考えます。
私たちが現在の政治権力の帰属するところを考えてみると、上は皇室でもなく、下は人民ではないと思います。ただ官僚にのみ帰属しているのです。そもそも、官僚は「皇室を敬っている」と言っていないわけではありません。それにもかかわらず、皇室の権威は少しずつ失われています。また、官僚は、「人民を保護する」と言っていないわけでもありません。しかしながら、政府による規制は非常に多い上に、朝令暮改され、政治は情実で動き、賞罰は個人的な感情で決定されており、言論の自由はなく、苦情を訴える方法すらないのです。そもそも、このような状態で、社会の秩序が維持されると考えることが間違っていることは、子どもでもわかることです。現状のまま放置すれば、おそらく我が国は崩壊してしまうでしょう。このような状況では、私たちの愛国心がおさえられないのは自明の理です。そこで、この状況を解決する策を研究したところ、ただ人民的な議論を発展させることだけが解決策であるとの結論に至りました。そして、人民的な議論を発展させるには、人民から選ばれた代表による議会を開設することだけが、その手段であるのです。つまり、官僚の権限を制限すれば、上下ともに安全で幸福な生活を受容できるのです。ぜひ、この点について論じさせてください。
そもそも、政府に対して納税の義務がある人民は、政府の状況について認知し、政策の可否を議論する権利をもっています。これは天下の通論であって、私たちがこれ以上とやかく余計なことを言うまでもないことです。それ故に、私たち臣として、官僚もこの大原則に反対しないことを願っています。現在、人民の代表からなる議会を設立するとの提案に否定的な人間は、「人民は無知蒙昧で、未だ開明の域に進んでいないため、議会を作るのは時期尚早でしょう」と言います。しかし、私たちは、こうした反対論者の意見を疑っています。人民を啓蒙し、知識を与え、開明の域に進ませようとするならば、人民の正当な権利を保護し、人民に政治に対する自信と誇りを持たせ、社会と楽しいことも辛いことも共にする気持ちを起こさせなければならないのです。このようにすれば、古臭い考えに安住して、無知蒙昧な状況に自分で甘えるような人民はいなくなるでしょう。しかしながら、現在は、人民が自分で勉強して教養を得て、自ら開明の域に達するのを待っているだけです。これでは河の水が綺麗になるのを100年眺めているのと同じです。ひどい反対論者は、「今、議会を急いで作っても、日本中の愚か者を集めるだけでしかない」とまでいいます。ああ、こういった人は、どうして自分をひどく高みに置くくせに、人民を馬鹿にするだけなのでしょう。確かに、官僚の中には、才能が一般より高い人もいるでしょう。でも、どうして学問をし、教養をもったはずの人が、世の中のすべての人を超える人間なんていない事を知らないのでしょうか。だから、人民をこのように馬鹿にしてはいけないのです。もし馬鹿にして良いのならば、官僚もまた馬鹿にされる中の一人でしかないかもしれません。もしそうなら、同じように勉強不足で無教養な人間なのです。わずかな官僚による専制と人民的な議論が発展するのと、どちらが賢明かはどうでしょうか。私たちが思うに、官僚の知識と言っても、明治維新前よりもきっと進んでいると思います。なぜならば、人間の知識というものは、これを使えば使うほど進歩するものだからです。だからこそ、人民の代表からなる議会を設置することは、とりもなおさず人民に勉強させ、教養を与え、そうして急速に開明的な域に導く方法なのです。
その上、そもそも政府の仕事の目的は、人民が進歩できるようにするためにあります。未開で野蛮な世界の住民は、勇猛で猛々しく従うところを知りません。その場合の政府の職務は、人民を従わせることになります。現在、我が国はすでに未開ではありませんが、人民の従順さはすっかり度を越しています。そうであれば、今の政府がちゃんと目的とするべきなのは、やはり人民の代表からなる議会を設置し、人民に果敢な行動を起こす気にさせ、社会のことを分かち合う義務を認識させ、社会のことに参加できるようにすることにあります。これは日本全国の人間がみな同じく考えていることです。
そもそも、政府が強靭になるのは、何によってでしょうか。それは、社会全体の人間がみな心を一つにするからです。私たちは、決して遠い昔のことを挙げて論証するのではなく、ひとまず昨年の征韓論争に端を発した政変に沿ってこのことを見てみましょう。これは本当に危険極まりないことでした。政府が孤立したのはなぜだったのでしょう。征韓論争に端を発した政変について、喜んだり、憂いたりしたりするどころか、ぼんやりしてこの問題を知らなかった人間は、人民の8割、9割はいました。彼らはただ、軍隊が解散されたことに驚いただけでした。今、人民の代表からなる議会を開設するということは、つまるところ、政府と人民の間で真心が通じ合い、そうして手と手を取りあって一体となってこそ、はじめて国家と政府は強靭となるのです。
以上、私たちは社会の大原則について述べつくし、我が国の今日の情勢について実情を述べ、政府の職務について論じ、そして、征韓論争に端を発した政変について振り返ってきました。これにより、私たちは、いよいよ自説の正しさを確信しています。社会の平穏を維持し、奮い起こす手段は、人民の代表からなる議会を設置し、そうして政治に対する人民的議論を発展させることにしかないということを、私たちは切に訴えます。その為の具体的な手段について、私たちは決してここでは述べません。十数枚の提言書では、とても書きつくせるものではないからです。ただし、私たちはひそかに聞いた話では、最近の官僚は、慎重論にかこつけて、多くのことを旧態依然のままにし、世の中の改革を主張する人間を、「軽々進歩」と呼び、その意見を「尚早」の二文字で拒絶します。このことについても論じさせてください。
そもそも、「軽々進歩」と呼ぶことは私たちには理解できないことです。もし、にわかに物事が出現してしまうことを軽々に進む者とおっしゃるのでしたら、人民の代表からなる議会は、物事を注意深く検討するシステムであるということを訴えたい。各省庁間の調整が不調で調整し直す際に、本来の目的や緩急の秩序を失って、お互いの施策を良く見ないことを「軽々進歩」とおっしゃるなら、それは国家に規範がなく官僚が意に任せて勝手なことをしているからではないか。以上の二例があれば、まさしく人民の代表からなる議会を設置しなければならない理由が証明されたことは明らかです。そもそも、進歩とはこの世で最も素晴らしいものであって、全ての物事は進歩しなければならないのです。そうであれば、とりもなおさず官僚は、決して「進歩」の二文字を罪とすることはできません。批判することがあれば、必ず「拙速」の二文字で止まるでしょう。ですが、「拙速」の二文字は、人民の代表からなる議会と無縁です。
「尚早」の二文字を、人民の代表からなる議会に対して当てはめるのは、私たちは理解できないだけでなく、強く反対します。なぜならば、人民の代表からなる議会を設置したとしても、おそらく長い年月の後に、はじめて十分に完全なものになると思われるからです。だからこそ、私たちは一日でも設置が遅れることを危惧し、尚早論にただ反対せざるを得ないのです。
また、官僚は次のように説明します。「欧米各国の議院は一朝一夕に設立されたものではなく、徐々に進歩してきたことで達成したのだから、我々がにわかに模倣することはできないのだ」と。しかし、徐々に進歩するのがどうして議会だけなのでしょうか。あらゆる学問、技術、機械、みな同じように徐々に進歩してきました。ですが、欧米諸国が数百年の長きにわたって積み上げて議会政治を達成したのは、それ以前に成文規則がなく、みな自分の手によって経験し編み出したからです。今の私たちが、その成文規則から選び出して採用すれば、どうして欧米諸国の議会政治の域に到達することができないでしょうか? もしも、「私たちが蒸気機関の原理を自分で発明するのを待ってからでないと、蒸気機関を使えない」であるとか、「電気の原理を自分で発明してからでないと、電信を使えない」などと言うのでしたら、政府は本当に何も出来ない存在でしょう。
以上、私たちが、人民の代表からなる議会を設置しなければならない理由、そして日本人の進歩の度合いが議会を設置するに十分に値することを論じてきたのは、官僚の反論を封じ込めるためではありません。議会を設置し、人民的議論を発展させ、人民の正当な権利を確立し、社会の活気を鼓舞し、そのことにより上下が親しみ近づき、君臣が相愛し、帝国を維持して奮起させ、幸福と安全をもたらすことを願ってのことです。この提言を幸いにして採択していただけることを願っています。
原文
デジタルアーカイブ
某等別紙奉建言候次第、平生ノ持論ニシテ、某等在官中屡及建言侯者モ有之候処、欧米同盟各国ヘ大使御派出ノ上、実地ノ景況ヲモ御目撃ニ相成、其上事宜斟酌施設可相成トノ御評議モ有之。然ルニ最早)大使御帰朝以来既ニ数月ヲ閲シ侯得共、何等ノ御施設モ拝承不仕、昨今民心洶々上下相疑、動スレバ土崩瓦解ノ兆無之トモ難申勢ニ立至侯義、畢竟天下輿論公議ノ壅塞スル故ト実以残念ノ至ニ奉存侯。此段宜敷御評議ヲ可被遂侯也。
明治七年第一月十七日
高智県貫属士族 古沢迂郎
高智県貫属士族 岡本健三郎
名東県貫属士族 小室信夫
敦賀県貫属士族 由利公正
佐賀県貫属士族 江藤新平
高智県貫属士族 板垣退助
東京府貫属士族 後藤象次郎
佐賀県貫属士族 副島種臣
左 院 御中
(ふりがなつきはここから)
臣等伏シテ方今政権ノ帰スル所ヲ察スルニ、上帝室ニ在ラズ、下人民ニ在ラズ、而モ独リ有司(=維新政府顕官)ニ帰ス。夫レ(それ)有司、上(かみ)帝室ヲ尊ブト曰ザルニハ非ズ、而(しかも)帝室漸ク其尊栄ヲ失フ、下人民ヲ保ツト曰ザルニハ非ラズ、而政令百端、朝出暮改、政刑情実ニ成リ、賞罰愛憎ニ出ヅ、言路壅蔽(ようへい)、困苦告ルナシ。夫如是ニシテ(かくのごとくにして)天下ノ治安ナラン事ヲ欲ス、三尺ノ童子モ猶其不可ナルヲ知ル。因仍(いんじょう)改メズ、恐クハ国家土崩ノ勢ヲ致サン。臣等愛国ノ情自ラ止ム能ハズ、乃チ之ヲ振救(しんきゅう)スルノ道ヲ講求スルニ、唯天下ノ公議ヲ張ルニ在ル而已(のみ)。天下ノ公議ヲ張ルハ民撰議院ヲ立ルニ在ル而已。則有司ノ権限ル所アツテ、而シテ上下其安全幸福ヲ受ル者アラン。請、遂ニ之ヲ陳ゼン。
夫レ(それ)人民、政府ニ對シテ租税ヲ払フノ義務アル者ハ、乃チ其政府ノ事ヲ与知可(よちかひ)スルノ権理ヲ有ス。是天下ノ通論ニシテ、復喋々臣等ノ之ヲ贅言(ぜいげん)スルヲ待ザル者ナリ。故ニ臣等窃ニ(ひそかに)願フ、有司亦是大理ニ抗抵セザラン事ヲ。今民撰議院ヲ立ルノ議ヲ拒ム者曰、我民不学無智、未ダ開明ノ域ニ進マズ、故〔ニ〕今日民撰議院ヲ立ル尚(なお)応サニ(まさに)早カル可シト。臣等(しんら)以為ラク(おもえらく)、若シ果シテ真ニ其謂フ所ノ如キ乎。則(すなわち)之ヲシテ学且智、而シテ急ニ開明ノ域ニ進マシムルノ道、即チ民撰議院ヲ立ルニ在リ。何トナレバ則今日我人民ヲシテ学且智ニ開明ノ域ニ進マシメントス、先(まず)其通義権理ヲ保護セシメ、之ヲシテ自尊自重、天下ト憂楽ヲ共ニスルノ気象ヲ起サシメズンバアル可カラズ。自尊自重、天下ト憂楽ヲ共ニスルノ気象ヲ起サシメントスルハ、之ヲシテ天下ノ事ニ与ラシムルニ在リ。如是(かくのごとく)シテ、人民其固陋(ころう)ニ安ジ、不学無智自ラ甘ンズル者未ダ之有ラザルナリ。而シテ今其自ラ学且智ニシテ自其開明ノ域ニ入ルヲ待ツ、是殆ド百年河清(かせい)ヲ待ツノ類ナリ。甚シキハ則、今遽カニ(にわかに)議院ヲ立ルハ是レ天下ノ愚ヲ集ムルニ過ザルノミト謂ニ至ル。噫何(ああなんぞ)自ラ傲ルノ太甚(はなはだ)シク、而其人民ヲ視ルノ蔑如(べつじょ)タルヤ。有司中智巧固り人ニ過グル者アラン。然レ共安ンゾ(いずくんぞ)学問有識ノ人世復(また)諸人(もろびと)ニ過グル者アラザルヲ知ランヤ。蓋シ天下ノ人如是蔑視ス可ラザル也。若シ将タ(また)蔑視ス可キ者トセバ、有司亦其中ノ一人ナラズヤ。然ラバ則(すなわち)均シク是不学無識ナリ。僅々(きんきん)有司ノ専裁(せんさい)ト人民ノ輿論公議ヲ張ルト、其賢愚不肖果シテ如何ゾヤ。臣等謂フ、有司ノ智亦之ヲ維新以前ニ視ル、必ラズ其進シ者ナラン。何トナレバ則、人間ノ智識ナル者ハ必ラズ其之ヲ用ルニ従テ進ム者ナレバナリ。故ニ曰ク、民撰議院ヲ立ツ、是即チ人民ヲシテ学且智ニ、而シテ急ニ開明ノ域ニ進マシムルノ道也。
且夫政府ノ職、其宜シク奉ジテ以テ目的トナス可キ者、人民ヲシテ進歩スルヲ得セシムルニ在り。故ニ草昧(そうまい)ノ世、野蛮ノ俗、其民勇猛暴悍(ぼうかん)、而シテ従フ所ヲ知ラズ。是時ニ方(あた)ツテ、政府ノ職固リ之ヲシテ従フ所ヲ知ラシムルニ在リ。今我国既ニ草昧ニ非ラズ、而シテ我人民ノ従馴ナル者既ニ過甚トス。然ラバ則、今日我政府ノ宜シク以テ其目的トナス可キ者、則民撰議院ヲ立テ、我人民ヲシテ其敢為(かんい)ノ気ヲ起シ、天下ヲ分任スルノ義務ヲ弁知シ、天下ノ事ニ参与シ得セシムルニ在リ。則闔国(こうこく)ノ人皆同心ナリ。
夫政府ノ強キ者、何ヲ以テ之ヲ致スヤ。天下人民皆同心ナレバ也。臣等必ラズ遠ク旧事ヲ引イテ之ヲ証セズ。則ち昨十月政府ノ変革ニ就イテ之ヲ験ス、岌々乎(きゅうきゅうこ)且(かつ)危哉(あやういかな)。我政府ノ孤立スルハ何ゾヤ。昨十月政府ノ変革、天下人民ノ之ガ為メニ喜戚(キセキ)セシ者幾(いくばく)カアル。啻(ただ)之ガ為メニ喜戚セザルノミナラズ、天下人民ノ茫(ぼう)トシテ之ヲ知ラザル者十にシテ八九ニ居ル。唯兵隊ノ解散ニ驚ク而已(のみ)。今民撰議院ヲ立ルハ則政府人民ノ間、情実融通、而相共ニ合テ一体トナリ、国始メテ以テ強かるべし、政府始メテ以テ強かるべキナリ。
臣等既ニ天下ノ大理ニ就イテ之ヲ究メ、我国今日ノ勢ニ就イテ之ヲ実ニシ、政府ノ職ニ就イテ之ヲ論ジ、及昨十月政府ノ変革ニ就イテ之ヲ験ス。而(しかして)臣等ノ自ラ臣等ノ説ヲ信ズルコト愈(いよいよ)篤ク、切ニ謂フ、今日天下ヲ維持振起スルノ道、唯民撰議院ヲ立て而シテ天下ノ公議ヲ張ルニ在ル而已。其方法等ノ議ノ如キ、臣等必ラズ之ヲ茲ニ言ハズ。蓋シ十数枚紙ノ能ク之ヲ尽ス者ニアラザレバ也。但臣等窃ニ(ひそかに)聞ク、今日有司持重ノ説ニ藉リ(かり)、事多ク因循ヲ(いんじゅんを)務メ、世ノ改革ヲ言フ者ヲ目シテ軽々進歩トシ、而シテ之ヲ拒ムニ尚早キノ二字ヲ以テスト。臣等請之ヲ弁ゼン。
夫レ軽々進歩ト云フ者、固リ臣等ノ所解せざる所、若シ果シテ事倉猝ニ(そうそつに)出ル者ヲ以テ軽々進歩トスル乎、民撰議院ナル者ハ以テ事ヲ鄭重ニスル所ノ者ナリ。各省不和而変更ノ際、事本末緩急ノ序ヲ失シ、彼此ノ施設相視ザル者ヲ以テ軽々進歩トスル乎、是国ニ定律ナク、有司任意放行スレバナリ。是二者アラバ、則適ニ(まさに)其民撰議院ノ立テズンバアル可カラザルノ所以ヲ証スルヲ見ルノミ。夫進歩ナル者ハ天下ノ至美ナリ、事々物々進歩セズンバアル可カラズ。然ラバ則、有司必ラズ進歩ノ二字ヲ罪スル能ハズ。其罪スル所、必ラズ軽々ノ二字ニ止ラン。軽々ノ二字、民撰議院ト曾テ相関渉セザル也。
尚早キノ二字ノ民撰議院ヲ立ルニ於ケル、臣等啻ニ(ただに)之ヲ解セザル而已(のみ)ナラズ、臣等ノ見(けん)正ニ之ト相反ス。如何トナレバ、今日民撰議院ヲ立ツモ、尚恐クハ歳月ノ久シキヲ待チ而後(しかるのち)始メテ其十分完備ヲ期スルニ至ラン。故ニ臣等一日モ唯其立ツコトノ晩(おそ)カランコトヲ懼ル(おそる)。故ニ曰、臣等唯其反対ヲ見ル而已(のみ)ト。
有司ノ説又謂フ、欧米各国今日ノ議院ナル者ハ一朝一夕ニ設立セシノ議院ニ非ラズ、其進歩ノ漸(ぜん)ヲ以テ之ヲ致セシ者ノミ、故に我今日俄ニ之ヲ模スルヲ得ズト。夫レ進歩ノ漸ヲ以テ之ヲ致セシ者、豈(あに)独リ議院ノミナランヤ、凡百学問、技術、機械皆然ルナリ。然ニ彼レ数百年ノ久シキヲ積ンデ之ヲ致セシ者ハ、蓋シ前ニ成規ナク皆自ラ之ヲ経験発明セシナレバナリ。今我其成規ヲ択(えら)ンデ之ヲ取ラバ、何(なんぞ)企テ及ブ可カラザランヤ。若(もし)我自ラ蒸気ノ理ヲ発明スルヲ待チ、然後(しかるのちに)我始メテ蒸気機械ヲ用ルヲ得可ク、電気ノ理ヲ発明スルヲ待チ然後我始メテ電信ノ線ヲ架スルヲ得可キトスル乎、政府ハ応(まさ)ニ手ヲ下スノ事ナカル可シ。
臣等既ニ已ニ、今日我国民撰議院ヲ立テズンバアル可カラザルノ所以、及ビ今日我国人民進歩ノ度能ク斯(この)議院ヲ立ルニ堪ル(タユル)コトヲ弁論スル者ハ、則有司ノ之ヲ拒ム者ヲシテ口ニ藉スル(カスル)所ナカラシメントスルニハ非ラズ。斯議院ヲ立、天下ノ公論ヲ伸張シ、人民ノ通義権理ヲ立テ、天下ノ元気ヲ鼓舞シ、以テ上下親近シ、君臣相愛シ、我帝国ヲ維持振起シ、幸福安全ヲ保護センコトヲ欲シテ也。請(こう)幸ニ之ヲ択ビ玉ンコトヲ。