元コトリッチことしーちゃんのこれまでの歩みについて考える

元コトリッチとして知られるしーちゃんは2025年3月4日で40歳になる。しーちゃんとともに歳を重ねてきた全アラフォー男子にとっては衝撃的なニュースではないだろうか。しかしながら、今のしーちゃんが過去一素晴らしいのである!

しーちゃんの歩みは一筋縄ではなく、時にはぶっ飛んでいたり、難解だったりするが、そんなしーちゃんのこれまでの歩みについて振り返ってみることにする。

Vからの逃避行〜筒井一という協力者〜

しーちゃんはコトリッチの名前で長年活動してきた元祖「ネットアイドル」であり、言わずと知れたh.m.p専属の古都ひかるである。

古都のセールスは抜群であり、2003年のデビューから1年に満たない出演期間で100万本のVを売り上げた。h.m.pで2年くらい専属をやって、当時躍進したセルに移籍していれば・・・と思うファンも多い事だろう。

しかし、古都は2004年5月 のイベント中止を機に忽然と業界から姿を消した。古都の突然の「失踪」の理由としては、所属事務所の先輩・長谷川瞳の境遇に絶望した、ギャラの取り分が少なかった、未払いがあった、などなどさまざまな憶測が飛び交った。

しーちゃんは配信で、「引退」後の2004年ごろは青山のイタリアンレストランでバイトしていたと証言している。当時、難解すぎる料理名に苦労をしたという。業界に反逆し飛び出した古都が「もがいていた」時期であった。

そんな古都をコトリッチとして「復活」させるのに大きな役割を果たしたのがカメラカメンこと芸術家の筒井一(はじめ)氏である。

筒井がAVの世界でスチール撮影をしていた説もあるが定かではなく、筒井と古都がどのような経緯で出会ったのかは依然大きな謎として残っている。

そんな古都が再び人前に現れたのは2007年8月にリリースされた(筒井がボーカルの)ゴマルヨンズボン「抱きしめるほどに君が遠くなる」のMVである。古都が出演していたMVは現在閲覧できないが、別バージョンのMVを見てほしい。

感傷的すぎともとれる歌詞が、筒井と古都の危険な逃避行とオーバーラップする。当時は桃井望の事件の記憶が色濃く残っていた。

筒井は芸術家としての才能、豊富な資金だけでなく、のちに芸能人を多数撮影するなど大手芸能プロダクションとのコネクションもあって、AV業界の魔手から古都を守り切った。古都の「協力者」として筒井は永遠に記憶されるだろう。

古都は少し経った2007年9月には、カメラカメンの動画「オナニー」にも出演しており、最後のほうでクレジットもある。

古都の無事に安堵する一方、筒井と古都の不退転の決意を知らない我々は、結局業界に舞い戻るのか?という憶測も入り混じり騒然となったのであった。

コトリッチの登場とその謎キャラの克服


そんな古都がcotorichというアカウント名でyoutuberデビューしたのは2008年2月 である。先述したカメラカメンこと筒井の2006年8月開設に次いで、コトリッチは最古参級のYoutuberであった。当時はiPhoneなどなく撮影はテープであって、参入のハードルは非常に高かったのだ。

コトリッチの一連の動画は不思議系キャラの印象が強く(Vでのちょっと勝ち気な、利発な普通に喋るキャラとはかけ離れていたことから)個人的には正直理解が難しかった。コトリッチはどうしてこうしたキャラクターを選択したのだろうか?普通に喋れるだろというツッコミもあったり、コトリッチは苦労のあまり壊れてしまったと心配する声も相次いだ。だが、そうしたショッキングな話題も巻き込みながら再生数は伸びていき、2009年及び 2011年にYoutube videoアワードにノミネートされるほどの注目を集めた。

独自の世界観で満ちたゆっくり語る動画だけでなく、コトリッチはブログで写真と共にコメントを添えるシリアストーンの投稿を行い写真家としての一面をのぞかせたことも忘れてはならない。

https://cotorich.jugem.jp/

カメラは大きなテーマとして自主制作の写真集・COTORINIRIシリーズや、撮影会リアルイベントに繋がっていく。

それでは当時のコトリッチの生計はどうなっていたのか。同時期の2009年8月にコトリッチが、筒井が社長を務める動画制作会社A社の取締役に就任している。社員として安定を得ており心配は無用だったのだ。

さらにコトリッチは2011年ニコ生を開始し、不思議系キャラを全面に押し出した生主として活躍していった。

同年、NHKの「東京カワイイTV」に出演したコトリッチは月20万円の広告収入を得ていると証言した。爆発的な再生数を誇るYoutubeの広告収入は非常に順調であった。

しかしその後コトリッチはいったん活動からフェードアウトしていく。

配信でしーちゃんは「当時デザイン会社立ち上げをしていた」と語っている。コトリッチは別の筒井の会社であったB社を会社組織として譲り受ける形で2016年5月25日に社長に就任し「デザイン会社の経営者」としてのキャリアを積み重ねていった。

B社のホームページによると、最近でも公的機関のポスターや採用パンフレットのデザインなど非常に良質な案件の実績があることがわかる。またそれ以外にもB社は政治家のホームページ作成を行っていることを筆者は確認した。

また、この時期(2016年)、古都のVがDMM、h.m.p等から削除されている。コトリッチの会社経営においてVが売られていることはリスクと考え、弁護士を立てて削除したのだろう。このすぐ後、業界では出演強要問題が大きく取り沙汰され、筆者も業界人との激しい闘争に巻き込まれていった。V削除はのちに業界の自主規制によって当たり前となったが、その先駆者としてコトリッチは特筆すべきケースと言えるだろう。

ではなぜコトリッチは会社経営に一時専念したのだろうか。やはり自らが作り出した「初期コトリッチ」のイメージが素のコトリッチと乖離していたところに苦悩があったのではないかと思っている。

会社経営を軌道に乗せたコトリッチは、2017年ごろから本格的に活動再開した。2017年10月には古巣Youtubeにて初めてのYoutube Live配信を行なったことも重要である。

コトリッチの新たな挑戦として、メインの活動となったのは比較的少人数のファンを集めて写真撮影を行う撮影会イベントであり多忙なデザイン会社勤務の傍で被写体としてのリアルイベント活動を積み重ねたのである。

カメラに興味のない私は当時の撮影会イベントに参加してはいないが、Twitterのタイムラインに流れてくるカラフルなコトリッチの写真は大変魅惑的であった。

なお、2018年に私はVALU(株式のようなものを個人でも発行できるWebサービス。2020年3月終了)でコトリッチに投資していたが、当時コトリッチのVALUの時価総額は1億円を超えていた。仮想通貨バブルとあいまって、彼女はまさにリッチだったのである。

ちなみに、コトリッチはLINE LIVE、17ライブなどで配信を行っていたがこれらのサイトはあまり影響力をもちえず、アーカイブも残らなかった。貴重な記憶が消え去ったのは惜しまれるが、配信アプリでの豊富な配信経験によってコトリッチは配信者としてのスキルを大きく高めていったのだろう。

このように、デザイン会社経営とリアルイベントでのファンとのコアな交流、配信アプリの経験によって、コトリッチは徐々に初期のおっとりキャラを克服し、類まれなトーク力・コミュニケーション力を発揮するようになっていった。それは多くの男たちが熱狂したVの素の表情でもあったのだ。

ホーミー結成〜配信者しーちゃんの誕生〜

そんなコトリッチに大きな転機がおとずれる。2023年1月のホーミーの結成である。メンバーはくまちゃんこと筒井、なな三郎こと筒井の元マネージャー小峯氏、しーちゃんことコトリッチの3人である。付き合いの長いメンバー構成だ。彼らの主戦場はTikTokであった。

なぜ彼らがホーミーという芸術家ユニットを結成したのか。私はその狙いについて、キャリアを経て年齢を重ねた近づき難い「芸術家」となってしまった自己を、今時の若者文化と言えるショート動画・配信にあえて真剣に取り組むことで打破し、よりキャッチーな存在になることを目指す、ということではないかと考えている。今更、金銭欲とか売名したいとかいったことではないはずだ。

Tiktokのショート動画では、3人が車に乗って爆音で音楽を流し、隣に停まった車の人に訴えかけ、そのリアクションを撮影するなどぶっとんだ行動をとり再生数を稼いでいく。

いい歳した大人がある種「迷惑系」な行動をとっているのかもしれないが、「ミドルエイジクライシス」から吹っ切れたしーちゃんたちの新境地にはすがすがしさを感じ、羨ましいと思ってしまうのである。

しーちゃんことコトリッチはホーミーの配信担当として、TikTokでの配信を精力的に進めていった。TikTokではYoutubeとは全く異なる新規のファン層の開拓に成功したものの、従来のコトリッチファンはホーミー活動に気づかなかったり、コトリッチがユニットを組んで活動することの意義を見出せなかったのではないか。撮影会に参加していたであろうコアなファンの一部がここでいったん脱落したのではないかと推測している。

こうした痛みを乗り越えながらもしーちゃんはTikTokerとしての活動に邁進していった。TikTokの配信は重課金が特徴的で、特にコラボと呼ばれる配信者間のギフトの金額の大小を競わせるシステムで激しく課金を加速させる。こうした中でホーミーには「石油王」とでもいうべき累計で100万円以上もギフトを投げるコアなファンも存在する。こうした熱狂的ファンの存在がしーちゃんを勇気づけたことだろう。

4月、筒井はラジオにて新アトリエ(葛飾区?)への移転を宣言した。

このアトリエは配信スタジオとして非常に素晴らしい拠点となった。従来自宅から配信していたコトリッチの近所への遠慮はもはや不要となり、大声を発しても、熱唱しても大丈夫な環境がととのったのである。

しーちゃん名義とコトリッチ名義はしばらく共存していたが、6月11日、しーちゃんはコトリッチ名義を捨て去るという大きな決断をした。ホーミー一本でやっていくべく、退路を絶ったのである。

この決定にはショックを受けるファンもいたようだが、続け様に6月17日、しーちゃんはcotorichアカウントでのYoutubeでの配信をやらない、TikTokを本命のメディアとすると宣言した。

しかしながら、TikTokの配信はアーカイブが残らない。これを補うために彼らは10月以降、ホーミーのYoutubeアカウントでTikTokとの同時配信を行うことにした。

とはいえ、どうせTikTokをYoutubeで同時配信するなら、登録者の多いcotorichアカウントで配信するのが合理的である。このため2024年9月以降、しーちゃんはcotorichアカウントでYouTubeライブ同時配信を行うようになった。

cotorichアカウントでは有料メンバーシップ制度も同時に導入された。これらの施策もあってスパチャが飛び交う現在の活況に至っている。

配信者としてはさまざまなWebサービスを経て「遠回り」もしたしーちゃんだったが、原点のYoutubeに回帰し、今まさかの旬を迎えているのである。

しーちゃんの魅力は何か

しーちゃんの魅力について改めて列挙してみたい。

Vでの伝説的な活躍と危うい逃避行を経て一般人となった逸話。写真家として、被写体として、経営者として、配信者としての多面的な姿。謎めいたコトリッチというキャラクターの構築とそれすら捨て去ってしーちゃんとなった潔さ。芸術家集団の絆と吹っ切れた表情。さまざまなWebサービスを駆使する器用さ。衰えないルックス。

だが結局のところ最後は人間性である。そしてその発露としての「受け答え」「トーク」にこそしーちゃんの魅力があると考えている。しーちゃんの配信は最近はメンバー限定配信が主だが、そうではない一般公開の最新の配信を見てほしい。

もちろんエフェクトが効いていることもあるのだが、美貌は健在で笑顔は昔とちっとも変わらない。そして多くのファンコメントを巧みに捌きながら楽しい配信として成立させていることがわかる。天性で頭の回転が速いのだと思うが、咄嗟の機転には舌を巻く。配信者はしーちゃんの魅力が最も発揮される表現形態なのだ。

重要なことは、こうした配信を彼女は独力で、会社経営もやりながらこなしていることであり、「芸術家」としてあえてアイドル的な配信フォーマットを成立させるというのは並大抵のことではない。今回記事を書く中で、彼女へのリスペクトの念を深くするに至った。

40歳を迎えるしーちゃんはこれからどこを目指していくのか。しばらくこの調子で配信を続けていれば登録者数が急速に伸びていくのは間違いなさそうである。ただししーちゃんのことだから飽き足らずに新たな試みに乗り出すことだろう。年齢を重ねて進化をやめない彼女のますます充実する魅力に期待していきたい。


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K M
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