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『輪島の海女&漁師一家を応援することを決めたハナシ』その2
仕事と仕事の合間を縫って、ようやく時間を見つけることができたのは、5月20日(月)と21日(火)の2日間。
さて、どうやって能登まで行けば良いのかしら、と思い、色々調べてみました。
一番ポピュラーな行き方は、金沢まで新幹線で行き、そこからバスで輪島まで…という方法でした。ただ問題はそこから先。やはり車が無いと不便すぎる。
それなら、羽田から能登空港まで行って、空港でレンタカーを借りて、とも思ったのですが、調べるとレンタカー屋さんそのものが被災し閉鎖していました。
金沢でレンタカーを借りて,というのが一番現実的な気もしていましたが、調べると金沢から輪島までの道路がまだ完全復旧されておらず、片道3時間以上かかることがわかり…。それならいだそのこと、東京から車で行った方が良いのかな、と。
ただ、私はペーパードライバー。享ちゃん一人で東京から運転するだなんて無謀過ぎるので、誰か交代で運転できる人がいたら、それもアリだけど…。
でも、享ちゃんに相談してみると「私一人で運転大丈夫ですから、それで行きましょう!」と言ってくれたのです。
宿泊に関して、山田さんから、寝袋を持って来たら、寝られる場所はあるよ、と教えてもらっていました。
ただ、片道10時間以上、現地での運転も含めると、2日間で24時間以上運転してくれる享ちゃんに、せめて夜だけはちゃんと体を休めてもらいたかったので、宿を探すことに。
当初、経費を節約する為、とにかく安く泊まれる場所を探していました。ただ、色々探していた時、安いお宿というわけではありませんでしたが、応援したい!と思える宿を輪島で見つけたのです。
その宿も、もちろん被災し数ヶ月は使えなかったそうですが、4月にようやく再開。宿のホームページに「被災者の方が家の片付けなどに戻って来られた方は、無料で2泊までお泊まりいただけます」と書いてありました。その心に打たれ、せめて、被災者ではない私たちは、このお宿に少しでもお金を落とせたら、と思い、そちらに予約。
20日午前2時。目を覚ますと外はバケツをひっくり返したかのような土砂降りの雨音でした。コーヒーを飲み気持ちを整え、駐車場へ。
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夜が明けてもしばらくは豪雨の中での移動でしたが、長野県に入り黒姫山が見えた頃には雨雲も切れて、
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午前10時半頃には富山県まで移動することが出来たのです。
輪島の早瀬さん宅に伺う時間は、午後3時。縁を繋いでくれた山田さんもこの日から能登に入るということで、ちょうど、山田さんの活動を追っている、新潟のテレビ局の取材もあるということで、早瀬さんのお宅の前での待ち合わせでした。
私たちは、とりあえず氷見で高速を降り、道の駅でゆっくりお昼休憩を取りました。
富山も場所によっては震災の爪痕が残っているのでしょうが、私たちが通った道には、まだ震災の影響を強く受けた場は見当たらずでした。
昼食後もナビでは、輪島到着は13時半。
とりあえず輪島に着いてから、そのあと何処に行くか決めよう、などと話しながら進んでいたのですが…。
石川県に入り能登半島の付け根に入ったあたりから、急激に道路の状況も悪くなり、崩れていたり、液状化現象で盛り上がっていたりで、車がバウンドに次ぐバウンド。周囲の車も、私たちの車も超低速で走らなければならずでした。
被災者に向かう時、ナビの予定時刻など、全くアテにならないのです。高速を降り、輪島に入った時には、3時ギリギリ前になっていました。
そして、衝撃の光景を目にして言葉を失いました。
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ある程度の想像はしていました。
阪神淡路大震災で被災した時も、東日本で炊き出しに行った時も、大震災後の、被災地の凄い状況は見てきています。
でも、半年近く経とうというのに、倒壊家屋や瓦礫の撤去がほとんどされていない能登の現状を見て、驚くばかりでした。
見た瞬間、自治体や国は、何をしているの?と思いました。
ただ、少し調べてみると、そこには難しい問題があるようで…。
そもそも住宅の解体や撤去には、費用がかなりかかるため、個人で負担するのは厳しく、かと言って放置したままでは復旧が進まない。なので、自治体が費用を負担して、解体や撤去する方法があり、それを「公費解体」というのだそうです。
「罹災(りさい)証明」で「半壊」以上となれば、自治体に申請すると、個人負担無く公費解体ができるらしいのですが、申請するためには、その住宅の所有者の同意が必要で…。所有者が何代も前の人のままで、相続権を持つ人が何人もいて、一人でも連絡がつかないと解体を進めることが出来なかったり、長年空き家で倒壊した家の所有者そのものがわからなかったり。
また、家が密接している場所では解体する時、近隣の家の同意が必要だったりするそうで、権利の問題や責任問題が複雑に絡み合っていて、公費解体がなかなか進まないのが現状なのだとか。
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そのような内情を知ると「自治体は何をしている!国はどうして放ったらかしなんだ!」と怒りの矛先を向けている訳にもいかず。
でも、そんな状況の中で暮らしていかなければならない人々の心情を思うと胸が辛くなります。
だからこそ、今、少しでも何か手伝うことで手を差し伸べることが出来たら…そんな思いから、支援をさせてもらうことにしたのです。
早瀬さんの家は、能登の海の前にありました。
つづく…