76 幽霊沼
「沼」が十八年ぶりに移動を始めたと、市報にあったので行ってみると、すでに何人かの先客がいた。三脚にカメラを取り付けて、タイムラプスでも撮るつもりだろう。見れば「沼」はもう岸際から五十センチほどはみ出していて、粘りのある蜜のようにこんもりした状態で少しずつ、ぬー、と動いている。例によって「沼」の水も、植わってある蓮も、よく見ると泳いでいるクチボソか何かの魚も、ザリガニも、皆まとめてうっすら透けている。
というのも「沼」は移動に際して周りの影響を受けないために、物理的な不可侵を保つという生態があるらしい。それを生態と呼んでいいのかはわからないが、どことなく幽霊のような印象だ。
決して触ってはいけませんと市報にあり、また立て看板もあるのだが、そこまでされると触りたくなるのが人情というもの。誰にも気づかれないよう葦の茂っているあたりに身を隠し、ほんの指先の第一関節まで水に浸けてみる。
噂通り、何の感触もない。
手のひら全体を浸けてみても、濡れもしない。
両手を突っ込んでかき回してみても、波ひとつ立たない。
そんなことをしているうちにエスカレートしてきて、今度は顔を浸してみる。
すると沼の底まですっかり見通すことができる。
普段は濁った沼の水も、この時は不可侵化の影響で透明度が増しているらしい。それに息だってできる。この貴重な機会を逃すなどそれこそ馬鹿げているように思え、ほとんどためらいもなく、当たり前のように沼に足を踏み入れた。
水らしい感触も、抵抗も、息苦しさもない。そのまま底を歩いてゆくと、中心付近は意外なほどの水深があるようで、立った状態でも頭が出ない。外から見た印象よりもなかは明るく、カーテンのように揺らめく光に照らされてきらきらと小魚が泳いでいる。ぼんやり霧の掛かった温室のように湿って暖かで、意外なほど居心地がいい。不可侵とはいえ水のなかにいる所為か、なんとなく脱力するようなところがあり、やがてすり鉢状になった沼の底の傾斜に横たわって、小魚や鯉がゆったり泳ぐところをぼんやり眺めているうちに、ふと眠気に襲われた。
その眠気というのが、明らかに不自然な、取ってつけたような、降って沸いたようなものだった。眠気の質も、乾いた指に餅がへばりつくような、どことなく嫌な感じがしたので、さすがに長居しすぎたのだろうと、慌てて陸に上がろうとするのだが上がれない。水面がガラスのように硬くなっていて、そこから先へ行けないのだった。そうこうしているうちに、眠気は全身を毒のようにめぐってゆく……。
結論から言うと、目が醒めたのはそれからひと月が経ち、「沼」の移動が終わった直後のことだった。不可侵化が解けて「沼」が現実に復帰したタイミングを見計らって、消防署の職員たちが引き上げてくれたのだった。家族は捜索届を出しており、「沼」を観察していた人からの通報もあり、事前にそういう算段をつけていたらしい。
それにしても、ひと月のあいだ自分の寝姿が野ざらしにされていたというのもぞっとしない話で、友人知人から散々冷やかされたのはもちろん、町を歩くと面識のない人にまで声を掛けられるようになった。とんだ恥をさらしてしまった。
――ところで肝心の「沼」だが、何を思ったかそばを流れるY川のど真ん中に居を定めたようだった。見ればそこだけ蓮が茂っている。なによりそこだけまったく水が動かないので「沼」と分かる。消防隊員はよくあんな難儀な場所から自分を引き上げてくれたものだと、改めて思う。
川のなかの「沼」は増水渇水のたびに大きくなっていると言われたり小さくなっていると言われたりするので、今後どうなっていくのかはわからない。あるいは川そのものが「沼」の支配のもとに置かれて、「川」となってどこかへ動き出さないとも限らないが、いずれにせよ十八年後の話となる。
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