道化師の苦悩
ええ、わかりました。できるだけ、端的に言います。僕は何をしていても笑えません。
クスリともしないんです。ええと、いつからでしょうか。確か、2年前に仕事を始めてからでしょう。ええ、そうです。仕事を始めてしばらくしてからです。仕事が僕を故障させてしまったんです。
高校を卒業した僕は母のために仕事に就きました。それまでは国から扶養を受けてました。家には僕と母と一人の妹だけです。でも母は病弱。年のせいもあってみるみる衰弱しています。だからとても働くことはできそうにないんです。ああ、可哀そうに、最近では起き上がることさえ僕の介護がなくちゃできなくなりました。妹は、まだ、たったの7才です。今年の四月に小学校に入学しました。毎日、楽しそうに通ってます。可愛いもんです。帰ってくると学校であった楽しい話をたくさん聞かせてくれるんです。それだけが唯一無二の僕の楽しみです。でも悲しいことに、妹にも、僕は笑顔を見せてあげることができません。作ることさえできない。それでも、妹は太陽のような笑顔で僕に話してくれます。僕は、そうかそうか、ああ、それはよかったね、と無神経な空返事をすることしかできないです。
仕事はつらいです。仕事の最中は惨めでたまらなくなります。給料も正直良いとは言えません。薄給の中の薄給。実はここだけの話、誰にも言っちゃだめですよ、ばれちゃ即クビだろうから。実際、最低賃金を下回ってるんです。待遇? 最悪です。でも、残念なことに、能無しの僕には、これぐらいしかできる仕事はありません。渋々受け入れるしかないんです。最低賃金以下の仕事にしか就けない僕は社会にとってのお荷物で、社会の中で一番下にいる人間なんだ。
いや、ひょっとすると、僕より下がいるかもしれない。それは父だ!
僕の父は僕がようやく読み書きができ始めるくらいの頃、間違いを犯して警察に捕まりました。裁判の末、懲役刑になって、まだ刑期も、えっと、確か数年は残ってるはずだと思います。ああ、あいつは最低な父です。妻子がいるにもかかわらず刑務所に一人入って、僕たちは食べるものに困窮しているというのに、寝食が保証されている場所で僕たちよりも快活しているんだから。ああ許せない。でも僕も人のことを言えないかもしれない。中学の頃、母が詐欺にあってしまって本当にお金がこれっぽちもない時期がありました。その時は流石に僕も間違いを犯して少年院に行こうとしかけてしまいました。少年院に入るために悪いことをしようと頑張ったこともありました。でもその都度僕を後ろから善、いや、ほとんど自己中心的な偽善でしかないような、心底つまらない心が僕の腕をつかんで離してくれませんでしたので、まあ、結局悪いことなんてこれまで一度もできてない訳です。僕は弱いんです。所詮は数ある変異の過程で生じた失敗作なんです。弱きものは淘汰されるのを待つのみなんです。それが生態系の掟であり人間社会に関しても変わりありません。ただ今の生活はその頃よりはましなので、あの時の僕のつまらないヤケクソな心が僕を引き留めてくれたことに感謝していますが。
え、妹はどこの子かですか。それは、実は、誰にも分らないんです。不思議なことにも。母もわからないんです。ある時なぜだか、母のおなかがどんどん膨れてきて。最初は、やせ細った母が胃下垂にでもなっただけかと思いました。でも胃下垂にしては大きすぎるほど膨れ上がってしまって、陣痛が来て、妹は生まれました。病院には行かずに母は自宅で頑張りました。真赤な赤子が出てきたときは思わず僕も涙を流したものです。でも僕が赤子を抱いて母に見せてあげると、母は終始哀れんだような目でその子を見つめて、ただ、可哀そうに、と一言つぶやいて気絶するように寝てしまいました。あの頃の僕は中学に入りたてだったでしょうか、母が言っていることがまったくわからなかったです。でも、今になって僕は、母に深く共感できるんです。
だから、今でも、未来に期待しきった希望にあふれた目がくしゃくしゃになるくらいの満面の笑みで話してはぴょんぴょん飛び跳ねたりしてる妹を見ていると可哀そうで可愛そうでもう本当に居ても立っても居られない気持ちになってしまって、もう、いっそのこと、妹が世を知って絶望してしまう前に、刺し殺してしまう方が正義なんじゃないかと思ってしまって、いやまさか、そんなこと本当にするわけも、できるわけもないんですけど、そんなことを少しでも考えてしまう自分をも刺し殺したくなってしまって。だから妹には無知のままでいて欲しい。しかし幼さゆえに妹は日に日に知識を吸収して増やしていってしまう。無知でいて欲しいという僕の願望が妹を苦しめるのも嫌だ。
しかしながら、知るという行為はそれほど大切なことなのでしょうか。知識なんて、あんなものは文化人が自己卑下のために用いる手段でしかないのではないでしょうか。知ることを重んじる哲学は破壊されるべきだ。『すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する。』これは実際その通りだと思います。ですが知ることを欲して、その結果分かるのは、人生は取るに足らないもので、表沙汰になっている真実は虚構に満ちていて、そして僕たち人間というのは想像以上に残酷だという存外つまらぬ事実。すべての人間がこの事実を知りたがるというのなら、人間は堕落するために生まれてきた生き物といっても過言ではないと僕は思います。いやはや、それにしても悲しい色です、人間というものは。……少しは反応をして欲しいものですがね!
僕は、人間が美しいと感じる対象の根底には、いつもきまって、デカダンスがある気がするんです。デカダンス的でないものに人間は美を感じられないはずです。というよりかは、理論上は永久機関がこの世に存在しないのと同じように、廃れ堕ちないものなんてのは、この世には存在していないんじゃないかと考えています。動物は死にます。花は枯れます。生活は崩壊します。愛情や恋心は冷めます。国家は滅びます。星は爆発します。さらに、一連の例に挙げた事象、つまり死ぬことも、枯れることも、崩壊することも、冷めることも、滅ぶことも、爆発することも、これらの事象もいつかは終わりを迎えます。その状態が一生続くことはないんです。ああ、それすらデカダンス。祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり!
知るという行為は美しいと思います。だがあまりにも美しすぎる。それゆえに妹には無知のままでいてほしいんです。そして人がどこまでも無知であるということを知らないでほしい。その方が自称知識人よりかは幾分も幸せなんじゃないでしょうか。だから本当は小学校にも入学してほしくなかったです。義務教育だから仕方ないけど。妹が学校に行きたくないと言ったら僕は妹を抱きしめるでしょう。いや、でも学校に行きたくない理由がなにか知ってしまって絶望したからだったら。ああ、もう僕たち一家は詰んでしまっているのかもしれない。人間に生まれたくなかった。考えない葦として生まれたかった。そしてなにか適当な野鳥にでも食べられてしまって、そのあと枯れて、そしてその野鳥が地に種を落として、また新たに葦として生を受ける。こんな生活がいつまでもできたらどんなにいいことでしょうか。そんな考えもデカダンスじみていて、やっぱり僕は生粋の人間なんだなあって。
自分でも驚きましたよ。よくこんな妄言をつらつらと喋るなあと思いました。昔の僕なら、喋っている途中で恥ずかしくなってしまって、赤面して、噴き出して大笑いしていたでしょう。昔の僕はよく笑う男でした。笑える時はとことん笑いました。それはそれは豪快でした。僕が笑うと周囲の人も笑いました。クラスでの笑いの火付け役はいつも僕でした。気さくな奴だとよく言われました。天然な奴だともよく言われました。全部間違っています。僕は考える速度が人より速いだけで、決断するときには考えに考えています。思考を巡らせて奥深くまで巡らせて、このままいくとどうなるんだろうと、怖くなるような深層部まで思考を巡らせて、その結果を、まるで何も考えてないかのような軽い声色で発声するんです。それに僕は少しも天然でもありません。今までの会話、といってもほとんど僕の独擅場になっていますが、あなたになら僕が天然じゃないことは理解できると思います。所詮演じてただけなんです。僕は全然純粋な奴じゃないんです。黒く濁った汚い人間です。そんな汚いのを隠すための演技に過ぎないのを、みんな面白いくらいに騙されて、あいつらは何にもわかっちゃいない。無知だ。わかっています、そっちほうが人生はストレイトに楽しいことは。彼らが僕の本性を知ってしまったら多分悲しくなるでしょう。僕は彼らのために演じていたといっても過言ではないかもしれません。
堕ちるときは一緒というのは好かないたちです。そういう点では僕は珍しい類かもしれません。自分だけが全人類の負の感情を背負えるなら、僕は一片の迷いもなくそうします。そのあまりの重さに僕は際限なく堕ちます。そしてそんなことを人類は知る由もない。それが最たる理想郷。なにより嬉しいのは妹と母が幸せになることでしょう。ああっ父! あいつまで幸せになってしまうのか。いや、もう恨むのはやめにしましょう。間違いを犯したとき、きっと父もつらかったんです。実は、父はたまに家に帰って来ては、どこからとってきたのかわからない物品を置いて行ってくれました。それは生活の足しにできました。僕は父がどんな間違いを犯したのかは知りません。でも、もしかすると父は僕たち一家への善のために悪を働いたのかもしれません。だとしたら愚かな父親。そんな父の負の感情をも僕が全部背負ってあげたい気がしてきました。
とにかく僕は周りからの印象と実際の本性が解離していました。それでも、まだ、人並みの幸せは感じていた気がします。仕事に就くまでは。僕の職場はいたって卑猥です。社会の汚物がすべてそろっているのではないかと思います。同僚の女は聖なる女です。そんな聖女に観衆が寄ってたかります。観衆はスーツを着て頭髪をワックスで整えた会社員から見るからに頭のよさそうな大学生、そして身体のそこかしこが黒ずんでいるホームレスまで様々です。しかし彼らの目つき、それは、とても聖女を見ているとは思えないほどに卑猥でした。
その女の次に僕の仕事が始まります。僕は淡々と事前に決められた滑稽な業務をこなします。業務をしっかりこなしているのにもかかわらず、観衆は日々の鬱憤を晴らすかのようにゴミを僕に投げつけたり、つばを吐きかけたり、罵声を浴びせたりとやりたい放題してきます。観衆は悪魔のように笑います。僕に向ける笑いはとても人用とは思えません。あれは笑い、否、嗤いです。そんな彼らを週に3回相手します。そんなうちに僕は完全に打ちひしがれてしまって、生気もとられてしまって、絶望は人並みから極限にまで逸脱してしまったのです。そしてあの恐ろしい悪魔のような笑い声は、やがて僕に笑うという行為への恐怖心を植え付けました。おかげで僕はこの通りすっかり笑うことができなくなりました。するとそんな僕は経営者から、笑顔じゃないと印象が悪いから無理してでも笑えと命令されました。ですがその頃の僕はすでに作り笑顔すらできなくなっていました。口角をあげることがとてつもなく恐ろしいんです。悪魔になりたくないという抵抗が僕をそうさせたんだと考えています。そんな僕に観念した経営者は僕の顔に赤いペンキで口角が張り裂けるほど吊り上がった口をデザインしました。おかげで僕は仕事中、常に笑っているように見えて余計に不気味で憎たらしい顔に仕上がってしまっています。その口をデザインした日から観衆の僕への扱いが一層ひどくなったように感じます。わざわざ仕事終わりを待ち構えて僕を羽交い絞めにして、何度も何度も鈍い音を僕の身体から発生させてくる奴らもいました。殴られているのに満面の笑みを浮かべているように見える僕は気味が悪いなんてほどじゃなかったと思います。
家に帰ると母と妹が僕をひどく心配しましたので、態度の悪い客に殴られたと適当な嘘をつきました。二人には僕がレストランに勤めていると嘘をついています。とても今の職を赤裸々に語ることなどできないに決まってるじゃないですか。本当の職を知っても、妹はきっとよく理解しないでしょう。けれど、母は体調がより一段と悪くなってしまうでしょう。絶対に本当のことは言えません。口が裂けても。
笑うことができないと、それを面白がる人もいます。そういう人は大抵僕を笑わそうとしてきます。笑うわけないじゃないか、僕はもう壊れてしまってるんだからと僕が言うと、彼らは爆笑します。僕には人を笑かす才能だけはあるようです。笑えない日々が続くと、不思議と笑うという行為自体に疑問が沸きはじめます。なぜ人間は笑うという行為を行うのでしょうか。と言うのも、この社会は、どこか、笑うことを強要しがちのように感じます。笑えなくなってからは、言うまでもなく社会にいることが息苦しくなっていきました。笑わない僕を社会は隔絶してこようとします。隔絶されてしまわないようにする唯一の対抗策は、人を笑かすことでした。己が笑わずとも人を笑かすことができれば、なんとか社会に居ることが可能なんです。そう考えれば、今の僕の惨めな職はある意味天職かもしれません。まあ、その天職のせいで笑えなくなってしまってるので、本末転倒ですけれど。
でもね、お医者様、でも、やっぱり僕は、笑いたいんです。昔のように豪快にガハハと笑いたいです。妹の話に笑顔を差し向けてあげたいです。もう長くない母から笑えないことをこれ以上心配されたくないんです。漫才を見て笑いたいです。また再び友と理由もなく笑みがあふれてしまう時間を過ごしたいんです。お金が無くとも、せめて笑顔さえあれば、きっと僕たちはもうそれで充分幸せなんです。ああ、お医者様、笑える勇気と希望とを僕にください!
ーーーその老いぼれた藪医者は、あまりの話の長さに、うとうとして眠ってしまっていた。しかし目が細いのと、ひどい眼瞼下垂とが相まって藪医者はこの一人でしゃべり続けている若者に寝ていることを悟られずに済んだ。おまけに運がいいことに若者は最後の訴えで感極まって両手で藪医者の肩をゆすったので、若者の話が終わるぎりぎり手前で、藪医者は起きることができた。藪医者は自分が運がいいと思い少し、うれしくなった。
問題は藪医者が何にも話を聞いていなかったという事にある。もちろん簡潔に説明しろと言われてるのにもかかわらず長々と話した若者にも多かれ少なかれ非があるものの、藪医者も、まさか聞いてませんでしたというわけにはいかなかった。第一、話が長ければ途中で割って止めればよかったわけで、若者を止めずに最後まで話させたという事は若者側がすべて聞いてくれていたという認識になるのも無理はないだろう。
しかし藪医者はあらためて我ながら運がいいと思った。最後の一節ほどの訴えは聞いたのだから。藪医者は何を言ったか早急に思い出す必要があった。
確か、笑いたいとか言っていたかな? 笑える勇気と希望をくれとかなんとか、ううん、実に変な要望だ。なぜわざわざ私のところに来たのやら、まったく若いやつはしょうもないことをいちいち大きく捉えてしまうんだから。ううん、それにしてもどうしたらいいことやら。
藪医者は手を組んで考え込んで下を見た。すると、ふと、机上にある、闇市で行われている見世物小屋のチケットが目に入った。それは藪医者がしばしば訪れていた見世物小屋のチケットだった。藪医者はこれしかないと思って、若者にチケットを手渡して、きっとあなたは混乱の世に疲れてるんです。そういう時は自分より下を見るのが一番良い。道化師の滑稽な姿でも見て笑ったら疲れも吹き飛ぶでしょう。と言った。
その若者は手渡されたチケットみると、眼を見開いて少し驚いたような表情になった。そして、徐々に若者の心の深淵から、まるでゴム風船が膨らんでゆくように何かが込み上げてきたかと思えば、次の瞬間、ゴム風船が耐えきれずに爆発するかのように心に溜まっていた何かが噴出して、若者は一気に叫んだ。
あっっはっはっはっはっは!!! こりぇあ傑作だぁ!!! 爺さん、うひひ、あのね、イヒヒ、その滑稽な道化師っちゅうのはね?うひひひゃあぁ!!! 僕なんです!!!!! がひゃひゃひゃひゃひゃひゃあぎゃあはひゃあ!!!!!ーーー
その若者の地獄から噴き出すような身の毛もよだつ、おどろおどろしい笑い声は診察室を飛び出し町を超え山を越え隣町まで響いたという。その嘲笑を聞いた者共は、皆一様に、笑いものにされたような、甚だ不快な気分になったと言う。