一度死んだ銘仙を復刻させる。殖産興業の中心地、群馬から。
なぜ、Ayは群馬にこだわるのでしょうか。
なぜ、東京ではなく群馬を拠点とするのでしょうか。
ブランド立ち上げの時から見上げていたのは、広い世界。
感じていたのは群馬という地域におけるものづくりの可能性。
足元に広がる魅力を必ずや、世界に伝えたい。
地域が紡ぐ文化の価値を地域が享受する形をつくりたい。
地域がつなぐ技術は産物になり、習慣になり、文化となる。
それは群馬を越え、東京を越え、全国へ、そして海をも越えてゆく。
期間限定ストアご来店ありがとうございました
2021年12月1日−7日
Ay誕生の地、群馬県。高崎にある老舗百貨店、高島屋。
Ayの世界が生まれる1週間、無事に終えることができました。14工程にも及ぶ職人技術が生み出した文化、銘仙をここ群馬から発信していく。地元に根差しながら、世界を目指すAyの初となる高島屋出店でした。
なぜ、群馬で催事をするのか?
Ayは群馬県出身の代表 村上采の「銘仙を紡ぎたい」という想いから生まれました。衰退する技術も文化もある中で、村上のアイデンティティの一つである銘仙はなんとしても残したい。
すでに銘仙は一度死んでしまっている。
どこも伊勢崎銘仙をつくらなくなってから、半世紀以上経っています。新しいものはつくれません。職人がいない、つくっても労働と対価が合わない、分業制であったこと、普段着という文化、着物市場の衰退。さまざまな要因があります。(現在 再稼働している埼玉県秩父にて3工房ありますが、群馬にはありません)
銘仙はどこからかパワーを感じます。テキスタイルが斬新でモダン。当時のデザイナーは遊び心があったのでしょう。見ているだけでワクワクします。身につけたらどんなに面白くなるでしょう。
着物として衰退が進んだのであれば、テキスタイルとして活用しよう。
他にはない銘仙の独自性を活かしてお洋服を創ろう。
そんな想いからAyは”文化を織りなおす”カルチャーブランドとして生まれました。
変革の地、群馬県にて ものづくりをする
殖産興業の地として、海外に肩を並べるため産業を強くする国内の拠点、群馬県。質の高い養蚕業を行う富岡製糸場を中心に国内のものづくりを強化しながら、国内初・女性の社会進出を促しました。
群馬県は、養蚕業・製糸業・織物業などが盛んな地域で日本全国でもトップの生産地でした。世界遺産である富岡製糸場があるように殖産興業(明治政府が西洋諸国に対抗し、機械制工業、鉄道網整備、資本主義育成により国家の近代化を推進した)の中心になり、全国への流通網でもありました。
敗戦後、日本は政治・経済面で欧米から搾取されるような立場にいました。なんとか、肩を並べるべく養蚕家出身の渋沢栄一が民が回す経済から日本を強くしていこうと変革を起こしていきました。
あれも、これも、繊維工場が集まる群馬県
地域全体で繊維業に携わることが一般的で、養蚕する家、桑(蚕のえさ)を育てる家、繭から生糸にする家、生糸を全国へ出荷する卸、染め屋、布を折る機屋、など。家ごとに仕事があって、地域全体で動かしていました。
そんな地域の強みはやがて洋服が主流になるにつれ繊維産業につながります。群馬県伊勢崎市・桐生市を中心に、縫製工場、染め工場、刺繍工場、織工場、などが集まります。
繊維にまつわるあれもこれもが集まる群馬県。
そんなものづくりの魅力あふれる地域で、より地域に循環させたものづくりをしたい。まだ小さいブランドだけれど、いつか大きな循環をつくる。
Ayの商品は全て、群馬県伊勢崎市の縫製工場にて生産をしています。工場長は大変気さくでいつも応援のお声をいただきます。いつもここでものをつくることができる、喜びに溢れています。なくなってほしくない。
地域が強くなればなるほど、Ayも広がる。
Ayが広がれば広がるほど、地域は発展していく。
【12/15(水)〜26(日)】 高崎タカシマヤ4階にてポップアップストア開催
12月1日〜7日まで2階にて開催していたポップアップストアの好評につき、再びAyが4階に出店させて頂きます。一年の自分へのご褒美にぜひお手にとってみてください。
19日(日)には代表村上も店頭にてお待ちしております。みなさまのご来店、心よりお待ちしております。
SNSをフォローして最新情報をチェック
発売情報やポップアップストアの詳細などをメールマガジンと公式ラインで配信しておりますので、ぜひご登録ください💫
みなさまの応援を糧にこれからも頑張っていきます!いただいたサポートはメンバーとのミーティングのお供お茶菓子を購入させていただきます🍵