生きた心地がしない=生きているんだ!マレーシア移住に偏愛した3年間
2021年春
私は、2024年春のマレーシア移住を目指して行動を始めた。
元教員の私は、仕事に対して完全にやる気を失っていた。
原因は校内の人事。
2015年、教員1年目に生意気にも管理職に意見具申をしたのだ。
管理職のパワハラに対する意見具申だ!
結果!
管理職に嫌われた。
教員の仕事は評価が曖昧なので、
一教員がやったことに対して、
良く評価することもできるし、悪く評価することもできる。
私はそんなに仕事ができるわけではない。自分自身が一番分かる。
そんな私は、
教員3年目から級外という扱いを受けることに・・・
「来年は異動だから次の学校で頑張ろう!」そう思って耐えた。
しかし、
異動先の学校でも・・・
級外だった。
この時は、頑張ればなんとかなるだろう!と思っていた。
しかし、担任はやらせてもらえなかった。
もう半ばあきらめていた私は、3校目の異動先で勤務することになった。
やっぱり、級外だった。
そして、退職するまで級外が続いた。
私は教員の世界では窓際教員です。
9年の教員人生で7年間が級外でした。
だから、日本一の使えない教員といえば私なのだ!
そんな私は2024年5月12日にマレーシア移住した。
マレーシア移住については3年計画で取り組んだ。
これは偏愛だよな。
教員の世界で生きていくことが難しくなった私の
次なる一手がマレーシア移住だった。
まあ、教員は公務員だから居座ることはできるだろう。
しかし、そんな人生つまらない。
65歳まで死んだ魚の目で生きていくのか⁉
そんなことできない!!
だから、2021年春から3年計画で、マレーシア移住を実現させるべく、
行動を始めた。
やったことは、英語毎日1000日間連続で続けたことだ。
ちなみに1000日英語をやりました!なんて偉そうに言ってみたものの
私の英語能力はそんなに向上していない。
しかし、1000日以上休まず英語を毎日学習したのは消えない事実。
そこは、自分をほめてやってもいいだろう。
この他にも
いろいろ試した。
Webライターもその一つだ。
23年春から公務員でありながら副業を始めた。
「YOUTUBEのゆっくり解説」のシナリオを書く副業だ。
おっかなびっくりやったので、そんなに力を入れて行ったわけではない。
マレーシア移住しかない!と思い駆け抜けた3年間!
ついに退職を伝える日が来た!
23年10月に退職を伝えた!
教員としての終わりの日が決まった。
24年3月31日に9年の教員生活が終わる。
そう、教員としての終わりの日が決まっただけで、
マレーシア移住はまだ決まっていない。
24年4月からマレーシア移住が決まらなければどうする?
そんなことは考えなかった。
いや、嘘だ。
自分の気持ちを取り繕うために、
「Webライターとしてやっていこう」とか考えた。
24年3月、6年生の卒業式の前日、
マレーシアのBPO企業から採用の通知が来た!
3年間の努力が報われた。
偏愛したマレーシア移住が実現することになった。
問題はそこからだ!
採用通知はもらったものの、
マレーシアからエンプロイメントパス(EP)と就労ビザの
許可はおりていない。
ネットで調べるとEPの許可が下りるまで1ヵ月から2か月かかると
書かれている。そして、許可が下りないこともあると、書いてあった。
2024年4月初旬、EPの申請を行った。
会社からもほとんど連絡もない。
担当者が変わったから、パスポートの写真をPEFで送ってくれという
連絡が4月中頃に来た。
大丈夫なのだろうか??
EPの許可待ちの4月の無職時代。
EP不許可になるのではないか?とか
その結果、会社との雇用契約もなくなるのではないか?
いろいろ、ネガティブな感情が頭を巡った。
もし、マレーシア移住がなくなったどうしようか?
常に頭の中にあり、生きた心地はしなかった。
でも、生きた心地がしないということは、生きているということでもある。
でも、そんなことを言えるのは、EPとビザの許可が下りたからです。
マレーシア移住に偏愛し3年間、思いに思い続け、
ついに実現した。
日本一のダメ教員が、マレーシア移住を実現しました。
これもまた、偏愛の結果だと思います。
5月12日にマレーシア移住が実現!
これが自分の望んだ生活なのだ!
不安なことがあると、私は「これが自分の望んだ世界だ」と
言い聞かせて頑張っている。
dicord名:マレーのアベケン
#Webライターラボ2405コラム企画
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