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欲しい空間

20年間、あと1ヶ月で21年間、神奈川県に住んでいることになる。

実家は周りに畑や中小企業ばかりで、今思い返せば洒落たカフェどころか、徒歩圏内にスーパーすらない場所だ。その代わりに?山がすぐそばにあり、視力の悪い私の眼にも、木の一本一本がよく見えた。バス停にも近かった。

一人暮らしをしている今この家は、スーパーもカフェも10分歩けばたどり着く。図書館までの距離も実家よりだいぶ近く、そこらでは不便はない。

しかし、両方の土地で「足りない」と感じるものがある。ベンチだ。

腰を下ろして休める場がない。私は外を見てぽけ~っとしていることが趣味であるからして、そういう場が設けられていないのはとてもかなしい。


というか、ぽけっとできる、と思える場所が少ないのだ。私が特別周りの目を気にしてしまうから、というのもあるだろうが「あの人一人でなにしてるんだろう…怪しい…」と思われてしまうのではないかという不安が常に付きまとう。女子高生の頃一人で回転寿司に行き、完全に聞こえる声量で「JKが一人で来てる!」と言われても気にしなかった私は、一体どこに雲隠れしてしまったのか。

「カフェとか行けばいいだろ」と思われたかもしれないが、なめられては困る。私には金が無いのである。己がぽけっとするために払うお金など、全く、全然、これっぽっちも無いのだ。


だから、自然な場所で落ち着けるスペースが欲しいのである。私が京都を求める理由の一つがこれなのかもしれない、と書きながら思った。

超巨大観光都市の京都だ、そこらじゅうにある観光名所であれば一人の者がいくらそこに佇んでいても、不思議に思われることはなさそうではないか。

それと、観光地に住んでいる地元の人は、こちらの奇行に疎い傾向にあることが分かってきた。一人旅が好きで~と言うと「女一人旅~?w」と変人を見る目で言われることもあるが、旅先では「当たり前」のこととして受け入れられる。まあ、私よりへんちきりんな観光客など、わんさかいるのであろう。むしろそっち側に行きたくなる。

いい意味で無関心なところもあるのではないかな、と感じた。


都心に行けば行くほど、そんな場所は淘汰されていく。渋谷でぽけっとしていたら、人波にもみくちゃにされること間違いなしだ。

だから私は都会が苦手だ。しかし、田舎の不便さや閉塞感も好きではない。京都は中間な気がする。もちろん京都駅はとてつもなく大きいし、人も多い。しかし同時に商店街や寺社、緑や伝統文化が色濃く残っており、くつろげる場所が多い。と、筆者は感じる。四条の交差点はすごい交通量だから、あそこは除いておこう。


いつの間にか京都age記事になってしまったが、そろそろ切り上げよう。

今日は一度も勉強できなかった。インターンの検索をしていたら画面酔いし、ダウンしていたからである。「最悪行かなくても就活できないワケではないし、1社決まってるだけ御の字、あとは京都観光するだけでもいいではないか」という気持ちで過ごさないと、精神衛生上よろしくない日付になってきた。

京都の灼熱を体験すると思って行くとしよう。

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