NICU
私達の娘は産まれた時に新生児仮死という状態だった。
娘は総合病院で産まれたのだが、その病院の設備では不十分なため、すぐに大きな大学病院へ搬送された。
そのため私は娘を産んだものの、2日間くらい娘の姿を全く見ることができなかった。(産まれた瞬間も見せてくれなかったので、本当に一度も見ていない)
程なくして私も娘の入院する大学病院へ転院することになった。
訳も分からないまま、ボロボロの体のまま。
病室を案内されて一通りの説明が終わり、遂に娘に会えることになった。
「え、今から、あえ…る、の?」
「そうだよ、会えるよ、かわいいよ」
訳が分からなかった。
10ヶ月間ずっと私のお腹の中にいた娘は、帝王切開手術で私から取り出され、姿を一度も見せることなくいなくなってしまっていた。
会いたい、という気持ちは強かったけど。
正直訳が分からなかった。
車椅子を押され、私は産科のすぐ横にある他の病棟に到着した。
そこがNICUだった。
石鹸で手を洗い、携帯の電源を機内モードにし、消毒をする。
車椅子は進む。
そしてアラームの様な機械音が鳴り響く薄暗い部屋に到着する。
部屋の奥の方、小さなベッド
そこに娘がいた。
娘を目の前にして、変な嗚咽が漏れる。
泣くという事は予想していたけど、こんな泣き方とは。
うぅ、ぅうう…
これが私の娘か。生きてる…。
触れるのが恐ろしかった。
私にはまだ、かわいいとか、うれしい、とかそういうのは分からなかった。
ただ、そこに私の娘がいる。大きな衝撃というか、なんというか…
それから私は毎日その部屋に通った。24時間いつでも面会していいことになっている。体はまだ痛く、産科からよたよたと歩いて通った。
触れるたびに、見るたびに、どんどんかわいくなった。
かわいくて、かわいくて、仕方がなくなった。
そして同時に涙が溢れた。
あぁ、かわいい。あー、かわいい。
ごめんよ、ごめんよ。
たくさんの管がつながれている娘を見て、胸が締め付けられた。
NICUの看護師さんはみんな優しかった。
ここに通う両親の心は、触れるとすぐにでも壊れてしまいそうなほど限界に近い状態だということを知っていた。
「元気に動いていたね!」「とってもかわいいね」「おりこうさん!」
連絡ノートには看護師さんからのそんなコメントが書かれていて嬉しかった。変な言い方だけど、こんな状態の子にもこんな明るい言葉使ってくれるんだって思った。
ここは本当に優しい場所だ。
それと同時に、危うい状態にある小さな命を慎重に守る、緊張感のある場所でもある。そのせいか、ここに来ると私はどっと疲れてしまう。頭痛が起こることもしばしば。
だけど私は娘に会いに行く。それは細胞にインプットされているみたいな、当たり前の行動という感じがする。感情とかはない。会いたいという強い思いというよりも、会うのが当たり前というか、勝手に体が動くと言うか。
娘を残して退院した今も、私と夫はほぼ毎日娘に会いに行っている。
車で40分くらいかかり、正直毎日はちょっとしんどい。
でも会いに行く。顔が見たいのだ、かわいい娘の。
NICU、GCUで働く皆さん、本当にありがとうございます。
娘の命を繋いでくれて、かわいがってくれて、本当に本当に感謝します。