米国企業で働くのは結構キツイ
*別プラットフォームで運営していた過去の記事を移行したものです (2019年)
先日、米国で初就職した友人と「米国企業で働くのキツイ」話で盛り上がり。自分が不甲斐無いだけだと思っていたのだけど、実は結構みんな苦しんでるんじゃ?と思ったので、これから同じような環境で働き始める方に役に立てば良いなぁと思い、感じた事を書いてみようと思う。
米国企業での仕事の難しさ
昨年末からフリーランスデザイナーとして関わっているUXプロジェクト。私にとっては初の完全アウェイ米国環境での仕事。以前米国で働いていた際は、日本人のボスに日系企業のクライアントな環境だったので、もちろん米国現地企業とのやり取りは多かったものの日本語を使う仕事と半々くらいだった。
以前、大学院のグループワークについて行くのが大変との弱音もはいたが、仕事の環境でも基本的には同じ壁が立ちはだかる。英語ネイティブと同じスピードで同じレベルのアウトプットが求められるのだ。
UXデザインプロジェクトは、「デザイン」とはいってもアート寄りというよりはサイエンスに近いと思っている。ビジュアルデザインに落とし込むところでは、バランス感覚などの感性も必要とされるが、そこに到るまでの内容の選択だったり遷移を設計する際は論理的思考とそれを伝えるコミュニケーション力が重要になる。資料作りとプレゼンである。
前職のコンサルでも、広告代理店時代も資料作りの経験は積んでいるし得意な方だと思っていた。もともと海外クライアントとのやり取りも多かったので、英語の資料を作る機会も日本語での経験を上回るくらい。一番キツイのは、言葉のニュアンスの差。え、ここ?というような箇所で指摘が入る。
そういえば、レビューをする人が英語ネイティブに近いのは今回が初めてである。多分、ネイティブとノンネイティブの許容範囲の差から来てる。日本ベースの「グローバル・プロジェクト」では、少しずれていても相手も理解しようと努めてくれたりするし、色々な拠点にいるノンネイティブが集まっている場合には更に許容範囲が広くなり、言いたい事が伝われば良いくらいの期待値な気がする。
指摘を受ける所を見直してみると、文法や意味は間違っているものではないが、最適なものではないような場合。多分、ネイティブには引っかかってしまうんだろう。日本語を母国語としない方の会話で、確かに引っかかる事はあるから分からなくはない。これを矯正するには、ニュアンスも含めて1つずつ覚えていくしかないように思う。
私の一番の課題は、説明の仕方だと思ってる。どうも英語になるとうまく説明できず。ボスは見かねてか、クライアント会議の前には資料の確認を兼ねて説明のフローを一緒に確認してくれている。本当にありがたい。
上司の指摘に救われた話
先日のクライアント打ち合わせ前にも、例によって確認会をし、ふとボスが忠告してくれた事があった。その前に少々説明すると、このプロジェクトにはグローバル企業の本社チームと日本チームが関わっていて、クライアントのセキュリティ規定により打ち合わせはカメラや画面シェア無しの電話会議の形式を取っている。私が進行する間に、妙な間が生まれてしまうのを指摘された。
私自身悩んでいるところでもあった。ビデオ会議なら経験があるが、相手の様子が全く見えない中、参加者が10人を超える会議などこれまでにやった事が無い。特に特定の人に向けてプレゼンしているワケでも無いので、誰も相槌を打ってくれない環境は私にとってとても慣れないものだった。日本人的な?様子を伺う姿勢が出てしまい、誰か何か言いかけている?ような空気を感じて待ってしまう癖が付いていた。
あーやっぱり、間が空きすぎてるって感じていたんだね。ボスに言ってもらって、本当に助かった。おかげで結構しつこく「次行っていいですかー?続けますね」と言い続けた結果、前回の打ち合わせはかなりスムーズに進み、議論も活発に交わされチーム&クライアント共に「有意義な会議だったね!」と言ってもらえた。
確かに、行間を読む日本文化に対し、言わないと解らないでしょという姿勢の米国。あそこまで言葉にして進行してしまっても良かったのね、との気付きを与えてくれた。直せそうな所をちゃんと指摘する文化は心地が良い。
多分、日本でも新卒の時に教わったお作法的な事。米国は名刺の渡し方やエレベーターの乗り方といった形式的なマナーには比較的寛容だと思う。けれど、プレゼンや社交辞令、言葉の選び方には暗黙のスタンダードが存在する。新卒で米国で就職すれば、自然と身につくものなのかもしれないが、中途からキャリアを積もうとする際には、新卒の時と同じように学んでいく姿勢が必要だと感じてる。米国流の仕事の仕方を身につけていきたいものである。
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