猫よ、人の望みの喜びよ
※ペット死の内容なので、読む方は自己責任でお願いします!
今月14日、うちの実家の愛猫が天国へ旅立っていきました。
16日にお見送りと火葬も終え、気持ちの整理をつけるためにこれを書き走らせています。
こうやって別れの文を連ねるのは、グリーフケア
の一環らしい。
去年の夏に乳がんが見つかって手術したものの、今年10月に再発が発覚して、すでに肺に転移していることや、手術での負担も踏まえ緩和ケアに入りました。
約2ヶ月、長いようで短かった間、毎週できる限り実家に帰って触れ合える時間も作って一緒に時間を過ごすことが出来たので不思議と後悔はありません。
老衰や突然死でなく、訪れるべくして訪れた死だったために、自分の時間と折り合いをつけて沢山会いに行くことができたし、1番可愛がっていた母が最後を看取ってくれたので、今頃思うように動かない肉体なんか手放して自由に遊び回ってることかと思います。
会う度に体調の善し悪しが変わってみんなで一喜一憂していて、11月末にはまだまだ食事やトイレも自力で出来ていて凄く元気で「一緒にクリスマスと、年も越せるといいね」って言ってたけれど、
12月入った頃に急に食事を受け付けなくなって、数日に1回の点滴が頼りになり、最終的には体重がたったの2.5kg、ほとんど肉もなく骨と皮の状態でした。
ふわふわだった自慢の毛並みも、自ら整える力もないのでひと撫でするだけでどっさり毛が抜けて血の気が引きました。
痩せ細って浮き出た骨が突出しているので、恐くてブラシも使うことが出来なかった。
自力で立てないので自分で飲水もトイレも出来ずに、糞尿で汚れた毛を拭きながら徐々に死期が近づいてるのを感じつつ、撫でている時だけはふにゃふにゃしていたので安心していたのですが、
14日の仕事終わりに丁度母から電話がかかってきて急いで帰宅すれば、号泣する母の傍にいつも気に入って寝ていたベッドと、不自然に盛り上がったタオルケットがありました。
なんと呆気なく、儚い。
私が会った最後は13日の日も昇っていない早朝で、私が出かける用意でバタバタとしてるからかお見送りで起きてきて「まだまだ頑張るんだよー」とおでことおでこを擦り合わせて、そのままお別れになりました。
毎回「これが最後になるかも」と覚悟しながら実家を後にしていたものの、いざ死に直面すると私も声を上げてわんわん泣いてしまった。
ただ面白いのが、顔をよくよく見てみれば、うちの猫ちゃんはいつも半目でぐーすかぴーすか寝ていたのですが、亡くなったあとまで半目で(閉じても閉じても瞼が上がってくる、よくあるらしい)それを見た瞬間笑ってしまって、さらに触るとまだ暖かくて、まるで寝ているみたいで安心しました。
癌は幸い自壊もせず、最後の最後こそ苦しかったと思うけど、長い目で見ると身体的には楽に過ごせるサポートはしてあげられたかなと思います。
ああ、13年か、そんなに一緒だったんだな、と見慣れたはず実家を見回しながら、火葬を終える間沢山思い耽りました。
私が高校1年生の時に、雨の中の土手で1匹、親とはぐれたか捨てられたかで死にそうになってるところを母が連れ迎え入れた子だったのですが、首輪をつけては自力で外し、抱っこも嫌いですぐに噛むし、なのに寂しがりなのでぴっとり誰かの横にくっついている、とにかく自由奔放な子でした。
猫を迎えるまで綺麗だった壁やソファは、専用の爪とぎに目もくれず色んなところで爪を磨ぐからどこもかしこも剥がれたり毛羽立ってぐちゃぐちゃで、
どの毛布もクッションもぬいぐるみも、毛が寝て小さな窪みができてぺたんこだった。
実家に置いてある服は、取っても取っても白い毛が舞っている。
亡くなった翌日、仕事から帰宅して撫でても何も反応がない毛玉に、当たり前のように恩着せがましくまた大袈裟に「ただいま!私おらんくて寂しかったな、やろ」と話しかけていました。
本当にそれが、私も家族みんなずっと当たり前だった。
ふにふにで可愛いピンクの鼻は死後1日も経つと赤黒くなっていて、頬を擦り寄せても嫌がって避けることもなく、いつもの匂いが鼻をくすぐった。
凄く大切な13年だった
忘れられない2022年になった
人間との生活はどうだった?不自由なく楽しんでくれたなら嬉しいよ!
私の寿命はこれから長いか短いかわからないけど、私は君より長いのは確からしい。
これからも私は、春が来たら外の匂いを胸いっぱいに嗅ぎながら、風に揺れてる花草や庭に遊びに来た鳥を目で追うだろうし、
夏の暑い日はクーラーで冷えきった部屋の床でご飯もお風呂も全て後回しにして寝そべって仕事で疲れた体を癒すだろう、
秋は部屋干しの洗濯物が並ぶ湿気た部屋で、まだまだ仕舞う気のないホコリの被った扇風機に煽られて、
冬の日はこたつでのんびりしながらテレビから流れる年末年始の特番で聞こえてくる笑い声をよそ目に、暖かくくるまって寝ようかな。
そうやって1年、また1年と、過ごそうと思います。
またね。
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