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跡見学園女子大学花蹊記念資料館「没後80年跡見玉枝」展

閲覧ありがとうございます。日本絵画一愛好家です。

昨年2023年初冬の過日、跡見学園女子大学花蹊記念資料館にて開催されておりました「没後80年 跡見玉枝」展(2023.9.28-12.8)を拝覧させて頂きました。

本展に関しては、弊方、旧Twitter現Xでも投稿済なのですが、改めて本記事としても投稿させて頂きました。

跡見学園女子大学のキャンパスは、東京都文京区の文京キャンパスと埼玉県新座市の新座キャンパスの2か所ということですが、花蹊記念資料館は新座キャンパス内に所在するとのことでした。ご参考までに、跡見学園女子大学花蹊記念資料館のウェブサイトに、僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

跡見玉枝先生については、弊方、お名前は存じ上げておりました。近代日本画に関する文献や図録などを拝読しておりますとよくお見かけするお名前なのですが、インターネットで安直に検索しても、用語解説程度の情報しか得られず、展覧会開催等の情報もほぼ確認できませんでした。

「跡見玉枝」は「あとみぎょくし」とお読みするそうです。同時代的に著名な画家であるにも関わらず、展覧会が開かれていなかったり詳細な研究文献がなかったりする画家/絵師はかなりいらっしゃるようです。跡見玉枝先生も、そのような感じなのでしょうか。

さて、弊方が本展を存じ上げたのは全くの偶然でした。

東京都渋谷区の実践女子大学に所在する大学内ミュージアムの香雪記念資料館において、2023年10月2日から11月18日にかけて「波多野華涯の世界 -女性文人画家の明治・大正・昭和-」という展覧会が開催されることが明らかとなり、これはもぉお伺いしようと思いました。

波多野華涯先生といえば、大阪中之島美術館において、昨年2023年1月21日から4月2日にかけて開催されておりました「大阪の日本画」展でもその作品が展示されていた、近代大阪文人画界の巨匠のようでしたが、弊方は全く存じ上げておらず、「大阪の日本画」展でそのお名前を初めて存じ上げた次第でした。

とはいうものの、何せ関西から東京方面にお伺いするとなると、時間的にも交通費的にも結構たいへんなので、元を取りたい! とセコい弊方としては考えてしまうわけです。

何の「元を取る」のかといいますと、せっかく時間と交通費をかけて東京方面にお伺いするのですから、少なくとも2~3つの展覧会はハシゴしたいという意図です。

そこで、「波多野華涯の世界」展とハシゴ可能な、日本絵画関係の展覧会はないかとインターネットを安直に検索していたのですが、これがなかなか見当たりませんでした。

どないしょう?! 「波多野華涯の世界」展だけを目的に東京に行くか、それとも断念するか、いや断念できるわけもなく、いろいろな検索キーワードで探しておりましたところ、どうやってたどり着いたのか覚えていないのですが、跡見学園女子大学花蹊記念資料館の「没後80年 跡見玉枝」展に到達したわけです。

これはもぉ、「波多野華涯の世界」展と「没後80年 跡見玉枝」展のダブルメインで東京にお伺いできまんがな! 元取れましたがな!! そういった次第で跡見学園女子大学花蹊記念資料館にお伺いすることにいたしましたわけでございます。

なお、「波多野華涯の世界」展についても note で投稿できればと考えております。

そこで、交通手段を調べておりますと、花蹊記念資料館の所在する跡見学園女子大学新座キャンパスの最寄り駅、JR武蔵野線の新座駅からは公共交通機関が存在しない模様でした。

それでは、同大学の学生のみなさま方はどうやって新座キャンパスに通学されているのかというと、大学バスが存在するということでした。

さらに花蹊記念資料館のウェブサイトを確認すると、「花蹊記念資料館の観覧に来た」旨を大学バスの乗務員の方にお伝えすれば、学外のおっさんでも同大学バスを利用できるとのことでした。

いや、しかし、しかしですよ、女学生のみなさま方ばかりがご乗車される大学バスに、おっさん一人で乗車した有様を想像できますでしょうか?!

いや、弊方、想像しました。

・・・あかんですがな! 無理ですがな!! 乗車なんかできるわけないやんかいさ!!! どやさどやさ!!! 御堂筋堺筋なにわ筋!!!(by 今いくよくるよ師匠)

もし乗車しようものなら、キモいおっさん一人で女子大学の大学バスに乗るな! 恥を知れ!! 帰れ!!! などという無慈悲なお言葉を浴びるに違いありません!!!

とはいうものの、「没後80年 跡見玉枝」展にはぜひともお伺いしたい! もしかすると現地では、弊方と同様に花蹊記念資料館にお伺いを企てる同志のおっさんが居られたり、もしくは、大学の教員や関係者の男性とかが居られたりするのではないか、と淡い期待を抱いて、関西から新幹線でJR東京駅まで至り、東京駅からJR京浜東北・根岸線で南浦和駅まで至り、そこからJR武蔵野線に乗り換えてJR新座駅に無事到着しました。

そして、同駅の北口を出て跡見学園女子大学新座キャンパス行の大学バスの乗り場に眼を遣りました。

女学生のみなさまばかりでした。

男性一人もおりませんでした。多くのうら若き学生諸姉が大学バスをお待ちになっておりました。

おっさん、くじけました。

いや、しかし(こればっかりですね)、こんなこともあろうかと、徒歩で新座キャンパスにお伺いする経路を予め確認しておりました!!! 当日、天候が悪くえらい雨が降っておりましたが、雨がナンボのもんじゃ! ということで徒歩で新座キャンパスを目指しました。

なお、無事に到達した跡見学園女子大学花蹊記念資料館において、「没後80年 跡見玉枝」展の図録を購入させて頂いた折に、同館の方(おそらく跡見学園女子大学の教官の先生)と少し雑談をさせて頂いたのですが、弊方のように、大学バスに乗車することが憚られる方々は多い模様でした。

そこで、弊方の再訪のための備忘録も兼ねて、弊方の如く大学バスに乗車することが困難な悲しいおっさんのために、跡見学園女子大学花蹊記念資料館の徒歩ルートを解説させて頂きます。

まずは、弊方作成の稚拙な略地図その1を下記に掲載させて頂きます。赤い線の矢印が徒歩ルートです。

略地図その1

まず、新座駅北口の駅前は、一方向周回型のターミナルになっており、このターミナルを出ると新座北口通りという道路につながっております。

この新座北口通りを向かって右側に直進して頂ければ、突き当りが県道109号線につながっており、信号のあるT字交差点になっておりますので、そこを左手に進んで頂ければと思います。きちんと歩道が整備されております。

そのまま県道109号線の歩道をどんどんずんずん進んでいって頂きますと、大和田中町の交差点に出ます。略地図その1では、便宜上短く表現しておりますが、大和田中町交差点までは実際にはもっと長い道のりです。

大和田中町の交差点を曲がることなく、さらにそのまま、歩道は少し狭いですが直進で進み続けて頂きますと、柳瀬川という川に架けられた英橋(はなぶさばし)に到達いたします。そこの写真がこちらです。略地図その1で黄緑色の円形シンボルで示した“point 1”に相当します。めっちゃ雨降ってるのがおわかりでしょうか?

英橋にもちゃんと歩道が整備されておりますので、そのまま橋を渡って頂きますと、歩道は道路に沿わずに、道路の下側をくぐる短いトンネルのようになっております。その写真がこちらです。略地図その1の“point 2”に相当します。やっぱりめっちゃ雨が降っているのがお判りでしょうか?

この短いトンネルの手前に「歩行者・自転車のみなさまへ」という看板が設置されており、現在地と目的地に向かう経路が色分けの矢印で示されております。その写真がこちらです。この看板も“pont 2”に相当します。

赤い吹き出しの現在地から見て、濃いピンク色の矢印で示される川越方面こそが、我々の目指す跡見学園女子大学新座キャンパスの方向ですので、この短いトンネルを抜けましょう!

そうすると、あまり管理されていない感じの坂道の歩道になっております。弊方がお伺いしたときには雑草が結構生えていて、結構大きな水たまりもできておりました。

この辺り一帯は、国道245号、国道463号、県道109号が交差している英(はなぶさ)インターチェンジというそうです。あまり管理されていない風の坂道は、この英インターチェンジ下をくぐっていることになるようです。

ここまでが略地図その1で示したルートです。次に、英インターチェンジをくぐった後の経路を、弊方作成の稚拙な略地図その2として下記に掲載させて頂きます。略地図その1と同じく、赤い線の矢印が徒歩ルートです。

略地図その2

英インターチェンジの下をくぐった坂道の歩道をそのまま道なりに進んでいきますと、大和田2号歩道橋というところに出てきます。それが次の写真です。略地図その2の“point 3”に相当します。当然のごとくめっちゃ雨が降っているのがお判りでしょうか?

大和田2号歩道橋は、国道254号から英インターチェンジ側に向かって脇道が分岐しているところに、当該脇道も含めて国道254号を跨ぐように設置されていました。この国道254号(川越街道)をずんずんどんどん進むと、再び歩道橋が見えるのですが、この歩道橋を超えたすぐ左手側に、我らの崇高なる目的地、偉大なる跡見学園女子大学新座キャンパスが燦然と輝くかの如く鎮座されております。

新座キャンパス正門付近はバスターミナルのようになっておりますが、正門の向かって右側に「門衛所」があります。略地図その2では、青い矩形シンボルで示しております。そこで、「花蹊記念資料館を観覧したい」旨を伝えて頂ければよいとのことです。

当日、弊方も門衛所に駐在される、紳士的なご様子の門衛の方にその旨お伝えしたところ、雨の中ごくろうさまですという旨の労いのお言葉を頂いた上で、入館証を貸与頂き、花蹊記念資料館の場所もご案内頂きました。

もし、キモいおっさん一人で女子大学に来るな! 恥を知れ!! 帰れ!!! などと無慈悲な言葉をぶつけられたらどうしようと内心ビクビクしていたのですが、まぁ当然ですがそのようなことはなく、弊方恐縮するほどにまことに親切にご対応頂きました。

念のため申し上げておきますと、花蹊記念資料館以外の建物には入らないように! 門衛所でもその旨ご説明があります。

なお、新座キャンパスのキャンパスマップのリンクを僭越ながら張らせて頂きます。リンク先は、跡見学園女子大学新座キャンパスの紹介ページですが、少しスクロールして頂くと、ステキなイラスト化されたキャンパスマップが掲載されております。

キャンパスマップの手前が正門で、門衛所も描かれております。正門から見て一番奥の②2号館の1階が花蹊記念資料館となっております。⑩メインストリートを通って⑤図書館前を通るのが最短ルートだろうと思われます。おっさんの訪問者の方は、誤解を招かないようにこの最短ルートを通るべきだと、弊方勝手に思っております。

このようにして到達いたしましたのが、花蹊記念資料館です。入口写真を掲載させて頂きます。

もちろん花蹊記念資料館内は撮影禁止です。しかしながら、入口やホワイエ付近等は撮影可能であることを確認させて頂いた上で、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影させて頂きました。ちなみにホワイエ付近の写真も掲載させて頂きます。

さて、念願の跡見玉枝先生の作品を拝見させて頂くべく、入館させて頂きました。まずは玉枝先生の画人としての系譜のご紹介がありました。

本展、前記の通り図録が作成されておりましたので、もちろん弊方ゲットさせて頂きました。同展図録によれば、玉枝先生は、まずは従姉であり、跡見学園の学祖でいらっしゃいます跡見花蹊先生に絵の手ほどきを受けられたそうです。その後のさらに次のような先達の画人の方々から教えを受けたそうです。僭越ながら、同展図録から少々長くなりますが引用させて頂きます。

 正確な時期は不明だが、その後玉枝は、四条派の松村景文門下であった長谷川玉峰に師事する。さらに頼山陽(らいさんよう)門下の儒者・宮原節庵(せつあん)に漢籍や書法を、医師で国学者の宮崎(桜戸)玉緒(たまお)に和歌や桜画の描法を学んだ。宮崎玉緒は桜の研究に傾倒し、桜花図にも秀でたことで知られている。玉枝は玉緒のもとで様々な品種の桜を写生し、桜花研究に勤しんだ。後に桜花図の名手として名を馳せた玉枝にとって、玉緒との出会いは、重要な転機の一つであったといえよう。
 明治十年(一八七七)には、江戸時代から続く望月派の画家・望月玉泉に入門した。望月玉泉は当時京都画壇の中核を担う画家の一人として活躍しており、玉枝はその門下で画家として活動基盤を築いた。

跡見学園女子大学花蹊記念資料館令和五年度企画展「没後80年 跡見玉枝」図録(2023)
第5ページ上段第14行-下段第3行(括弧内よみがなは原典ではルビ)

要すると、玉枝先生は、画人としては、跡見花蹊先生、長谷川玉峰先生、宮崎玉緒先生、望月玉泉先生の各先生方にそれぞれ師事された模様で、特に影響が大きかったのは、宮崎玉緒先生と望月玉泉先生だった模様です。

ということは、跡見玉枝先生、川合玉堂先生と師匠を同じくするということですね。なお、玉堂先生は、玉枝先生とは同時期に姉弟子・弟弟子という関係でいらしたわけではなかった模様です。

なお、川合玉堂先生については、2023年10月13日から12月10日にかけて名都美術館で「川合玉堂 -心に響く ノスタルジックワールド-」が開催されており、本 note で投稿させて頂いておりますので、僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

本展(「没後80年 跡見玉枝」展)では、入口から見て左側の展示室1において、跡見花蹊先生、宮崎玉緒先生、望月玉泉先生の作品がそれぞれ1点ずつ展示されており、さらに、漢籍・書法の師である宮原節庵先生が画賛なされた玉枝先生の作品が2点展示されておりました。

もちろん玉枝先生の作品も展示されていたのですが、特に印象的だったのは、資料No. 17「航米画帖」でした。玉枝先生は、1905年に渡米されたそうで、その折に訪問されたところの風景や植物などを写生されて画帖とされたようです。

これ以外にも、例えば、歴史人物画である「八幡太郎義家ノ図」(資料No. 10)や真景図(?)である「嵐山春景図」(資料No. 9)など、いろいろと激萌え作品があったのですが、もうすでにたいがい長くなっているので差し控えたいと思います。

なお、会場で配布されていた出品資料一覧の資料No.と展覧会図録の資料No.とは必ずしも一致していないようですので、原則として出品資料一覧の資料No.に基づいております。

これ対して、入口から見て右側の展示室2においては、玉枝先生による複数の「桜花図」が展示されておりました。

また、展示室2では、玉枝先生が主宰される画塾「精華会」に関連する作品群も展示されておりました。例えば、資料No. 34「瓢箪図」は、玉枝先生と門下の39名の方々の款記があり、玉枝先生が門人のみなさま方から愛されていた様子がよくわかると思いました。なお、玉枝先生の門下のみなさま方はいずれも女性のようです。

さて弊方、玉枝先生の「桜花図」を見て、もちろん感銘を受けて、おっさん激萌え状態だったのですが、なんか織田瑟々先生の作品に似てるかも? という所感を覚えました。

人呼んで「花惜しむ人(惜花人)」の織田瑟々先生については、 Wikipedia やコトバンクに項目がありますので、そちらをご覧頂ければと思います。

また、書籍としては、偉大なる学習院女子大学教授の今橋理子先生による銘著『桜狂の譜 江戸の桜画世界』(青幻社、2019年、ISBN978-4-86152-711-1 C0071)がありますので、そちらをご参考頂ければと思います。

弊方が、織田瑟々先生について存じ上げたのは、かなり古い書籍ですが、石丸正運先生の著書『近江の画人たち』近江文化叢書7、サンブライト出版、1980年でした。

なお、石丸正運先生ですが、滋賀県立近代美術館(現滋賀県立美術館)の開設準備に携わられ、後に同館館長を務められ、その後も数々の美術館の館長などを歴任され、現在では、名都美術館の館長を務めていらっしゃるようです。おぉ、また名都美術館開催の玉堂先生の展覧会「川合玉堂 -心に響く ノスタルジックワールド-」とつながった!

また、『近江の画人たち』の「後継」書籍として、『近江の画人 海北友松から小倉遊亀まで』(石丸正運編、井上ひろ美、大原由佳子、國賀由美子、高木文恵、森岡榮一、山口真有香著、2020年、サンライズ出版、ISBN978-88325-684-6 C0071)という、ちょっとお高いですがたいへんな銘著がありますので(織田瑟々先生については、第114-117ページにおいて國賀由美子先生が執筆されております)、そちらをご参考頂ければと思います。

織田瑟々先生は、三熊思考先生を「祖師」として桜花のみを描く「三熊派」の画人であり、その作品は、まさしく「芳華自中出-花の芳しさは自ずからその中より出づる」(『桜狂の譜 江戸の桜画世界』第117ページ第3-4行)という感じを弊方覚えるのですが、一方で、跡見玉枝先生は、同展(「没後80年 跡見玉枝」展)を拝覧した限りでは、瑟々先生の作品に似ているとはいえ、桜を主題とした「花鳥画」を描かれているというように、弊方は所感を覚えております。

例えば、資料No. 20「御車返桜」、資料No. 21「突羽根桜」、資料No. 22「桜花水禽」、資料No. 23「老緋桜之図」、資料No. 24「衣笠桜」は、いずれも桜花だけではなく鳥が描かれており、桜花を主題としつつも小禽と描き合わせることで、格調高い「桜花花鳥画」という感じであるように、弊方は妄想させて頂きました。

ご参考までに、同展チラシ(フライヤー)に玉枝先生の「御車返桜」が掲載されておりましたので、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影したものを僭越ながら掲載させて頂きます

しかしながら、織田瑟々先生の作風との類似性を強く覚えたことから、宮崎玉緒先生について、インターネットを安直に検索しましたところ、「民俗文化研究会 公式ブログ」の 2023.2.18 記事「[東京] 定例研究会報告 神習教直轄宮比教会における芸能」が見出されました。僭越ながら下記にリンクを張らせて頂きます。

こちらのページをご確認頂ければと思いますが、敢えて僭越ながら宮崎玉緒先生に関するご指摘を下記の通り引用させて頂きます。

文化面で多くの活躍をした宮崎玉緒だが、その中でも「桜」に関する業績が大きい。江戸時代、「櫻は皇国の尤物にして異国にはなし。是をゑがくは國民の操ならむ」として桜を描き続けた三熊思孝(介堂)と、その妹・三熊露香、弟子の尼僧・織田瑟々らの画家を「三熊派」と言い、多くの桜画を残すとともに各地の桜について文化的な研究を続けていた。その中でも織田瑟々は榊光慶と昵懇で、光慶は瑟々から多くの桜画を譲り受けたという。この縁から宮崎玉緒は桜画を三熊派に影響を受け、小松宮に仕える一方で桜の研究に没頭した。

民俗文化研究会 公式ブログ
「[東京] 定例研究会報告 神習教直轄宮比教会における芸能」(2023.2.18 記事)
「宮比教会の設立」第3段落

そうすると、間接的にではありますが、跡見玉枝先生は、同じく女性画家であった江戸時代の大先達である、織田瑟々先生の流れを汲む画人ということができるのかもしれません。

なお、本展(「没後80年 跡見玉枝」展)で展示されておりました宮崎玉緒先生の作品、資料No. 4「薄花桜・吉野山桜・黄桜合図」は、画題の通り3種類の桜を描き分けた掛軸作品でした。このスタイルは、織田瑟々先生を含む三熊派の「桜花画」と同様のように思われました。

一方、弊方が受けた印象では、玉枝先生の作品は、「桜花花鳥画」と解釈されるからかもしれませんが「花惜しむ人」という感じではなかったのですが、「芳華自中出」という感じは強く受けました。

なお、織田瑟々先生に関しては、2023年4月8日から6月11日にかけて、東近江市中路融人記念館にて「東近江の桜-中路融人と織田瑟々-」という激萌え展覧会が開催されており、弊方、拝覧いたしておりますので、可能であれば note に投稿させて頂きたいと思います。

分かりにくいとは思いますが、「東近江の桜-中路融人と織田瑟々-」のチラシ(フライヤー)に、織田瑟々先生の作品「帆立桜真図」が掲載されておりましたので、こちらも僭越ながら弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影したものを掲載させて頂きます。

上が織田瑟々先生の作品で、下が中路融人先生の作品です。本展(「没後80年 跡見玉枝」展)チラシ(フライヤー)と見比べて頂くと・・・、画質が悪いのでわからないですかね?!

また、『桜狂の譜 江戸の桜画世界』の中でも今橋理子先生が言及されておりますが、滋賀県東近江市川合寺町に所在する、織田瑟々先生の菩提寺・西蓮寺では、毎年四月初めに「江戸の女流画家・織田瑟々展」が開催されているそうです。

今橋先生によれば、菩提寺の所在する東近江市川合寺町においても、織田瑟々先生のお名前が忘れられつつあったそうで、これに危機感を覚えた西蓮寺の住職でいらっしゃる杉山正瑞師らが立ち上がって、「江戸の女流画家・織田瑟々展」を継続的に開催されたそうです(『桜狂の譜 江戸の桜画世界』第183ページ)。西蓮寺の桜画展については、東近江市中路融人記念館の「東近江の桜-中路融人と織田瑟々-」においても、パネル展示で触れられておりました。

なお、弊方が安直にインターネットを検索した限りでは、西蓮寺のウェブサイトを確認することはできませんでした。

ということで、本展「没後80年 跡見玉枝」展はで、跡見玉枝先生の貴重な作品を拝見できただけでなく、織田瑟々先生や三熊派とのつながりも窺い知ることができて、弊方激萌えでございました。

めちゃくちゃ長くなってしまいましたですね。たいへん申し訳ございませんでした。

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