SNSの均質化は個性の押し殺し
9月から一部のSNSを休止しはじめた。
理由は疲れたからではなく、コロナ禍が長期にわたるなか各ユーザーの利用意識が均質化しつつあってみずから発信しづらい環境になってきたことである。
私は2008年よりFACEBOOKとTwitterを開始し、2015年ごろInstagramを開始した。当初はまだ深いつながりもなく、各ユーザーが自由に個性豊かな発信をしつづけていた。
道中の旅行、人生の節目、出会いと別れ、日本のこれから…夢は語り合い、人は躍起にあふれていた。
そういう時代がつづくと思っていた。
だが2019年12月に発生した新型肺炎を期に、意識は180度がらっと変わってしまった。翌年すぐに台湾へマラソンをしたのち熱がでてしまったが、出社するやいなや「ウイルス認定」とこれまでにない強烈なバッシングを受けた。もちろん、過労による熱を押し殺されて。
SNSは彩りの発信から誰もが恐怖心をいだくようになり、姿のみえない情報統制へと変化しつつあった。コロナウイルスがまん延するほど、ますます先細りしてしまうように見えた。
本当に発信したい情報がいまは姿のない「自制心」と「没個性」によって色は塗り替えられた。
ここに居場所は本当にあるのか、僕にできることはなにか。少し視点をはなれて考えてみたい。