⑩大好きな母、横内先生との出会い


11月12日(月曜日)
医療センター内科診察。
「診察は3ヶ月に1度で良い」
と言われる。


この日は、横内医院の初診の前日だと云うのに、
午前中は、医療センター、
午後からは、永井外科での点滴と、

1日バタバタして、気が付いた時には夕方6時。

ふと、(明日の横内医院の時間は何時だっけ?)


と思った時には、横内医院は終わっていた。


青ざめて、友達に聞いて回るが、2時、2時半、3時、と皆言う事が違う。


(本当に明日だったかな?)
変な不安も出て来て、
眠れそうに無い。

友達が「明日、朝1に横内医院に電話して確かめるから!」
と言うので、少し気を落ち着かせて、
準備して寝る事にした。

皆を巻き込んで、横内医院の初診にこぎ着けたのに、

これで日にちが、私の聞き間違いだったらどうしよう?!
と不安で寝付けなかった。

友達は友達で、引き受けたは良いが、
「今日じゃ無いですよ!」
と言われたら、どうやってゴリ押ししたら良いの?
と、心配で心配でたまらなかったらしい。

11月13日(火曜日)
朝6時に、母宅へ。
母の上司が、小倉駅迄送ってくれた。


都市高速から
見える朝日がとても美しく、
「良い出発だね!!」
と今日の日を迎えれたのが、
嬉しい気持ちが半分と、
不安が半分、


無事、新幹線に乗った。

叔母と従兄弟が、博多から乗っていて出迎えてくれた。

9時36分、友達から「横内医院予約は2時半やけど、30分前の2時には医院に付いてて!」
と一刻も速く知らせようとしてくれた、誤字脱字だらけのメールが届いた。
とにかく嬉しかった!


友達は、何と言って横内医院に電話してくれたのか?と想像したら、


気持ちが落ち着いたのか、笑いが出た。

友達には感謝!!


12時30分、東京駅に付いた。
頼んでおいた車椅子を持って、駅員さんが席まで迎えに来てくれた。


東中野迄行きたい事を伝えると、
車椅子を押して、
倉庫の中を通り、
「お茶の水で乗り換えると、階段も無く解りやすいですよ!」
と丁寧に教えてくれる。

本当に簡単に、東中野に付いた。


13時30分には、横内医院に辿り着けた。


スタッフの方々が、優しく出迎えてくれる。


無事に、辿り着く事だけを考えていたので、本当に嬉しかった。

横内先生のビデオを見ている内に、時間が流れる。

母が呼ばれた!

私は、まだ外で待つ様に言われる。
ドキドキした。
どんな告知をされるのか。

私も入って良いと、呼ばれる。
私が外で待つ間、(オーリングテスト)をしていた様子。


横内先生は、私の顔を見て、「体のどの部分にも、癌の活動はありません!安心して良いですよ!」
と言った。


そして、テキパキと説明に入る。
人を惹き付ける様な話し方をされる。


何故、癌になったか、考えましょう!

先ずは、電磁波、母は20年コンピューターの仕事をしている。


コンピューターや、携帯電話からはかなりの電磁波が出るらしい。


そして、1番は煙草、
母は吸わないが、父は凄いヘビースモーカー、

そして、会社の皆さんもかなり煙草を吸うらしい。


吸っている人の害が、1としたら、横にいる人、つまり副流煙の害は52倍だと言う。

それから、よく扁桃腺しましたね!と言われた。

母は、扁桃腺が弱く、
手術はしているが、良く寝込んでいた。

扁桃腺や、膀胱炎を起こす細菌
(クラミジア、トラコマーテス)が、
母の肉腫にあったらしい。


これは扁桃腺だけではなく、癌の原因菌になっている。


今日まで一番重要だった、(癌)の薬は無くなったが、この菌を殺す薬はまだ必要なので、

薬の内容が変わる。

横内先生は、一人一人に合う薬を、(オーリングテスト)で見極める。

食べ物、日常生活の指導があり、


3ヶ月後に来てください!との事、

癌の活動がある人は、
2週間に1回と聞いていたので\(^o^)/という感じ。

横内先生は、又お会いしたい!と
強く思わずにはいられない程、
凄いエネルギーを感じた。

一目見て、大ファンになってしまった。

母のカルテは、初診と云うのに、ズッシリと厚く、

私が日々送っていたFAXも、
全部入っており、
「面白い御手紙沢山有り難う!」と笑った。

煎じ薬は、35日分出たので、3回分を持って帰り、
後は郵送をお願いした。

とにかく嬉しくて、横内医院を出るなり、父と弟に電話をかけた。

母は、行きは車椅子を使って、ヨロヨロと辿り着いたのに、

帰りは、いきなり元気になり、
帰りに京都に行こう!!
とか言い出した。

従兄弟に、京都の駅の近くの宿を取らせ、
ズンズンと歩く!

京都の宿で、美味しい物を沢山食べて、叔母と二人で直ぐ寝てしまった!

翌日、早朝から叩き起こされ、
電車を乗り継いで、

五条に行ったり、
バスに乗って、紅葉を見て回った。

私は、とにかく横内医院に辿り着く事しか考えて無かったので、

何処に行ったのか、全く解らない始末。

必死にヨタヨタと付いて回った。

11月14日(水曜日)
夜も九時を過ぎて、やっと家に帰り着いた。

父は、「生還おめでとう!良かった!」と母の顔を見て泣いた。

11月15日(木曜日)
早朝から母が、「お早う!」と元気にうちに来た。
私は、体のアチコチが痛くて起き上がれない。

「何でそんなに元気なん?」
と聞くと、横内先生が、お腹に手を当てて(気)を入れてくれたと言い張る。

「月曜日から、仕事に行くよ!」
と言うので、ビックリ!
横内先生が、無理をしない程度なら良い!と言ったらしい。
「一応点滴には行こうよ!」
となだめる。

永井外科には、永井先生への感謝のお手紙と、東京と京都のお土産を持って、挨拶に伺った。

夫の実家に、子供達を迎えに行く。

11月16日(金曜日)
永井外科に、点滴をしに行く。
永井先生が、「お母さん、何か元気になって良かったね!」
と言ってくれた。


11月18日(日曜日)
皆で、大分県迄行き、
4ヶ月ぶり?の温泉に入って
ゆっくりした。


11月19日(月曜日)
仕事初め。
まだ無理はさせられないので、
母の上司が迎えに来てくれて、
会社で昼御飯を食べて、
1時半に迎えに行く。


この日、生きて退院したら買ってあげようと思っていたドコモD503の赤を買いに行った。

11月21日(水曜日)
母が生き生きとしてきた。
もう無理はさせないし、
煎じ薬は
何処に行くにも持って行かせ、
横内先生から言われた生活を送る。

癌の活動が止まっただけで、
まだ、これから先も気を抜けないが、
食事が出来ない時は、

早目に点滴に行ったり、

仕事でも無理をさせない様、しっかり管理していきたい。





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