生後半年


時の流れというのは本当に早いものでKAIとこの関係性になってからちょうど半年が経った。

先日お酒を飲みながらKAIとゆるゆるメッセージをする中で

「きみは幸せになっていいんだよ」

という話をした。

このワードは節目節目で私から自然と頻出する言葉で、図らずも今回半年を迎えることは“はて、いつの何が始まりだっただろうかな”と思い返すいいタイミングになった。



きっかけは半年よりもう少し前、まだお互い自分を見せ切れていなかった頃。
KAIから「いつも孤独です」から始まる長い心情の吐露が投下された時のことだった。


職業柄人の幸せの瞬間に立ち会う機会も多く、いつも朗らかでそっと相手を見守る優しさ柔らかさを持つ彼からのその書き出しにも驚いたけれど、その中の一文に強い衝撃を受けたのを今でもよく覚えている。

「人の幸せを願った分だけ自分の幸せはどこにもない」
「だから僕と居る時の笑顔を少しだけお裾分けしてもらえる事が嬉しい」

彼のこの吐露を何度も何度も読み返して昔から好きだった“幸福の王子”という童話を思い出した。


貧しい人や悲しんでいる人を見守るしかできない黄金の像の王子は友人のツバメに自分のサファイアの瞳や金箔の肌を届けて欲しいと頼み、最後は汚い像になってツバメの死骸と一緒に街の人に捨てられてしまう。

天使はそれを見ていて2人は天からの迎えで温かい天国へとのぼっていくという自己犠牲の物語。
私が幼少の頃初めて美しいと感じた物語。

この人はこのままその優しさや誠実さを人に届けて、最後の最後にやっと天使が迎えに来てくれる、でいいような人なのだろうか。


こんなに温かい人が今の今ふっと体や心から力を抜くこともできないまま誰かのために笑顔を作る毎日で、本当に良いのだろうか。

そう感じたとき私の中に「この人はもっと幸せになっていいはずだ」という願いのような思いが強く生まれたのだったなぁ。

それはきっとよく似た孤独を抱えた私を通してKAIが自分を肯定したかったのと同じように、私もKAIを幸せにするという命題を持つことで自分は叶わなかった祈りを昇華させて救われたかったのだと思う。


KAIの誕生日に食事をしながらそんな話をして、だから私がお前を幸せにする、と豪語したのは私の人生の中で最もと言っていいほどの一大決心だった。

そんなことを思いながら今日を明日に、明日を明後日に繋げていつの間にか半年が経っていた。


全てが順風満帆なわけでは勿論なかったけれど、都度お互いの気持ちや考えを擦り合わせながら私たちのペースを探り続けられてきたことは私たちの関係性に対する信頼がその度に積み重なっていく為に必要で大切な過程だった。


KAIは元々SMや主従なんて世界とは全く無縁の人で未だに界隈の文化や知識に新鮮に驚く。

すごいねぇなんて言いながら私の足元で当たり前のように安心して寛いでいる。
私が居ることが犬の“当然”で、私の膝の上は犬の定位置で。


それを幸福と感じてくれていることに私がどれだけ救われているか、きみにはわかるだろうか。


主従の半年なんてまだまだ始まったばかりの未熟な状態で、いつ何が起きてもおかしくない。

何か起きた時にすぐ対処できるようにするのも大切だけど起きなくていいことが起きないように未然に対策し続けるのが何よりも大切だし、KAIとならそれができると私は考えている。



一年でいえばやっと折り返し。
今後の私たちでいえばまだ小指の爪程度。
これからも丁寧に丁寧に織り続けていきましょう。


藍染

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