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コロナ時代・新たなる始まり 第1話「ワタシの軌跡と奇跡」

✴︎第1話〜6話までは2020年に書いたものを2022年に編集し直しています✴︎

私は吹けば飛ぶような小さな企画事務所を運営している。しかし、コロナ禍という逆境の中で、2つのお店を新たに開いた。そして更に今、クラウドファンディングでカフェを開こうとしている。

なぜ、私がこのような動きをしているのか、これからこのnoteの中で綴っていこうと思っているが、まずは私自身のことから書くことにしよう。

私は作家でありプロデューサーであり、同時に「自然の叡知と命の尊厳」をテーマに、時代のニーズとスピリットそしてエンターテインメントを融合させた企画事務所『オフィスTEN』の代表でもある。

幼い頃からエンターテインメントが大好きだった私は、学校卒業後、大手音楽プロモーション会社に就職し、その後縁あってファッションショーなどを手がける企画会社で勤務していた。どちらの仕事も企画とコピーライティングの仕事を兼任していたこともたり、子どもの手が離れたのを機に、某新聞社系情報誌を発行する会社で、記者兼企画部長という役職に就いた。仕事と子育てに奮闘しながら更に脚本学校に通っていた時、当時暮らしていた兵庫県芦屋市で阪神淡路大震災に遭い被災した。

価値観が一変する中で、脚本学校だけは通い続け、1996年、連続ラジオドラマシリーズで脚本家デビューも果たしている。

そして1998年。会社を辞めた私は、テレビドラマ脚本の仕事を機に天川 彩というペンネームを持ち、同時に、後に私の人生を大きく変えることになる平和イベント(神戸と鎌倉でおよそ2万人を動員)で神戸事務局長となった。そして兵庫県芦屋市の小さな洋館の一角に個人事務所・オフィスTENを開いた。

2000年には、事務所を東京文京区の根津に移した。これまで数えきれないほどの様々な企画を行っていた。古層文化や信仰、自然の叡智とともに生きてきたネイティブ文化といったものを、プロデューサーとして多くの人々にそして社会に結び繋げてきた。

そして作家としても縁あり執筆もすることになった小説『タイヨウのうた』が、2006年ベストセラーにもなっている。ありがたいことだ。

こう書くとまるでお金があるように勘違いされるかもしれないが、笑うほど無い。いや、厳密には無いのではなく巡らせているのだ。お金も縁も巡るからこそ生かされていく、と常に私は考えている。
『タイヨウのうた』の印税が入った時には、ちょうど今は亡きある映画監督が映画を完成間近で病に倒れた。周囲の協力で映画は完成したものの、人に観てもらったり知ってもらう手段がないので、その映画を配給してもらえないかと相談された。映画の上映会ならそれまでも様々行ってきたが、配給などしたこともない。一度ならず二度お願いされたが断ったのだが、三度目にお願いされ、回復され次の作品を撮れるようになるまで、ということで私は引き受けることにした。

『タイヨウのうた』は映画・テレビにもなった作品だ。それに関わり印税という大金が巡って来たということは、映画の為に使いなさいと言っているのだろうと思ったのだ。結局、この時は映画プロモーションの為に全国キャラバンを組み、各地で上映会を行い、印税の全て使った。

何かの為に自分の手元にあるお金や縁が巡り、何かの役に立つ。この循環こそが平和な世の中の礎になると私は信じている。

随神(かんながら)という言葉があるが、簡単に言えば「神様の言うとおり」という感覚で生きる、ということだ。

1998年に新たなペンネームを授かった時から、私の生き様は変わり、世界中の人々が笑顔で生きられる世の中に少しでも貢献していこうと思うようになった。

このように生きていると、不思議なことや助けられることも多々ある。

平和の民と呼ばれるアメリカ先住民「ホピ族」の存在を知ったのも不思議なご縁からだが、長年通い続け、多くのホピの友から大切なことを学ぶ中、8年前の2014年には、日本で唯一のホピ族専門店を事務所の近く根津に開くことになった。

このお店も随神。まるで神様の意志かの如くミラクルとしか言いようがない流れの中で誕生している。

この店の存在が、コロナ禍の中での新たなる流れと大きく関わっているので、その時のことを詳しく書こう。

2014年3月のとある日。事務所のすぐ近くにあるギャラリーを運営する女性と私は道端でばったり会った。何気なく世間話しをしていたのだが、彼女から、その道の先に新たなマンションが間もなく建ち上がり、一階がお店になるという話をしたかと思ったら、急に何かを思いついたかのように「ayaさん、何でもいいからそこでお店をしてもらえないかしら?」と言い出したのだ。

聞くと、新たに店が出来ることで、通りや街の雰囲気が変わってしまう。私たちの事務所が自然の叡智と命の尊厳をテーマにした企画事務所であることを知っている彼女は、私たちなら何か良い店が出来るのではないか、直感的に思ったそうだ。

あまりに唐突な話で笑ってしまったが、そんなに信頼を寄せてくださることはありがたいことだとも思った。た

だが、肝心のお金は全く無い。それに何かお店をと言われても、それは難しすぎる。何度か私はそう伝えてみたのだが「物件だけでも見て」と彼女に手を引っ張られ、完成間近のその建物の前まで来た時だった。

見た瞬間驚いた。そこはアリゾナのホピの村で見かける小さな店のような空間のようだった。更に真新しい白い壁には、ホピの精霊人形カチーナがズラリと並んでいるように見えたのだ。
感じたそのままを伝えると「お向に大家さんがいらっしゃるから、とにかく行って話してみて」と言い残し、彼女は自分のギャラリーへ戻ってしまった。

途方に暮れながらも、とりあえず私は大家さんを訪ねてみることにした。聞くと建物はあと2日で完成するところだという。「不動産屋さんには月曜日に鍵を渡す予定になっているけれど、土曜日までに決めてくれたら、地元の人だし、あなたに貸したいわ」とも言ってくれた。

お店として運営していくには運転資金も含め概ね500万円はかかるだろうと思った。そんなお金など逆立ちしてもない。
普通なら諦めるところだが、あの見えたものを、もしかしたら実現出来るかもしれない!そう思うのがワタシなのだ。
それは水曜日の夕方のことで期限は土曜日の昼間。実質2日しかない。

私は友人に相談してみた。すると、私が毎週金曜日に発行している私のメルマガで呼びかけをしたら良いという。
それも、一口10万円で支援者を募れというのだ。今のようにクラウドファンディングというシステムすら聞いたことも無い時代だ。
私は到底無理だと思ったが、もともとあって無い話。無くてあるかもしれない話。確かに、500万円集めるには、金曜日のメルマガで呼びかけるしか方法はない。それも24時間以内に。

私が丸一日考え、手を挙げてくださる方をまずは募り、目標額に達成したなら始める。達しなければ始めない。達成した暁には、お礼として以下のものを用意するということだった。
今思ってもそれは、クラウドファンディングそのものだ。

①ホピの精霊カチーナドールをその人用に現地で一体選び、一年以内に送るということ。
②ホピツアーの参加から3万円オフにするチケットを発行すること。
③支援してくださった方が人生で本当に困った時、解決するまで私が付き合う権利。というものだった。

私は木曜日一日かけてメルマガを書き、タイトルを「24時間ミラクルチャレンジ号」とした。
発行直後からもの凄い勢いでメールが届き、なんと24時間で300万円が集まり、その後も支援の声が続き、結局、3日で500万円集まったのだ。まさにミラクルだった。

現地ホピ族の友人たちに連絡すると、皆、大喜びしてくれて、現地でもホピのカチーナやジュエリー作家などアーティストたちを集めてくれることになった。直ぐさまアメリカに飛び、ホピの友人知人たちの絶大なる協力と、寝食も忘れるほどの勢いで動いてくれたスタッフたちとで、僅か2ヶ月で日本で唯一のホピ族の専門店、ホピショップ「Sun&Rain」を完成させたのだ。

その後、少しずつこの店の存在は知られていくようになり、
ホピ族のことについて書いた本『HOPI 「平和の民」から教えてもらったこと』(徳間書店)


が出版されてからは、全国各地から講演会やホピショップの出張展となるHOPIカチーナ展のオファーももらえるようになり、

お店は日本とホピ族の架け橋とも言える店に成長していた。

しかし、2020年春、新型コロナに伴う度重なる緊急事態宣言で、店を開くことも各地でのカチーナ展などもままならなくなった。ネットショップで対応はしているものの、やはり繊細なものが多く、仕入れは直接現地へ行かなければ難しい。
しばらくしたらまた状況回復するだろう、と当初は安易に考えていた。
が、アメリカでの感染爆発を見て、当面難しいことを悟った。売り上げがない店の家賃を払い続けるのは、本当に厳しい。飲食業なら同じように閉めていても、一日数万の助成金が入るのに…と何度思ったことか。でも思ったところで、どうすることも出来ない。それなら自力でどうにか頑張るしか無い。

ホピショップも、もちろんオフィスTENも絶対に守る。

それが私の原動力となり、私は違う道を探ることにした。

…続く


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