散策日記 : 宮崎県児湯郡高鍋町 一筋通り(十日町・六日町あたり)
2024年9月21日(土)
旧高鍋藩時代の城下町であった一筋通り(十日町・六日町あたり)
高鍋町の路地裏を車でぶらり
運転中・・
嫁さん「いまパン屋さんがあったよ。」
(私は大のパン好きで、今日はお目当てのパン屋に行ったが売り切れだったのでうろついていた時だった)
車を止めた
“ポチぱん” 店に入ったら・・
パン屋でなく古民家カフェだった。^ ^;
覗いただけで、すぐに外に出た
車を止めた向かいに
佇まいの整った古い小さな家があった
“小澤治三郎生家”と大きな表札がある
誰だろう?
調べてみた・・・
小澤治三郎(おざわじさぶろう)
日本の海軍軍人で第31代となる最後の連合艦隊司令長官を務めた人物とある
(ちなみにあの有名な 山本五十六 は第26-27代の連合艦隊司令長官)
再び、ゆっくり走行
ちょっと目を引く大きなレトロな建物を発見 !!
嫁さん「なんかいい感じだね? 整骨院みたいだょ。」
私「へぇ。そうなんだ? 」
車を止めて建物の写真を撮った
建物の入り口に暖簾があり張り紙を見たら・・
“せいごろう亭カフェ”というお店の名前だった
そしてその建物の手前隣に “接骨院”の看板があった ^ ^; 笑
建物のちょっと先に神社を発見
車を寄せて参拝した
“火産霊神社”
「何と読むのかな・・??」
手掛かりなくネットで調べた
“火産霊(ほむすび)”と読むようだ
高鍋町に度々大火があり、その難を逃れ、町の安全を願うために建てられた”火の神様”。地元では「こうじんサン」と呼ばれているらしい
古い建物が並ぶ
路地裏の小さな走行だったが
読み違い・勘違いの楽しいひとときだった ^ ^
ちなみに「整骨院」と思って立ち寄った建物は
帰って調べてみたら
“旧黒木清五朗邸”といって明治期に建てられたものだった
黒木清五朗氏は「日向銀行(宮崎銀行)」の発起人でもあったらしい
その後、この一筋通りを北に進むと、
傑作焼酎「百年の孤独」の蔵元・黒木本店があるが
このあたりはまたの機会に・・。
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