創作「五稜神社の噂話」②小説
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一、はじまりの噺
錆びた色で「おみや前」と書かれたバス停。
その横に、広い石階段がある。落葉の時期ではあるが、定期的に掃除をしているのだろう。小枝ひとつ落ちていない。
丁寧に積み上げられた石の階段は白木の大きな鳥居へと繋がっている。 その奥へ進めば、広い境内に宮大工の細かな装飾が施された御社殿が趣深く佇んでいる。
しかしここを訪れる参拝客は珍しく、特に祭や行事も行われない。
街中にひっそりと息を潜めるこの神社の名前は五稜神社。もう、かれこれ千年以上もこの土地を守り続けているそうだ。
見事に紅葉した鎮守の森をやや冷たい風が吹き抜け、枝と葉を鳴らしながらその一部をさらって空へと放つ。
小気味良い音を立てながら色とりどりの葉が夕焼け空に舞う。そしてそれらの多くが焦げ茶色のトタン屋根に鮮かなる着地をした。
その家の表札には「小緑」なる文字が丁寧に掘られている。小緑家の玄関ドアは今日も元気な声と共に開け放たれた。
「たっだいまー!おかーさん、お腹すいたぁ~!」
時刻は午後七時を回ったところ。
夏の残り香を纏った、やや涼しげな空気感を蹴り飛ばすように小緑咲夢(こみどり さゆめ)が玄関へ駆け込んでくる。
ショートボブにカットされた明るい茶髪を揺らしながら、左肩にかけていたスクールバッグを雑におろす。
「おかえり咲夢(さゆめ)~!ちょうどよかったわ!これお願い」
玄関を開けるなり、笑顔で出迎えた母親が回覧板を突きつけてくる。
「え!?丁度良くないよ!?あ~、学校疲れたぁ~」
肩に手を当てて少しよろめいて見せる。ワタクシ疲れてます、のアピール。
「どうせみんなと遊び回ってただけでしょ?」
「うっ…」
図星という言葉がピッタリの表情で押し黙る。彼女は放課後、夕飯の時間ギリギリまで友人達と遊び倒すのが日課であった。
「ほら行ってきて!今夜はカレーだから」
「カレー!やった!!行ってきまぁす!」
大好物のカレーがあると知った咲夢は色褪せた緑色の回覧板を手に玄関から元気に出ていった。
すっかり日の沈んだ九月の夜。
灯った街灯に見守られながら、黒のチュールスカートを蝶のようにヒラヒラと舞わせて夜の歩道を駆け抜けていく。
昔からある家同士で繋がった隣組は、間に新しく越してきた家同士でできた別の隣組を挟んでおり、次の家までは徒歩二分。
その途中には、五稜神社へ続く広い石階段とバス停。咲夢は毎朝、ここからバスに乗り学校へ向かうのだ。
無事に「お隣さん」宅の郵便受けへ回覧板を入れたところで、ふと夜空を見上げる。月と星。そして視界の隅に「黒いやつ」のうごめく姿を捉えた。
あ、また。
咲夢は小さい頃から幽霊なんかの類いが見えてしまう。「黒いやつ」は夕方から夜にかけて、空を移動しているのを見かけることが多い。
それは月や星、街灯の明かりを遮って移動していく。
しかしそれに恐怖心があるわけではなく、ただそこにいる、という感覚。それ以上に知ろうと思った事もない。
「早く帰ろっ!カレーが待ってる♪」
全速力で帰って、早くカレーを食べたい。そう思っていたはずだった。
「あ、お参り、して行かなきゃ、五稜神社…」
咲夢は、ぼんやりと広い石階段の前に立ち止まっていた。
チリン…。
どこからか鈴のような音が響いてくる。
チリン…
それは高く、とても澄んだ音。
正面から神社に向き合い、一段、また一段とその感触を確かめるようにしっかりと石段を上がっていく。
九月の夜風は多少冷たく、多少柔らかい。
チリン…
十三段。
チリン…
十四段。
チリン…
十五段。
チリン…
あと、九段だ。
あれ?
チリン…
この石段は全部で二四段なの?
チリン…
ああ、そうだ。
チリン…
確かにそうだった。
チリン…
忘れていたみたい。
チリン…
忘れるはず、ないのに。
チリン…
チリン…
チリン…
チリン。
上りきると、白木でできた大きな鳥居が出迎えてくれた。
それと同時に、境内の方から吹いてきた大きな風が茶色の柔らかな髪を撫でて過ぎ去っていく。
なんだか懐かしい。狂おしいような、痛いような、愛おしいような。そんな感覚。
鳥居をくぐった瞬間、今度は大きく波打つような強風が吹いてきて、咲夢は目をつむってその身を屈めた。
「きゃ…!」
次に目を開くと、いつの間にやってきたのか、すぐ目の前に巫女さんの後ろ姿がある。小さな鈴が沢山集まったぶどうの房のような形のものを手にしている。
咲夢はテレビで見たお祭りの舞を思い出していた。
ああいうのを持って踊るんだよね。
そんな風に感じていると、巫女はこちらを振り向き、突然大きく目を見開いた。
「どうして…!」
「え…?」
巫女は真っ直ぐに咲夢の目を見据えて「どうして」と口にした。
その意味が全く分からず、咲夢はその場に立ち尽くす。
「どうして人がいるの!?」
「え、あの、お参りしたくて…」
その巫女は社務所の方へ向かって大きな声を出した。
「小水(こみず)!!土屋を呼んで!」
すると遠くにいた栗色の髪の巫女が、こちらを見るなり小さく叫んでどこかへ走っていく。
二人の巫女は化け物でも見るみたいな顔で私を見ていた。歳はきっと同じくらい。
「…あの、都合が悪いならまた来ます」
訳も分からず否定されたように感じて踵を返したその時、体全体に見えない抵抗を感じた。
足が、動かない…!?
それに輪を掛けるように巫女が叫ぶ。
「ダメ!!そこにいて!それか社務所に…」
その時、奥から誰かが出てくる。
「どうした、頼光!」
「土屋!人が…!」
土屋と呼ばれた少女は中学生くらいだろうか。黒髪は肩の上で一直線に切りそろえられ、前髪はぱっつん。
日本人形を連想させるその子は表情を変えることなく、おもむろに咲夢の手を引いた。
「すみません、こちらへ」
「え、あの…!?」
今度は不思議なほど自然に、足が迷いなく社務所の方へ向かう。
「あのっ!なんなんですか!?」
「いいから、早く!!」
ふと後ろに違和感を感じ振り返ると、そこには何体もの「黒いやつ」がこちらに向かってくるのが見えた。
それに小さな悲鳴をあげると足を早めながら「土屋」が不思議そうに聞いてくる。
「お前、不浄が見えるのか!?」
「…黒いやつの事?」
それが答えになったようで、土屋は突然手を離して背中を押してきた。
そして叫ぶように言った。「社務所へ逃げろ」と。
土屋は黒いやつに向き直り、腰を落として拳を構えていた。
逃げろ。
その言葉は、危険が迫っている時に使うものだと理解していた。咲夢は訳も分からぬまま必死に社務所へ走る。
するとおもむろに社務所の扉が開き、先ほどの栗色の髪の巫女が焦った様子で「早く!」と招き入れてくれる。
咲夢が駆け込むと同時に、扉は勢いよく閉められた。
はぁはぁと荒ぶる息を整える。
「大丈夫ですか~?怪我、してませんか?」
「うん…、大丈夫…」
咲夢はその場にゆるゆるとしゃがみこんだ。今まで黒いやつは「見えて」いただけ。どこか夢見心地であった。
それが突然リアルな恐怖として浮き上がってきて体が震える。
「良かったら上がってください。お茶でも飲んで落ち着きましょう」
ふわりと優しく微笑んだ彼女は、小水和花《こみずわか》と名乗った。
少しふっくらとした体型で、背は小さくて全体的に丸っこい印象だ。
座敷に通され、日本茶を出してくれる。そして先ほどの土屋と同じことを聞いてきた。
「お姉さんは、不浄が見えるんですか?」
答える代わりに、咲夢は言わねばならぬことを訴える。
「あの…。私、カレーが待ってるんですけど…!」
一瞬の沈黙。
「ええと…、お姉さんは不浄が見えるんですか?」
同じことを聞き返してくる小水に同じ言葉を返す。
「あのね、カレーが待ってるの…!」
「カレーですか…」
「そうなの!」
「…」
すると不意に襖が開き、土屋が「会話が成り立たん奴らだな」とつっこんでくれた。
「つっちー!助けてくださいぃ!会話ができません!」
土屋が小水を犬でもあやすようにひと撫でして咲夢の前に姿勢を正して座る。
「…夕飯、カレーライスなのか?」
「そ、そっちに乗っかるんですか!?」
今度は小水がつっこむ番らしい。
「そうなの、カレー!だから早く帰りたいんだけど…」
土屋はまだ幼い顔立ちに似合わず、厳格な大人のような雰囲気を持っている。
「それはまだ許可できない。まだ外には不浄が多数いるからな」
そう言って、目だけを窓の方へ向ける。
「今日はやけに多いんだ。もう少し我慢してくれ」
「ねぇ、もう少しちゃんと教えて。これって、どういう事なの?」
土屋は少し沈黙してから口を開く。
「この神社では毎日、日没後に町の浄化を行っている」
「浄化…?」
「そう。町中にいる不浄…黒いやつをここに集めて、我々が浄化をする」
だからいつも黒いのは夕方の空に見たのかと合点がいった。
「あの、不浄って、なんなの?悪霊みたいなもの?」
「そうだな。実際にそういう類いの者もいるが、一番多いのは人々の持つ負の感情だ」
「負の感情…」
「それが溜まると、要は治安が悪くなる。妬みや嫉妬、恨みや怒り悲しみ。それらが溢れだすようになる」
「そうなんだね…」
そこで土屋が首をかしげる。
「お前は疑わないのか」
「え?」
「いや…」
と、その時。
まるで空でも落ちたみたいに轟音とともに社務所が小さく揺れた。
【きゃぁあっ!】
同時に、いつの間にか縁側に出ていた小水が悲鳴をあげる。
「高峰(たかね)さん!大丈夫ですかぁ!!」
声に釣られて縁側へ出ると、真っ白な長髪をうなじで一つに束ねた男が血まみれで縁側近くの大岩にもたれているのが見えた。
「いや…っ!」
思わず出した声が震えているのが自分でもよく分かる。
月が照らし出す白と黒と赤で造られたその光景は、どこかお伽噺のようにも見える。だがそれは紛れもない現実であり、咲夢は背筋が寒くなるのを感じた。
「高峰(たかね)!」
土屋が素足のまま庭へ飛び出していく。
「つっちー…今日…は、なんかヤバい…」
白い髪も肌も、白衣も真っ赤に染められている。「高峰」の息はか細く、とても苦しそうに感じた。
「代わる。小水!高峰の手当て!」
「はいぃっ!!」
小水も素足のままで大岩に近づいていく。
「きゅ、救急車呼んだほうがいいんじゃ…!?」
「大丈夫です!」
小水は大きな声で返事をすると左手首にはめていた天然石のブレスレットを手のひらの位置まで移動させて握りしめ、右手を「高峰」にかざしていく。
すると小水の周りをふわふわとした光が靄(もや)のように取り囲みはじめた。
言葉は聞き取れないが、なにかを唱えているようだ。そしてそれらがやがて彼を包んでいき、きっと傷を癒しているのだろうと直感で悟った。
そしてふと、彼のだるそうな視線がこちらへ向けられていると気がつく。咲夢も無言でそれを返す。
神と呼ばれる者たちの領域に足を踏み入れた咲夢は、まだそれが夢か現実かの判断もできぬまま、だが、ありのままを受け入れていた。
『今日は、やけに多いんだ』
あの夜の土屋の言葉が、喉の奥につかえたようにいつまでも離れない。
その時の咲夢には、未知の出来事を受け入れるのが精一杯だった。だから気になった1つの事実がほんの些細な事に思えていたんだ。
人ではない者が、社務所の奥へ入り込んでいった事を。
今思えば、あの時から全てが動き出していて、私たちは綿密に組まれた歯車の上をひたすら歩かされていたんだ。
誰1人として、
決して逃げることができぬように。