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輪島の海女&漁師の一家を応援することを決めたハナシ その4
被災地では、宿そのものが再開の目処もたたないところも多く、運営していたとしても、災害復興の工事関係者の方々が長期で使っているなど、なかなか泊まれそうな宿を探すことが困難でした。
早瀬家の海女さん、千春さんに相談すると、お友達が運営している宿に一部屋空きがあると連絡が。ただ自力でもリーズナブルに泊まれる宿をネットで探し、ちょうど見つかり予約を終えたところでした。なので、丁重に千春さんに見つかった旨お伝えしていたのですが…。能登半島は私の想像以上に広く、輪島から予約した宿は1時間以上も離れていることがわかりキャンセル。慌てて千春さんに「やはり教えていただいた宿に泊まらせて欲しいのですが」と連絡を入れたものの、あとの祭り。お友達が運営するお宿は既に満室ということでした。
再びネットで調べては片っ端から電話をかけ、ようやく、空きがあるお宿を見つけました。そちらのお宿、奇跡的に輪島の中心地にありました。やはり甚大な被害を受けたそうですが、多くの方々の支援により辛うじて修復が終わり、4月末から再開されたばかりということでした。
決して、リーズナブル…ではなかったのですが、地元の被災者の為に独自の支援(事情ある方にお風呂サービスや宿泊提供)をされていることを知り、そのお宿に泊まることで、私たちも少しでも支援になるのなら、という思いもあり、そちらを予約。
夜、全てを終えて向かってみると、お宿のお隣のビルは全壊していてビックリ。でも私たちが予約したお宿は全く問題なくしっかり建っていました。一歩中に入ると、エントランスから綺麗な状態。更に宿の中の至る所、調度品も伝統的な漆が使われ、そこが被災地であることを忘れるほどでした。
しかし、まだクリーニング店が輪島市内どこも再開できていないとのことで、寝巻きの浴衣は無いとのこと。私たちは浴衣が無いことなど全く問題なかったのですが、やはり被災地。輪島の人々の生活は至る所に困難が残ったままでした。
朝2時に起き、片道12時間の移動。そして全てを終えて宿の寝床に入ったのは、夜23時頃。さすがに身体はクタクタで、綺麗なお風呂にも入ることができ、お布団でぐっすり眠ることができたのは幸いでした。
翌朝、食事処に行くと、心込められたお料理が美しい輪島塗に並べられ出てきました。
被災地支援準備で輪島にやって来た私たちにすると、なんとも贅沢をし過ぎているような、そんな気持ちになり、恐縮していると、
奥様が「せめて、こんな時でも泊まってくださるお客様には、自分たちができる最大限のおもてなしをして、輪島を少しでも感じていただきたいので…」と仰られ…なんとも言えない気持ちになり、涙が溢れてきました。
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食後、お宿の奥様に、これから私たちが販売させてもらうことになる、輪島漆器の扱い方、洗い方、保存の仕方などを教えてもらいました。
また、お宿の壁には、地元の被災者の方々に独自の支援を活動を続ける為には、まだまだ協力金が必要という言葉と共に振り込み先が書いてある紙が貼ってありました。
東京に戻ってから振り込もうかとも思いましたが、今回、能登半島へ行くために、お財布に自分が寄付できる範囲の現金を入れてきたこともあり、僅かばかりですが募金。
次回はもっと多くの方々と共に再び泊まりに来ることを約束して宿をあとにし、
前日に引き続き、早瀬家へと向かいました。
最後のパッキングをしながら、早瀬家の主婦・隆子さんや息子の勇さんと色々お喋りする中で、
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話題は炊き出しに。
私は、既に炊き出しが必要な時期は過ぎていると思い、この漆器販売で被災地支援のお手伝いをしようと思った、という話を勇さんに伝えたのですが、
「いやいや。まだ食事情も困難な状態が続いていて、出来ることなら炊き出しにも来て欲しいです。生活再建の目処もまだ立たないのです」というのです。
確かに私の目から見ても、能登の復興は驚くほど遅れていて、住民の生活復興が後回しにになっているのは一目瞭然。食事面も不自由されていることは直ぐに理解できました。
この時点で、まだ、販売会も始まっていないのに、更にそのあとの炊き出しも約束することに。
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隆子さんにも「わたし、頑張ってこれらを完売させるので楽しみに待っていてくださいね!」と言っている自分がいて…。
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その言葉は、嘘偽りなく、とにかく元気になってもらいたい。少しでも現状が良くなって欲しい…という一心からでしたが、自分が発した言葉が、すぐさま自分にプレッシャーをかけることに。
でも、東日本大震災の時の支援もそうでしたが、自分一人ではなく、多くの人々の力が集まれば、なんとかなる!とも思ったのです。
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車のトランクや後部座席いっぱいに、早瀬家の家宝である輪島塗の漆器入った箱を詰めるだけ詰めて…皆さんとお別れし、
更に輪島の現実を見るために、輪島の街中や朝市通りへと向かいました。
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ニュースなどでは知ってはいたものの、朝市通りの大火災跡は、まるで戦後の焼け野原かのようで…言葉も出ない状態でした。
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でも朝市通りにの端で、焼け残ったほんの一部のお店の人々が、長テーブルを出し、その上で様々なものを売っていました。
人通りはほとんどなく、歩いているのは工事関係の方々ぐらい。ここは、私たちのような存在がお金を落とさないといけないでしょう!ということで、家族分の輪島塗のお箸や、フグの卵巣の酒粕漬けなど、可能な限り買えるだけ買い物をしました。
同行の享ちゃんも同様に買い物をし、さらに私も気になっていた「輪島プリン」というものも2人分買ってくれたので、せめて輪島市の景勝地であり「世界農業遺産」にも登録されている能登の棚田『白米千枚田』を見ながら食べよう、と向かうことに。
すると、その道の途中で、なんと前日の夜に分かれたばかりの糸魚川の山田さん、長崎の早崎さんとバッタリ再会。
山田さんが「千春さんの全壊になったご自宅、この近くなので行ってみますか?案内しますよ」というので連れて行ってもらうことに。
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千春さんご家族が住んでいた家の近辺は、ほとんどが全壊という状態でした。
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朝市通りに行きましょう、というので、今行ってきたばかりの道でしたがUターン。
今度は瓦礫の中に入ってみました。
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至る所で手を合わせ終え、ようやく『白米千枚田』へ。
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そこでプリンを食べることが出来そうな場所もなく…結局、移動中の車の中でプリンを食べることに。
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出発予定時刻を大幅に過ぎて、輪島を出発することになり、
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再び東京の駐車場に戻って来た時には、午前1時になっていました。
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輪島へ行った48時間のうち、24時間は移動という強行スケジュールでしたが、まずは無事に現地に行き、現状を自分の目で見て、そして自分たちの手で漆器を預かって来ることが出来て本当に良かったと思いました。
被災地支援の販売会は、2週間後。
私たちは早速その準備に取り掛かることにしました。
つづく…