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「呉春-画を究め、芸に遊ぶ-」展(-2024.11.24)・大和文華館

閲覧ありがとうございます。日本絵画一愛好家です。

本記事は、2024年10月19日から11月24日まで大和文華館(奈良市学園前)にて絶賛開催中の特別展「呉春-画を究め、芸に遊ぶ-」展について、弊方による雑な飛報とご理解頂けますと幸甚です。

ということで、大和文華館ウェブサイトの本展ページに僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

大和文華館に関しては、弊方の以前投稿した記事に僭越ながらリンクを張らせて頂きます。よく考えると、大和文華館にはかなりの頻度でお伺いしているような気がせんでもありません。

大和文華館のたいへん格調高い入口付近を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を僭越ながら掲載させて頂きます。

以前記事にさせて頂いた大和文華館の企画展は「やまと絵」を主題したもので、個人の画人としては、冷泉為恭先生「推し」と妄想される特別企画展でした。

大和文華館のコレクションの中には冷泉為恭先生の作品が複数含まれており、2005年には「復古大和絵 為恭 -幕末王朝恋慕-」という特別展も開催されております。

このような経緯から、弊方、本展「呉春」展も、大和文華館のコレクションに呉春先生の作品が含まれており、それゆえに開催されたものだと勝手に思いこんでおりました。

しかしながら、本展にお伺いして展示作品リストを確認すると、大和文華館蔵はたったの1点、リスト番号40「東山第一楼勝会図画帖」だけでした。

弊方、呉春先生の作品のうち日本国の重要文化財に指定されている作品として存じ上げているのは、逸翁美術館蔵の、かの有名な六曲一雙のナゾの雰囲気を醸し出すクレージーな屏風「白梅図屏風」くらいでした。

しかしながら、本展では、日本国の重要文化財に指定されている作品として、もちろん「白梅図屏風」が含まれているだけでなく、リスト番号6「群山露頂図襖」(大乗寺蔵、大乗寺襖絵)、リスト番号11「柳鷺群禽図屏風」(京都国立博物館蔵)、リスト番号28「四季耕作図襖」(大乗寺蔵、大乗寺襖絵)が展示され、さらには、京都市指定文化財であるリスト番号30「山水図襖絵」(妙法院門跡)、リスト番号34「四季耕作図襖」(西本願寺蔵)、リスト番号46「泊船図襖」(総本山醍醐寺蔵)も展示されているという、なんとスゴいというか素晴らしいというか恐ろしい展覧会となっております。

弊方、必ずしも指定文化財であるから美しくて素晴らしくて有難い、と感じているわけではございません。近年いろんなミュージアム等で開催されている文化財関係に関する展覧会を拝覧して弊方が思うところは、文化財指定制度は、保存修復のための税金投入の優先順位を、そのときどきの価値観や政治情勢に合わせて指定する制度、という感じで解釈しております。

言い換えれば、日本国や自治体が指定する文化財とは、政治的な側面が強く法的な規制を受ける、という意味で、非常に興味深いのですが、逆に言えば、文化財指定されている作品をミュージアムで展示するには、法令等に基づいてそれなりの制約を受け得るもののようですので、お借りするのは大変ではないかと妄想しております。

本展のスゴいというか恐ろしいというか凄まじいと思うのは、自館(大和文華館)蔵の作品で文化財指定されている作品が1点も存在しない上に、館蔵作品の展示がわずか1点だけであるにも関わらず、他館あるいは寺院や個人から、指定文化財作品、あるいはそれに匹敵するスゴい作品をお借りしてこられて展示されている、というところにあります。

なお、本展で指定文化財作品は呉春先生の作品だけではありませんでした。呉春先生の師匠・与謝蕪村先生の作品であるリスト番号9「鳶・烏図」(北村美術館蔵)や、呉春先生の「莫逆之友」・円山応挙先生の作品であるリスト番号27「雪梅図壁貼付」(草堂寺蔵)という2点の日本国指定重要文化財作品が含まれておりました。

おぉ、なんと恐るべし! 本展のキュレーターを務められた学芸員の先生がスゴいのか、大和文華館がスゴいのか、おそらくその両方であろうと思われるのですが、それにしてもスゴいというか恐ろしいというか凄まじい展覧会だと思いました。

あまり脈絡がありませんが、本展、当然ながら写真撮影禁止ですので、当然ながら展示作品の写真はなく、比較的写真が少ないので、さりげなく大和文華館入口前の本展「呉春」展の看板を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

さて、写真がないなら文章でながながと説明すればいいじゃない♡ 的な観点から、ご参考までに弊方的に何が凄まじいのかを熱くウザく暑苦しく説明させて頂きたいと思います。

飽くまで弊方が勝手に一方的に被害妄想的に思い込んでいるのですが、「近世京都画人の二大等閑視巨匠」のうちのお一人が呉春先生です。「等閑視」というのは、「無視」を学術的に格調高く表現する際に用いられる言葉の模様です。

その根拠は、呉春先生といえば、四条派の創始者であり、近世だけでなく近代京都画壇に影響を大きな及ぼした巨匠でいらっしゃるにも関わらず、本格的な個展がほとんど開催された形跡がないように思われるためです。

弊方が安直にインターネットを検索して検出できた範囲内ですが、飽くまで呉春先生“のみ”を「主役」とした展覧会/企画展という位置づけで調べると、下記のような結果となりました。

○「呉春筆白梅図屏風 -円山四条派の絵画-」逸翁美術館 2010.1.16-3.7

○「没後200年呉春展」池田市立歴史民俗資料館 2011.10.21-12.4

○小企画展「月渓 呉春のもうひとつの貌(かお)」 公益財団法人柿衞文庫 2011.1.15-2.27

○「四条派への道 呉春を中心として」 西宮市大谷記念美術館 2019.4.6-5.12

○「画家「呉春」-池田で復活(リボーン)!」 逸翁美術館 2019.9.14-12.8

このうち、西宮大谷記念美術館の「四条派への道」展と、逸翁美術館の「画家「呉春」-池田で復活(リボーン)!」展は、弊方拝覧させて頂きました。いずれもたいへん激萌え展覧会でしたが、それぞれのミュージアムのウェブサイトにアーカイブが残っておりましたので、僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

西宮大谷記念美術館の「四条派への道」展は、「呉春と四条派」とか「呉春から四条派へ」とかいう名称でもよかったんとちゃいまっしゃろか、と最初は思ったのですが、この展覧会が非常に激萌えだったのは、京都だけでなく「大坂」への四条派の広がりを主題としていたということで、2022年3月23日から5月8日まで京都国立近代美術館にて開催されていた「サロン! 画と俗 京の大家と知られざる大坂画壇」展の先駆け的に位置づけられるところでした。そうすると「四条派への道」展は、やはり呉春先生の個展/回顧展とは言いにくいなぁと思いました。

逸翁美術館の「画家「呉春」-池田で復活(リボーン)!」展は、リンク先をご確認頂ければおわかりかと思いますが、さすがの阪急東宝グループ!!! かの偉大なる「ゴジラ」のセルフパロディ(オマージュ?!)が超絶激萌えで、呉春先生に対する逸翁美術館の「愛」を一方的にひしひしと感じた展覧会でありました。

ただし、「四条派への道」を除く展覧会/企画展はいずれも、呉春先生が「呉春」という雅号(画号)をお名乗りになるきっかけとなった「呉羽里(くれはのさと)」、上方落語の名作「池田の猪買い」でもお馴染みの大阪府池田市に所在するミュージアム、あるいは池田市の近隣の自治体のミュージアムに限定されている感じです。そうすると「地元の巨匠画人」を顕彰する、という意味合いが強いのではないか、という印象を持っております。

ちなみに池田市立歴史民俗資料館の「没後200年呉春展」は、図録が残っておりましたので以前購入させて頂いたのですが、この「呉春展」は、図録の内容を確認する限りは、「美術展覧会」というよりも「歴史博物館的な展覧会」のような印象を持っております。

弊方がインターネットの安直な検索で検出できた最も古い呉春先生の展覧会は、1979年(昭和54年)に兵庫県尼崎市の尼崎市総合文化センターで開催された「呉春展」でした。

尼崎市は池田市の近隣自治体といってもよいと弊方思うのですが、弊方による安直なインターネットの検索で確認できた範囲内では、どうも尼崎市総合文化センターでは、昭和50年代に江戸時代の巨匠画人の展覧会を毎年開催されていた形跡がありました。

尼崎市総合文化センターでは、「呉春展」の翌年の1980年(昭和55年)に「池大雅展」が開催され、その翌年の1981年(昭和56年)に「伊藤若冲展」が開催され、その翌年の1982年(昭和57年)に「与謝蕪村とその門人展 九老・金谷」が開催され、その翌年の1983年(昭和58年)に「谷文晁展」が開催されていた模様です。他にも開催されていたかもしれません。

因みに弊方、尼崎市総合文化センター1979年開催の「呉春展」の図録を古書でゲットしておりますので、僭越ながら雑な写真を掲載させて頂きます。

そうすると、尼崎市総合文化センターで開催された「呉春展」は、地理的には池田市の近隣ではあるもものの、「地元の巨匠画人」を顕彰とするというよりも、「江戸時代の巨匠画人」を顕彰するという意味合いが強いのではないかという印象を持っております。

ちなみに、呉春先生とならんで、「近世京都画人の二大等閑視巨匠」のもうお一方だと弊方が勝手に一方的に被害妄想的に思い込んでいる画人は、岸駒先生です。岸駒先生の岸派も四条派とともに近代日本画に大きな影響を及ぼしていると弊方考えているのですが、呉春先生と同様に本格的な個展が開催された形跡を、インターネットの安直な検索では確認できませんでした。

ただし岸駒先生は北陸出身であることが確実だそうで、石川県説と富山県説とがあるらしいのですが、富山市佐藤記念美術館では、おそらく富山県説から「地元の巨匠画人」を顕彰されるという感じで、岸駒先生の展覧会が何回か開催されておりました。

弊方、2021年10月2日から11月7日まで富山市佐藤記念美術館にて開催されていた特別展「岸駒と岸派の絵画」展は拝覧させて頂いております。富山市佐藤記念美術館ウェブサイトにアーカイブが残っておりましたので、僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

弊方が何を申し上げたいのかというと、大和文華館で絶賛開催中の本展「呉春-画を究め、芸に遊ぶ-」展は、「地元の巨匠画人」と顕彰するという目的ではなく、「近世京都画壇の巨匠画人」を顕彰するという目的では、1979年の尼崎市総合文化センターの展覧会以来、なんと45年ぶり!(弊方私見) という、なんちゅうこっちゃ! えらいこちゃえらいこっちゃ!! どやさどやさ御堂筋堺筋なにわ筋!!! (by 故今いくよくるよ師匠)的な、ものすごく凄まじい展覧会であると申し上げたいということです。

このような理由から、たいへん暑苦しくて申し訳ありませんが、弊方「おススメ」を改め弊方「推し」の作品について紹介させて頂きたいと思います。なお、これまでの飛報では「おススメ」という表現を用いておりましたが、何となく上から目線っぽい気がしましたので「推し」とさせて頂きました。

指定文化財がどないしたっちゅ~ねんっ! 的な偉そうなことを申し上げましたが、本展のたいへんわかりやすい「推し作品」第一弾は、日本国の指定重要文化財である大乗寺襖絵の2作品です。

実はこの呉春先生の大乗寺襖絵の2作品、元々は、偉大なる円山応挙先生の作品と表裏一体、一心同体少女隊(昭和感満載で申し訳ありません)の作品であったそうです。

ということで、本展図録ではありませんが、いちおう引用の範疇に入るのではないかという弊方の勝手な自己判断に基づいて、2013年に愛知県美術館にて開催された「円山応挙展 江戸時代絵画 真の実力者」展図録から、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑で解像度の微妙な写真をいくつか掲載させて頂きます。

この展覧会、弊方、開催されていることすら存じ上げていなかったという大失態をぶちかましているのですが(まぁ当時の状況では仕事の都合や家庭の事情でお伺いすることは困難だったと思うのですが)、大乗寺襖絵のうち円山応挙先生の作品群が、「襖絵」として展示室で再現されていた最初の展覧会のようです。弊方は、後の2019年に京都国立近代美術館にて開催された「円山応挙から近代京都画壇へ」展で拝見させて頂いております。

最初の雑な写真は、愛知県美術館「円山応挙展」図録の第100ページに掲載されている「大乗寺客殿襖絵見取図」を拡大したものです。

「円山応挙展 江戸時代絵画 真の実力者」展図録(愛知県美術館、2013年) 第100ページ(部分)

この雑な写真から明らかなように、応挙先生渾身の「孔雀の間」から見て写真向かって右側(北面になるようです)に「農耕の間」があり、写真向かって右上側(西面になるようです)に「群山露頂の間」があり、これらがいずれも呉春先生の作品であることがお分かり頂けるかと思います。

この北面・西面に当たる応挙先生の作品は、愛知県美術館「円山応挙展」図録の第116-117ページに掲載されており、弊方の微妙なガラケー的ガラホで撮影した雑な写真を僭越ながら掲載させて頂きます。

「円山応挙展 江戸時代絵画 真の実力者」展図録(愛知県美術館、2013年) 第116-117ページ

こちらの写真のうち向かって左側の孔雀図の「裏」が、本展リスト番号6「群山露頂図襖」に相当し、向かって右側の大木の松図の「裏」が、本展リスト番号28「四季耕作図襖」に相当する模様です。

呉春先生基準で言い換えれば、「群青露頂図襖」の「裏」が応挙先生の孔雀図になり、「四季耕作図襖」の「裏」が応挙先生の松図になるようです。

呉春先生の「群青露頂図襖」と「四季耕作図襖」という激萌え作品は、ぜひ本展にお伺いして拝見して頂くか、間に合わなければ図録を購入して拝見して頂きたいと思います。

他にも、逸翁美術館の「白梅図屏風」が通期展示されているとか、応挙先生の日本国指定文化財の「雪梅図壁貼付」と見比べられるとか、いろいろあるのですが、次に紹介させて頂く弊方の「推し作品」は、天台宗山門三代門跡のひとつ、妙法院門跡であらせられて光格天皇の異母兄でもいらっしゃった「真仁法親王」の肖像画(リスト作品番号29「真仁法親王像」、妙法院門跡蔵)です。

本展では妙法院門跡蔵の作品として、リスト作品番号30「山水襖図」、先ほど申し上げた京都市指定文化財の作品も展示されているのですが、妙法院門跡には、人呼んで「名古屋生まれの奇僧、絵筆で人々を救う」でお馴染みの月僊先生の襖絵も所蔵されております。真仁法親王は、月僊先生とも親しかったそうで、こういった観点でも、「真仁法親王像」は弊方の激萌え激推し作品とさせて頂きたく思います。

他にも、ほんまにいろいろスゴい作品が多いのですが、最後に敢えてリスト作品番号31「浜辺松残雪図小襖」とリスト作品番号32「海辺遠景図小襖」を挙げさせて頂きたいと思います。

これら作品は京都御所の皇后宮常御殿に設けられる小襖作品だそうで、宮内庁京都事務所所蔵だそうです。これら作品は、呉春先生の異母弟・景文先生や景文先生の息子の玉文先生、景文先生の門人・八木奇峰先生らにより修復がなされているそうで、オリジナルの呉春先生の作品といえるのか微妙なところもあるようなのですが、京都御所に所在する作品を展覧会で拝見できることはなかなかないと思います。

本展は10月19日から11月4日までが前期展、11月6日から11月24日まで後期展ですので、期間はあまり長くありませんが、呉春先生激萌えを自認されているお方であれば、お伺いしないと後悔するかもしれないかと思います。

最後ですが、写真が少ないですので、先ほどの池田市立歴史民俗資料館の「没後200年呉春展」図録表紙を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を僭越ながら掲載させて頂きます。

この図録表紙に部分採用されております呉春先生の代表作のひとつ「負局先生像」(リスト作品番号3)も本展通期展示されております。

なお、本展図録冒頭には、本展キュレーターを務められたと思われる学芸員の先生の論文が掲載されているのですが、この論文によれば、本展は科研費の助成を受けられている模様です。

大和文華館の企画展では、たいてい土曜日の午後2時(14時)から展示解説(ギャラリートーク)が開催されている模様で、本展でも開催されているようなのですが、前期展はギャラリートークにお伺いできなかったので、後期展ではなんとかギャラリートークにお伺いして、本展キュレーターの先生の解説をお伺いしたいなぁと考えております。

飛報ですので、弊方の雑で一方的で個人的な「推し」のみの短めの記事とさせて頂きました・・・ 長い! 長くなってしもた!! 通常運転のだだ長いヲタトークとあんまりかわらんがな!!! たいへん申し訳ありません。

以上、長くなりご容赦頂きたいと思いますが、閲覧頂きありがとうございました。

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