見出し画像

被災した能登でアクサの使命を体現する、アクサ従業員の笠間幸子さん

こんにちは、アクサ コミュニケーション&サステナビリティのYです。
2024年1月の能登半島地震の発生から1年が経ちました。復興はまだ道半ばで、被害に遭われた皆さまに心を寄せることを続けていかなくてはと思います。今回は2024年4月に発行したアクサジャパンの社内報より、市内の旅館で被災した当社従業員笠間幸子さんのインタビュー記事を、noteを読んで下さっている皆さまにもご紹介したいと思います。

笠間幸子さん プロフィール
アクサ生命(株)入社以降、営業社員として石川県にて商工会議所会員企業に対して従業員の福利厚生制度、経営者のリスク管理・事業承継のコンサルティングなどを行っています。
2024年当社の最も称賛されるべきリーダー/プロデューサーである「AXA Primeメンバー」の1人に選ばれています。


被災して痛感した、お客さまの未来を支える「保険会社の使命」―明日は誰にもわからない。だからこそ、保険で未来を守りたい

―2024年1月の能登半島地震で被災した際の状況を教えてください。

あの日は家族で、お客さまが経営されている旅館の12階にいました。地震時は「揺れ」というより、洗濯機の中で回されるような感覚。一瞬、目を閉じ「もう最期だ」と覚悟したほどです。それでも幼い孫とともに必死で非常階段を駆け下り、避難しようと車に乗り込みました。

津波警報が鳴り響くなか高台を目指したのですが、道路はあちこちで陥没。渋滞でなかなか進めないので、車の中でも「津波が来たら終わりだな」と怖くて仕方なくて。最終的にどうにか被害の少ない金沢にたどり着き、避難先のホテルや娘の家でしばらく過ごしました。自宅は半壊し、中もひどい有様。災害特別休暇を挟んで1月9日に出勤した七尾分室も同様です。什器は倒れ、食器も粉々に飛び散っていました。

―地震後、七尾市内のお客さまとはどのように連絡を取りましたか?

(所属する営業所の)所長から「まずはお客さまからの連絡を待つように」との指示がありました。そんな中、最初の連絡があったのは、出社を再開した翌日の1月10日頃。スナックを経営されている方から、「お金が必要だから保険を解約してほしい」という依頼でした。店舗が被災し、営業のめどが立たない中でのお電話です。ご自宅も大きな被害を受け、厳しい状況でしたが「解約せず、死亡保障を残した方がお客さまにとって良い」と判断。貸付を提案したところお客さまも納得され、すぐに営業所で手続きを進めました。

震災1カ月後から安否確認のために訪問を再開し、お見舞いのタオルをポストに入れたり電話で連絡したりしていますが、とにかくお客さまにストレスを与えないように気を配っています。ご自宅の倒壊がひどく、まだご連絡を差し上げられていないお客さまもいるほど、状況は深刻です(※2024年4月上旬取材時点)。

七尾では長く断水が続いたため、トイレもお風呂も洗濯もままならず、誰もがひどいストレスを抱えていました。お客さまにも厳しい表情の方が増えたように感じています。

そんな状況において私ができるのは、お話を聞くこと。訪問すると皆さま、1時間、2時間とお話をされるのです。1日数人の訪問が限界でしたが、話していただくことで少しでも楽になるならと、じっくり耳を傾けていました。

―震災から3カ月が経ち、ご自身に変化はありましたか?

しばらくは眠れず、食事も喉を通りませんでした。今も手つかずの被災地を目にすると気が滅入ります。この状況下で保険営業を続けることに当初は戸惑いがありました。ですが、止まっていても何も始まりません。

今回、地震を経験した方はもちろん、テレビなどで目にした日本中の方が「明日の命は保証されているわけではない」と感じたのではないでしょうか。命の尊さを噛みしめた今、私は保険の重要性を再認識しました。

地震をきっかけに体調を崩す方も多かったので、避難所に何枚もの入院給付金の書類を送付しましたが、「保険が下りて助かった」というお声をたくさんいただきました。私たちができるのは保険を通してお客さまの未来や、お客さまの大切な方を守ること。前を向いて仕事に取り組もうと決意しました。

素早いケアと被災地に寄り添いたいというアクサの熱意に感激。感謝を支えに、前を向く

―震災直後の会社とのやり取りについて覚えていますか?

覚えています。地震発生は午後4時10分だったのですが、高台に避難している最中に支社長から「ホテルを手配するので、すぐ金沢に避難するように」と電話がありました。被害の状況がつかめない段階で、本部長から北信越営業局長に「現場に任せるから、支社の判断で迅速に対応してくれ」と指示が飛んだそうです。東京にいる皆さんのスピーディーな対応と実行力に驚きました。

1月24日には、社長の安渕さんをはじめ本社から営業関係者が金沢、七尾を訪れ、被災した従業員との食事の場を設けてくださいました。珠洲や輪島など仕事ができる状態にない従業員には、働けない間も給与を保障するなど、当面の不安を取り除いてくれた会社の対応に心から感謝しています。七尾にいらした安渕さんは、より被害の深刻な奥能登を「どうしても訪問したい」とのことでした。余震が続く中でしたが、2月頭には、珠洲と輪島にも足を運んでくださったそうです。被災者に寄り添うその気持ちが本当にありがたくて、良い会社で働けていることを実感しました。

全国から復旧・復興支援に駆けつけてくださった方々からは、日本の人々のすばらしさを実感させてもらいました。その姿に、どれだけ励まされたことか。私も仕事を通してこの会社とこの国にお返しをしたい。そんな想いで、今の私にできることに取り組んでいます。

入社から23年。お客さまのお話に耳を傾け、寄り添ってきた

―普段はどのようなお仕事をされていますか?

アクサが担う商工会議所会員企業さまの従業員の福利厚生制度や経営者のリスク管理・事業承継のコンサルティングは、アクサのビジネスモデルの核。核であるビジネスを推進すべく、アクサの看板を背負って法人や企業を訪問しています。個性豊かな社長らと面会できる、とても面白い仕事です。温厚な方もいれば豪胆な方もいらっしゃる。いつも楽しくお話をさせてもらっています。

―仕事をするうえで、大切にしていることを教えてください。

お客さまのお話をよく聞くことです。お客さまが何に不安を感じているのか、何を求めているのかを見極めることを大切にしています。そのうえで自身の知識や経験を活かし、お一人おひとりに最適な商品を提案。その商品とお客さまのニーズが合致し、喜んでもらえたときに達成感や充実感を感じています。

以前、「保険なんて大嫌い。医療保険は一切不要」というご婦人がいました。しかし、これからを考えると「がん保険」はきっと役に立つはずです。提案するときにはいつも具体的な金額や見通しをお出しするようにしていますが、このご婦人にも「万一がんになった場合は、術後の通院だけでも何年にも渡ってお金がかかること」をていねいに説明しました。最終的にがん保険に加入してもらうことができ、大きな喜びを感じましたね。

お客さまの大切なものを守るために。丁寧な対応を心がけ、保険会社の使命を全うしていきたい

―「すべての人々のより良い未来のために。私たちはみなさんの大切なものを守ります。」というアクサのパーパス(存在意義)を体現するために、心がけていることはなんでしょう?

人との出会いが私の原動力です。アクサの営業職だからこそお目にかかれて、ご縁がつながる法人のお客さまも少なくありません。そういった方々と仕事を通じて出会い、いろいろなお話をしながら、丁寧に対応させていただく。その中で「どんなことにも誠心誠意で」と心がけています。たとえば年配のお客さまから「請求書を書くのが難しい」と言われれば喜んで駆けつけます。名義変更や住所変更も、私にとっては大切な仕事のひとつ。加入後のフォローにしっかり取り組んできたからこそ信頼が得られ、ご家族やお知り合いの方など、新しいお客さまとの出会いが巡ってくるのだと思います。個人的には「新しいお客さまを、月に2人」と目標を立ててきましたが、仕事を通じてどんどんお客さまが増えていくことに喜びを感じています。

今回の地震をきっかけに、保険の重要性を心の底から実感したことで、以前にも増して仕事に力が入るようになりました。命と向き合い、自信を持って保険商品を勧められるようになったとも言えます。明日を生きられなかった人がたくさんいるからこそ、私たちは「今、これから、何かあったら」を考えるべき。お客さまの大切なものを守るため、これからも保険会社の使命を全うしていきたいと思います。

※インタビューは2024年4月に行われました。また笠間さんのコメントはインタビュー当時のものです。


最後までお読みくださり、ありがとうございました!このストーリーをいいなと想っていただけたら、ぜひスキ🧡をお願いします。私たちの励みになります!