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ただラジオ聞いてもやもやしただけなのにACだって事実に叩きつけられる

いやはや困ったことになった。
昨日のオードリーのオールナイトニッポンの話である。
私はなんというかもう2009年からずっとオードリーが好きで、とくに春日さんが好きだった。
得体のしれなさ。ブレなさ。芯の強さ。個性的。
割となんていうかそういうあこがれを勝手にずっと抱いていて、あんな風に堂々とした自分で居たいと思っていた。
が、2014年にラジオでいきなり彼女がいた事を発表し、「え、普通の年下女性と付き合ってるなんて普通…」と自己が描いててた春日さん像と違うことにショックを受けた私は五年ほどファンを辞めた。解釈違い、というやつである。(最近それはヒプマイの一二三にも抱いた。)
しかし、その彼女は実はM1優勝前から付き合ってた、2009年に週刊誌で取られてた彼女とずっと同じ人間だったという事実を知り「やっぱ底が知れない、得体のしれない人物だ」とファンに戻る。そしてANNをまた聞き始めた。
ラジオではテレビとのオードリーの姿が異なる。春日春日、と言ってたが私はラジオの若林さんも大好きだった。(※今はもうテレビでもそういう、素の姿?も出されていますが2009〜2013あたりはそうではなかった)同じ価値観の端的に言えば「ヤベえ」二人が、二人特有の独特の価値観を持ってのびのびと自由にトークするラジオの二時間が大好きだった。今も好きだ。
ラジオを聞いているとこんなに世界は面白いのか!なんて、こんな風に生きてもいいのか!なんて思えてくる。
特に20歳の毒親とブラック企業の板挟みだったあの頃の自分にはそれは光り輝く二時間だったように思える。当時はろくに友達とも遊べなかったし。

で、2020年年明け辺りからまた聞き始めたのだが、やはり面白い。若林さんの自由奔放さ、そして透けて見える頭の良さ。頭のヤバさ。それをどっしりと受け止める、フラットのままで受け止める相変わらずの春日さんの芯の強さ。
やっぱ好きだな〜と再認識していたのだが。

ここで話は冒頭に戻る。
先週のラジオではいきなり春日さんがお子さんが生まれたことを発表した。妊娠した、ではなく、いきなり「父になった」と。
普通妊娠の時点で言うと思うのだが。しかも生まれたのは先々週である。それを生まれた週には言わなかった。生まれた週は普通の話をしていた。それなのに、先週「今週は何もなかったので先週の話で申し訳ないんだけど、子が生まれました」と。いや先週言うだろそれは、いや生まれてた、いや、は?得体のしれない、好きだ…となった先週のラジオであったが
今週のラジオの話である。

春日さんのトークが「子を愛する子煩悩トーク」だったからである。

いやきつかった。
シンプルに子を愛する親の話っていうのを自分の中に入れるのがしんどい。
子を愛する親はやっぱりこの世にちゃんといるんだな。むしろそれが普通で、そうならなかった私は一体なんなんだ。やっぱり私はおかしいんだ。ああ、わかっているけどそれをこういう話を聞くたびに突きつけられている気がするなあ。


結局は自分の話である。
そしてそう思った自分が許せないのである。

じゃあ許せる自分ってなんだろう?

A:「こんな気持を抱いた自分は最低です。すいません無条件に崇拝します」とファンを続けること?
…うーんそれはすぐ精神的にギブアップしそうな気がするなぁ。
B:「こんな気持を抱いていては当人にも他のファンにも悪い。人様に迷惑掛けてはいけないから私はひっそりファンを辞めます」とファンを辞める
いやいや。お前ごときが何様なんだよ。しかも人のためにって大義名分抱えていることがいやらしい。
C:「いや私はショックだったよ!だから親子ネタは苦手!」と開き直ってファンを続ける。
正直一番これはやっちゃいけない、と無意識で思った。

が、多分正解に近いのはCだ。
何が何でも盲目で苦手すら我慢する。
好きだって気持ちはあるのに我慢して逃げる。
に比べたら、苦手もあるけどファンで居続ける。が多分精神衛生的にとても良い。
ただ、「苦手なんだよやめろ!」って喚くのは違う。
殊更匿名が復旧したネット社会でそういう人たちの書き込みをよく見かけるけれども、喚いた先にあるのはアンチ行為。5%の苦手が100%だめになり、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い心理でファンも苦手になり、苦手にさせたお前らを許さないと自分が苦手なだけなのに〇〇に悪い!と大義名分どこからかこしらえて攻撃的になり…となる。ネットばっかりやっているのでそういうケースを良く知っている。知ってるがゆえにCは無意識でやっちゃいけないと思ってた。
Cを選んだら「常軌を逸したアンチになってしまう!攻撃的な救いようのない人間に!自分ごときが!思い上がるな!」と即座に思ったからである。

Aを選べばその瞬間はマシな人間になれると思うが後々精神のバランスを崩し100%盲目のファン活動を行えなくなり結局自分は駄目だと自分が嫌いになる。
Bを選べばその瞬間に自分の醜さに自分が嫌いになる。
Cを選べば道を踏み外せば自分が嫌いになる。そして自分は必ず道を踏み外すだろう。そして自分が嫌いになるのだ。

もうここまで来たら「なんとしても自分が嫌いになりたいのだなあ」と思うしかない。
この問題の根本にあるのは「いついかなる時も、誰かに不平不満を漏らさず迷惑なんてもってのほか、『自分』という色を出さず、他人の為に生き、誰かの役に立ち奉仕し続けなければならない。そうしないとお前は生きる価値などない」という気持ち。


・・・。
・・・。
いや、待ってくれ。怖い。

この文を今私は一時間以上掛けてゆっくりと書いてきたのだが、自分に向き合うとはいやはや怖い。こんな事を書くつもりなかった。『ラジオ聞いてモヤモヤしたから頑張って苦手を克服するって決心するために書かなきゃ…』と思ってPC開いたのだが・・・。
アダルトチルドレンの愛着障害のADDだなあ…とは脳内で己のことを思っていたがここまで酷いとは思わなかった。


どーしたものか。

カウンセリングに行くべきか?でもカウンセリングって高額な金だけとって適当にあしらわれるだけだし、そもそもADDだからか一方的に話聞くと5分後には確実に寝るから睡魔と戦うだけの時間になってしまうし、グループワークだと多分喋りすぎて嫌われるだろうから、結局治す方法なんて無いんじゃ?

詰んだな。これは詰んだ。(またかよ)


いやはや難しい。
アダルトチルドレンの回復方法を軽くぐぐってみると「親を責めるのはやめて未来を見ましょう」とあるが、未来を見る方法は具体的にどうするのか教えてほしい。「親と和解して育て直してもらう」っていうのは、母親の声を聞くと泣いて吐いてしまう私にはもってのほかだし。
いや「○○だから無理だ」って思うのが悪いのかもしれない。トライし続ければいつかきっと…。昨日書いたように”経験を捨てる=色眼鏡を外す”っていうのが真理なのでは。

「ただ息をしてるだけで自分は素晴らしい。この世に生きてていいんだ」って心の底から己を許すには一体どうしたらいいんでしょうね。

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