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田辺市立美術館「木村蒹葭堂と紀州の文人たち」展(-2024.3.24)

閲覧ありがとうございます。日本絵画一愛好家です。

本記事投稿時点で、かの偉大なる鳥山明先生が3月1日にご逝去されたとの報道があり、その後に、かの偉大なるTARAKO先生が3月4日にご逝去されたとの報道があり、弊方、軽い喪心状態になりそうなありさまです。謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。

個人的にも精神的に少々しんどいことが最近発生しまして、気合い入れなあかんなぁ、と思っております。

気を取り直しまして、2024年の早春の過日、和歌山県田辺市の田辺市立美術館の特別展「木村蒹葭堂と紀州の文人たち」展(2024年2月10日~3月24日)を拝覧して参りました。

本展、本投稿の時点で開催中の展覧会です。田辺市立美術館のウェブサイトに僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

木村蒹葭堂先生といえば、人呼んで「なにわ知の巨人」!!!

蒹葭堂先生のこの二つ名が知れ渡ることになったのが、2003年1月15日から2月24日にかけて大阪歴史博物館にて開催された特別展「没後200年記念 木村蒹葭堂-なにわ 知の巨人-」展でした!!!

と、たいへん偉そうに申し上げておりますが、弊方、この展覧会には行きそびれました。当時大阪市内に勤めておりましたのでなんぼでもお伺いできたはずなのですが、当時の仕事の状況がゴニョゴニョゴニョという感じで、結局お伺いすることはできませんでした。

なお、同展のアーカイブが大阪歴史博物館のウェブサイトに残っておりましたので、僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

ただし、図録については古書で入手いたしました。実は、この図録、かの偉大なる思文閣出版から一般書籍として発行されていたのですね。ISBNが付与されております(ISBN4-7842-1140-3)。とはいうものの、弊方、大阪市内に勤めておった頃は、ジュンク堂大阪本店のヘビーユーザーだったのですが、この図録をお見かけした記憶がありませんでした。

僭越ながら「没後200年記念 木村蒹葭堂-なにわ 知の巨人-」図録の写真を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影したものを掲載させて頂きます。

蒹葭堂先生、めっちゃ笑ってはりますね。

この有名な笑顔の肖像画「木村蒹葭堂肖像」は、江戸文人画界の超絶巨匠、谷文晁先生の筆になるものだそうです。

蒹葭堂先生の笑顔に関して、かの偉大なる関西大学名誉教授の中谷伸生先生が、論文「木村蒹葭堂はなぜ笑っているのか:研究をめぐる疑問と課題と仮説」(東アジア文化交渉研究 (Journal of East Asian cultural interaction studies) Vol.13 pp.31-57 2020)にて一つの仮説を提示されております。

この論文は関西大学リポジトリから無料でダウンロードできますので、僭越ながら下記の通りリンク張らせて頂きます。

https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/records/15933

中谷伸生先生の仮説は、この論文の最後の方に出てきますが(第48ページ)、一般人のヲタクである弊方の妄想としては、江戸時代の大坂(「大阪」ではありません。)の偉大にして「最大最強」のヲタクでいらした蒹葭堂先生が、同じヲタクの盟友、谷文晁先生(あるいはご家族)を前に、ヲタトークを炸裂させてご機嫌でいらっしゃる生前のありさまを描かれたのではないか、と妄想しております。

それゆえに、この肖像画は、単に笑っているというよりも、ヲタクにありがちな、周りの空気を読まずに熱く熱くお話をされているように見受けられるのですが、いかがでしょうか?!

「文晁はん、この掛軸、めっちゃええ感じや思わはりまへんか?! 萌えまんなぁ♡」

蒹葭堂先生が萌えるとか品の無いことは仰らないとは思いますが、まぁ、それはともかく、中谷伸生先生の論文の中でご指摘されておりますが、蒹葭堂先生は、実業家であって職業画家ではないものの、文人または画人として著名であったとのことです。同論文から僭越ながら下記の通り引用させて頂きます。

二十九歳の蒹葭堂は、青年画家というよりも、完全に自立した一人前の画家であったことを見逃してはならない。朝鮮通信使の成大中が、蒹葭堂に《蒹葭堂雅集図》を依頼したことを考えても、この時期、すでに蒹葭堂は、文人としても、また画家としても、日本を代表する人物として名声を確立していたわけである。

「木村蒹葭堂はなぜ笑っているのか:研究をめぐる疑問と課題と仮説」
(東アジア文化交渉研究 Vol.13)第46ページ第3-6行

前置きが長くなりましたが、本展「木村蒹葭堂と紀州の文人たち」展は、この画人としての蒹葭堂先生に注目した展覧会であると解釈されます。

弊方が田辺市立美術館にお伺いするのは2回目になります。前回は、2023年4月15日から6月18日にかけて開催されておりました「小企画展 近代紀南の画家 青木梅岳」展でした。

文人画といえば田辺市立美術館! 田辺市立美術館といえば文人画!

いや、もちろん必ずしもそんなわけではないのですが、田辺市立美術館で開催される日本絵画関係の展覧会/企画展は、文人画/南画に関係するものが充実しているように弊方考えております。著名な文人画家/南画家を輩出した紀州のお国柄でしょうか。

さて、田辺市立美術館ですが、同じ関西圏でありながら、弊方的にはお伺いするのに多少の根性が要ります。

和歌山市から海南市や有田市、御坊市あたりまででしたら、JRで容易にお伺いできるかと思います。和歌山市でしたらJRでなく南海電車を利用することもできますね。実際、弊方、そこそこの回数で和歌山県北部にお伺いしております。

ところが、御坊市を超えて和歌山県中南部にお伺いしようとすると、途端にJRの本数が減ってお伺いしづらくなります。時刻表の上では1時間に2本の電車があるのですが、そのうち1本が特急くろしおなので、在来線を利用するのであれば実質1時間に1本になります。そうすると、弊方としては必然的に特急くろしおを利用させて頂くことになります。

さらに、田辺市立美術館のJR最寄り駅は、厳密には朝来駅になるのですが、交通の便を考えると、特急くろしおが停車する紀伊田辺駅が実質的な最寄り駅になります。紀伊田辺駅から田辺市立美術館まではかなりの距離があり、徒歩でお伺いすることは困難だと思われます。そうとなるとバスを利用させて頂くことになります。

バスであれば、紀伊田辺駅の駅前のバス乗り場の3番から明光バスの白浜温泉・三段壁(南和歌山医療センター経由)に乗車して新庄病院前または南和歌山医療センター前までお伺いすることになります。

そういうわけで、田辺市立美術館には以前からお伺いしたかったのですが、なかなかハードルが高く、これまでお伺いすることが叶いませんでしたが、昨年の青木梅岳先生の小企画展でやっとお伺いすることができました。

ところで、田辺市立美術館のウェブサイトをご覧頂くとお分かりかと思いますが、同館の写真が掲載されているのですが、まるでお花畑の中に瀟洒でモダンな建物が建っているという感じで、弊方、この写真を拝見させて頂いて、ぜったい盛ってるやろ?! と一方的に決めつけておりました。

ところが、前回の訪問で同館を初めて目の当たりにして、いや、盛ってまへんがな! マヂですか?! という所感を覚えました。

前回の訪問では写真を撮影しておりませんでしたが、今回の訪問で弊方の微妙なガラケー的なガラホで同館を撮影させて頂きました。暖冬とはいえ冬なので、花々が多少スリムな感じはしますが、ウェブサイトの写真とそうは変わらないとは思われませんでしょうか。

うぅむ、田辺市立美術館おそるべし!!!

さて同館に入るとエントランスホールとなっており、ここに受付や図書コーナーや売店(厳密にはグッズや図録等の販売コーナー)などがあります。売店のすぐ裏手くらいのところに展示室1の入口があり、売店や受付に対向する場所に図書コーナーがあり、図書コーナーの向かって右側から展示室3への入口になっております。さらに展示室1の入口のすぐ裏手くらいのところに、少し奥に入ってロッカーと化粧室があります。

本展「木村蒹葭堂と紀州の文人たち」では、展示室1において、やはりというべきか、画人としてではなく博物学者としての蒹葭堂先生を紹介する資料や作品が展示されておりました(第一章 博物学者 蒹葭堂)。

「没後200年記念 木村蒹葭堂-なにわ 知の巨人-」の表紙を飾っておりました谷文晁先生の「木村蒹葭堂肖像」は今回は展示がありませんでした。ただしパネル展示はありました。

代わりに、2022年3月23日から5月8日まで京都国立近代美術館で開催されておりました「サロン!雅と俗-京の大家と知られざる大坂画壇」展でも展示されておりました、高川文筌先生筆、建部凌岱先生撰文、椿椿山先生書の「木村蒹葭堂肖像」が展示されておりました。

谷文晁先生の「木村蒹葭堂肖像」は重要文化財とのことです。「サロン!雅と俗-京の大家と知られざる大阪画壇」展でもこの作品は展示されておりませんでしたので、この作品、なかなかお借りできないのかもしれません。

中庭に沿った回廊を抜けて展示室2では、画人としての蒹葭堂先生の作品が展示されておりました(第二章 文人画家 蒹葭堂)。他にもいくつか資料や書(片山北海先生筆)が展示されておりました。

展示室2を出てエントランスホールを横切って図書コーナーの横から展示室3に入ると、蒹葭堂先生と他の文人のみなさま方との交友を示す作品群が展示されておりました(第三章 蒹葭堂と文人たちの交友)。伊勢長島藩主で蒹葭堂先生のマブダチでいらっしゃる増山雪斎侯や、細合半斎先生、浜田杏堂先生、十時梅厓先生、岡田米山人先生、愛石先生などの諸先生方の作品が展示されておりました。雪斎侯を除けば、基本的には大坂在住の先生方のようです。

さらに展示室4から展示室5においては、紀州の文人のみなさま方と蒹葭堂先生との交友を示す作品群が展示されておりました(第四章 紀州における蒹葭堂の交友)。紀州の文人画家といえば、桑山玉洲先生、野呂介石先生ですネ! もうお一人、祇園南海先生のご子息、祇園尚濂先生の作品や、紀州のナゾの文人僧侶、松丘先生の作品も展示されておりました。

ここで、本展で展示されていた作品についてヲタトークすると長くなるので差し控えたいと思います。

といいつつ、ほんの少しヲタトークさせて頂きたく、印象に残った作品を2つ挙げさせて頂きます。

ひとつは第一章で展示されておりました、作品番号10「花蝶之図」という蒹葭堂先生の作品です。

関西大学図書館の所蔵で、関西大学アジア・オープン・リサーチセンターのデジタルアーカイブで画像が公開されております。二次利用可能のようですが、本投稿では二次利用せずにリンクを張らせて頂きます。

紅葉した木の枝に巻き付いた朝顔っぽい花にチョウチョが今にも止まりそうな感じに見えます。かなり写実的な表現ですね。南蘋派によくみられる画題のようです。

もうひとつは、第二章で展示されておりました、作品番号15「米法山水図」という蒹葭堂先生の作品です。

こちらの作品も、関西大学図書館の所蔵で、関西大学アジア・オープン・リサーチセンターのデジタルアーカイブで画像が公開されております。リンクを張らせて頂きます。

こちらの作品はコテコテの南画といった感じになるのでしょうか。

この作品は、作中に記載される文(款記)から、蒹葭堂先生により亀井(小倉)東溪先生に対して贈られたものだということがわかるそうです。

亀井東溪先生は、讃岐の国すなわち現在の香川県において、いや、讃岐の国だけでなく全国的にもその名が知られた「南蘋派」の画家だそうです。

弊方も存じ上げておりませんでしたが、2023年1月28日から3月19日まで高松市歴史資料館で開催されていた激萌え展覧会「万物流転 語られるイメージと時間」を拝覧したときに、同高松市歴史資料館で過去に開催されていた「花鳥画の系譜 東溪と南蘋派」展図録を購入させて頂いて、初めて存じ上げていた次第です。僭越ながら同展図録を弊方のガラケー的なガラホで撮影したものを掲載させて頂きます。

実は、先ほどの2作品、上記の「花鳥画の系譜 東溪と南蘋派」展図録にも掲載されておりました。

一方は写実的であり、もう一方は南画として典型的といっていいような感じですが、画人としての蒹葭堂先生の作風の広さを感じました。

もうすでに長くなっておりますので、ここらで切り上げようと思いますが、若干写真が少なくて寂しい気がしますので、田辺市立美術館入口の本展ポスターが掲示されているありさまを、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影させて頂いたものを僭越ながら掲載させて頂きます。

ご覧の通り、4つのポスターが、それぞれ無色透明なガラスもしくはアクリルの掲示板? の中に浮かぶように、千鳥状に配置されており、何だかオシャレだと思われませんでしょうか。見出し画像と同じですね。

なお、先ほどの田辺市立美術館の遠方写真でも、小さいですがこのポスター掲示を確認できます。

上記の写真は入口外側からの写真ですが、これを反対側、すなわち入口内側から撮影した写真を、僭越ながら掲載させて頂きます。

入口内側から見ても、同じように4つのポスターが千鳥状に浮かぶように配置されておりますね。同館の真ん前のお花畑や、さらに向こう側の公園を背景にして見ると、入口外側とは違ったオシャレ感があるように、おっさん的には思いました。ちなみに、同館の前の公園は「新庄総合公園」というそうです。

結局長くなってしまいました。申し訳ございません。同館が近くだったら展示替えがなくてももう1回行きたいくらいの本展ですが、そういうわけにもいかないのがツライところです。田辺市立美術館の2024年度の展覧会/企画展も是非期待したいと思いました。

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