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京都市京セラ美術館「没後40年 有道佐一 回顧展」(2024)

閲覧ありがとうございます。日本絵画一愛好家です。

まだまだ猛暑が続きますが、暦の上では初秋の過日、京都市京セラ美術館において2024年8月6日から18日まで開催されていた「没後40年 有道佐一 回顧展」を拝覧して参りました。

本展、13日間とたいへん会期が短かったのですが、本展は、京都市京セラ美術館による「自主・共催の展覧会」ではなく、「美術団体等の展覧会」という位置づけだったためのようです。本展の主催は「有道佐一回顧展世話人会・呼びかけ人会」とのことでした。

本展はもう終了しておりますが、京都市京セラ美術館ウェブサイトの「美術団体等の展覧会」の「過去の展覧会」にアーカイブが残されておりますので、僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

弊方、本展のことは直前まで存じ上げておりませんでした。もし仮に事前に存じ上げていたとしても、有道佐一先生が洋画家でいらっしゃることから、あまり興味を示さなかったのではないかと思います。

そうであるにも関わらず、なぜ弊方が本展にお伺いすることになったかといいますと、それは、星野画廊にお伺いしたことがきっかけでした。

星野画廊にて本年2024年7月9日から9月14日まで開催されている「失われた風景・懐かしい光景」展にお伺いさせて頂き、同展を拝覧させて頂いたのですが、この折に、星野桂三先生とお話させて頂くことができ、このとき星野先生からご案内頂いたのが、本展「没後40年 有道佐一 回顧展」と、同じく京都市京セラ美術館において2024年7月19日から9月8日まで開催されている「没後50年 生誕120年 奥村厚一 光の風景画家展」でした。

ということで、僭越ながら星野画廊のウェブサイトのトップページにリンクを張らせて頂きます。星野画廊の古き良きスタイルの「ホームページ」には、ぜひこのトップページから入って頂くべきかと思います。

弊方、洋画(油彩画、油絵)に関しては、全く興味がないわけではないものの、「日本画」に比べると興味の程度は明らかに低いものでした。

しかしながら、この弊方の無知蒙昧を解き放ってくださったのが星野桂三先生でした。

京都文化博物館において昨年2023年7月15日から9月10日まで開催された「発掘された珠玉の名品 少女たち-夢と希望・そのはざまで 星野画廊コレクションより」展に、弊方もちろんお伺いさせて頂きました。このとき、星野桂三先生によるギャラリートークが、2023年7月21日、8月4日、8月18日、9月1日のいずれも金曜日の17時(午後5時)からという、合計4回も開催されており、弊方2回も拝聴させて頂きました。

1回目に拝聴したギャラリートークは4階で展示されていた水彩画・日本画を主とした内容であり、2回目に拝聴したギャラリートークは3階で展示されていた洋画を主とした内容でした。特に2回目のギャラリートークは、弊方にとっては非常に強い感化を受けるものとなりました。

また、星野画廊では、京都文化博物館での「発掘された珠玉の名品 少女たち」展と同時期の2023年8月22日から9月23日には、「星野画廊創業50周年記念特別展-その② 京都洋画の黎明期」展が開催されており、弊方、こちらの特別展にもお伺いしたのですが、このときにも星野桂三先生からいろいろお話を伺うことができ、改めて特に京都および関西の洋画壇に関して強い感化を受けることとなりました。

なお、弊方が星野画廊にお伺いするきっかけになったのが、甲斐荘楠音先生の展覧会なのですが、この点については、以前記事として投稿させて頂いております。僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

さらになおですが、「発掘された珠玉の名品 少女たち」展は、本年2024年においても日本国内のさまざまなミュージアムに巡回されております。

最近では、高知県立美術館において本年2024年7月6日から9月22日まで開催されており、これからであれば、広島県の呉市立美術館において本年    2024年9月28日から11月10日まで開催されております。

それはさておき、星野桂三先生は、本展「有道佐一回顧展」と「奥村厚一 光の風景画家 展」をさらりと弊方にご案内くださっただけなのですが、弊方としては、あの星野先生がわざわざご案内くださるということは、星野先生の「激推し」であろうと勝手に一方的に妄想的に推測して、会期が短いので何とか予定を捻り出して、京都市京セラ美術館にお伺いした次第です。

弊方が本展「有道佐一回顧展」にお伺いした日は、仕事は休みの日でしたが、夕方から大阪市内で予定が入っていた日でした。

本展「有道佐一回顧展」も「奥村厚一展」も、いずれも同じ京都市京セラ美術館で開催されておりますので、まぁハシゴできるんとちゃう?! くらいに安直に考えて、まずは会期の短い「有道佐一回顧展」を拝覧したのですが、この考えは非常に甘いものでした。

有道先生の作品を拝見してあまりにも衝撃を受けてしまい、予想以上に長い間、本展「有道佐一回顧展」に滞在することになり、夕方の予定と大阪市内までの移動時間を考えると、結果的に「奥村厚一展」の同日の拝覧は断念せざるを得ない状況となってしまいした。

なお、「奥村厚一 光の風景画家 展」は、後日、京都市京セラ美術館の8月ナイトミュージアムを利用させて頂き、ガッツリ拝覧させて頂きました。こちらも改めて記事化させて頂きたいと考えております。

まずは有道佐一先生の略歴ですが、公式ホームページが開設されておりますので、僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

こちらのページに有道先生の簡潔なプロファイルが掲載されておりますが、もう少し詳しいプロファイルがあればなぁ、と漁っておりましたところ、『京都画廊連合会ニュース』2024年8月号に、「奥村厚一 光の風景画家 展」と本展「有道佐一回顧展」が紹介されており、そちらに有道先生のプロファイルが含まれておりましたので、僭越ながら下記に引用させて頂きます。

 有道佐一は1896(明治29)年に京都府綾部市に生れた。1914(大正3)年18歳の時、綾部に写生旅行に訪れていた鹿子木孟郎に認められ入門したが、翌年末に鹿子木が再渡仏したため、鹿子木画塾の後を引き継いだ太田喜二郎の指導を受けたと思われる。1918年に帰国した鹿子木が下鴨にアカデミー下鴨家塾を解説後は再び鹿子木門となり、のちに画塾と鹿子木アカデミーの教授として後進を指導するようになる。1935年39歳の時、同じ鹿子木門の国光宣二、関口俊吾と共にフランスに渡る。パリ留学中、写生中の有道を20世紀の前衛的彫刻家ジャコメティが見出し、サロン・デ・チュイルリーの客員に推したと言い伝えられる。翌年に帰国後、画壇の第一線での活動を拒み故郷に戻った。その後は故郷山家の自然豊かな四季の風景をひたすら描き続けた。1940(昭和15)年に東京丸ノ内の日本工業倶楽部で作品展が開催されたことはあるが、その生涯を垣間見る展覧会は故郷の綾部市以外では開催されることがなかった。(後略)

『京都画廊連合会ニュース』2024年8月号 No.592 第1ページ第2段第3-11行

なお、『京都画廊連合会ニュース』は、京都市内の多くのミュージアムのチラシ(フライヤー)配架コーナーに、無料で置かれていることが多いかと思います。

さて、京都市京セラ美術館は、その正面前が「京セラスクエア」という広いスロープ状の広場となっており、「京セラスクエア」に面する正面部分は「ガラス・リボン」という、横に広いショウ・ウィンドウ的なガラス一面の外観になっており、その両側が入口になっています。この入口は、かつての京都市美術館時代の地階に対応し、この地階の向かって左側がチケット売り場であり、地階の右側の奥にはコインロッカーがあります。

そして地階の真正面は広い階段になって1階につながっております。本展「有道佐一回顧展」は「本館南回廊2階」の開催で、正面階段の向かって右側に案内が出ておりました。僭越ながら弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

なお、写真に写り込んでしまった方に対しては、プライバシーや肖像権等の観点から、モザイク処理を施して個人が特定できないようにしております。

とはいうものの、シロウト考えですが、最近流行りの画像処理AIでいうところの、拡散モデル(Diffusion model)のリバース・プロセス(Reverse Process)とかを利用すると、モザイク処理が解除されるおそれも懸念されるかもしれませんので、可能な限り粗いモザイク処理で対応させて頂いております。

正面階段を上がって案内に沿って右側に曲がると、くるんと曲がるらせん階段があり、ここにも案内がありました。僭越ながら弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

このらせん階段を上がるって向かって右側に進むと、本展「有道佐一回顧展」の受付がありました。僭越ながら弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

受付では本展は撮影可能であるという旨をご案内頂きました。ということで、本記事では、いつもと異なり写真が多くなっております。

さて、本展「有道佐一回顧展」では、南回廊2階の建物正面側に位置する1室と、建物南側に位置する連続した3室の合計4室において、出展目録によれば合計142点の作品が展示されておりました。

まず第1室の入口すぐ左の壁には、有道佐一先生のお写真と略歴、本展タイトルのウォールステッカー? というかウォールディスプレイ? などが掲示されておりました。僭越ながら弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。本記事の見出し画像にもさせて頂いております。

次に、第1室の全体を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。なお、展示室全体を撮影した写真では、先ほどのとおり個人特定できないようにオーディエンスの方々にモザイク処理を施した上で、写真そのものも小さく表示いたしております。

この写真は、入口側から奥側に向けて第1室を撮影したものですが、第1室を奥側から入口側に向けて撮影した雑な写真も掲載させて頂きます。入口すぐ横は、オーディエンスの記帳所兼、特設ショップ兼、スタッフ控え所みたいな感じになっておりました。

次に、第1室に展示されていた作品No. 5「陽春」を撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。この作品、星野画廊蔵ということで、星野桂三先生のコラム「渓谷美に魅せられて」(星野先生の著書『石を磨く』2004年産経新聞社刊より)のパネルも展示されておりました。

ちなみに、本展「有道佐一回顧展」のリーフレットによれば、星野先生は本展の「世話人」としてお名前を連ねていらっしゃいました。

次に第2室を、第3室側に向かって撮影した雑な写真と、その反対側から撮影した雑な写真を僭越ながら掲載させて頂きます。

弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真ではわかりにくいとは思いますが、第1室から第2室にかけては、有道先生の風景画の油彩画作品は、春夏秋冬に分けて展示されておりました。

また、第2室には、有道先生のお写真やご親族の方のお話、有道先生のより詳細な履歴、個展の開催履歴、有道先生の人脈などがパネル展示されておりました。さらに第1室にも第2室にも有道先生に関するさまざまな資料も展示されておりました。

ちなみに、昨年2023年4月5日から4月10日まで綾部市のグンゼ博物苑の集蔵(つどいぐら)にて「渾身の画家 没後40年 有道佐一 回顧展」が開催されていたそうです。

第1室から第2室にかけて展示されていた作品は、会場で配布されていた出展目録によれば合計48点でした。ちなみに出展目録にも有道先生の略歴が掲載されておりました。

先ほど引用させて頂いた『京都画廊連合会ニュース』の記事には、最後に次のような一文がありました。僭越ながら引用させて頂きます。

精神性豊かな稀有な画家の生き様と共に、いぶし銀のように輝くマチエールの美しさに注目してほしい。

『京都画廊連合会ニュース』2024年8月号 No.592 第1ページ第2段第13-15行

合点承知の助!!! ということで、出展目録の作品番号8「山家村」を代表的な一例として挙げさせて頂いて、マチエールについて注目させて頂きたいと思います。

なお、「マチエール」ってなんでんねん?! という方もいらっしゃるかと思います。ほんまですねぇ、「マチエール」といわれても、おっさんこまっちゃう状態です。弊方、偉大なるえびはら武司先生の超絶名作『まいっちんぐマチコ先生』は存じ上げているのですが・・・、いや、あの、たいへん申し訳ありません。失言でした。何卒ご容赦頂けますようお願いいたします。

コトバンク(https://kotobank.jp/)のデジタル大辞泉(小学館)によれば、「2 美術で、絵画の絵肌、彫刻の質感など、作品における材質的効果。また、表現されたもの固有の材質感。」とあります。

改めましてマチエールに注目させて頂くために、「山家村」を弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。この作品は、有道先生の代表作の一つのようです。

ちなみに「山家村」とは「やまがむら」と読むようで、現在の綾部市におけるJR山陰本線の山家駅を含む旧自治体だった模様です。

この「山家村」の下側の真ん中あたり、その画面右横くらい、さらに画面下側右横から上に描かれる山の上の建物の部分の合計3か所について、雑な部分写真を僭越ながら掲載させて頂き、そのマチエールに注目させて頂きたいと思います。

いかがでしょうか?! 弊方、洋画(油彩画)を見慣れていないのですが、弊方的には部分だけ見ると点描画のように見えるのですが、弊方が点描画で安直に思いつくのは偉大なるジョルジュ・スーラ(Georges Seurat)先生の作品くらいなのですが、有道先生の作品は、何と言ってよいのか、部分的には点描的なのに全体的に見るとめちゃ写実的に見える、という感じでしょうか。洋画(油彩画)というものはこういうものなのかもしれないのですが・・・

展示作品の全てが、この「山家村」のような点描的な作品だったわけではありませんが、弊方のボンクラな片目で見たときに点描的に見えた風景画作品は、弊方のドしろうとの所感で申し訳ありませんが、有道先生の点描的な作品は、写実を構成するために計算し尽くされた緻密な点描画のように思いました。

次に第3室を第2室側(入口側)に向かって撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

こちらでは、先ほど引用させて頂いたプロファイルにありましたように、有道先生が渡仏され、花の都パリに留学されておられたとき(あるいはその道中)の作品が展示されておりました。

第3室では、山家駅においてフランスから帰国された有道先生をお出迎えされたときの写真パネルが展示されていたり、当時のパリの地図や有道先生の渡仏の経路がイーゼルで掲示されていたり、有道先生が渡仏に用いられたカバンや靴などが展示されておりました。

写真の正面に立設される展示パネルには、渡仏時の水彩画が表と裏で合計24作品展示されておりました。僭越ながら展示の全体像の雑な写真を掲載させて頂きます。こちらはオーディエンスの方はほぼ写り込んでおりませんので小さい表示とはしておりません。

第3室では、水彩画だけでなく油彩画(洋画)も展示されておりました。第1室や第2室のような点描的な作品は見受けられませんでしたが、これら作品の持つ風格というか趣きという印象から、かの偉大なるアルベルト・ジャコメッティ(Alberto Giacometti)先生が有道先生をサロン・デ・チュイルリー(Salon des Tuileries)に客員として推挙された理由が、弊方分かるような気がしました。飽くまで弊方の一方的な勝手な思い込み的な所感ということでご容赦頂ければと思います。

そして、第4室なのですが、一転して水墨画? の作品群が展示されておりました。僭越ながら雑な写真を掲載させて頂きます。

写真を小さくしている関係上、かなり見えにくいと思いますが、写真中央の展示台の正面には「油絵に留まらず水墨画も描く 有道佐一画」と記載されております。

展示作品の多くが掛軸作品であり、その中には星野画廊所蔵の作品番号106の「山峡名月」、作品番号107の「山峡名月」(同じ作品名でした)、作品番号108の「田家の秋」も含まれておりましたし、星野桂三先生のコラムもパネル掲示されておりました。

全ての作品を掲載することは当然できませんので、弊方が個人的に印象に残ったいくつかの作品を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真の掲載で紹介させて頂きます。まずは作品番号109「霊峰名月」です。

星野画廊所蔵の三作品の真横に展示されており、作品の傾向としては、これら三作品と同様に、日本の古き良き風景を描いた「南画」的な作品という所感を覚えたのですが、富士山を背景に海面に映し出される陽の光の描写が、たいへん洋画的な印象を受けました。

また作品番号129「鮎の連昇」も個人的にはたいへんな迫力を覚えました。

急流を登る鮎さんたちに、強い臨場感と躍動感を覚えつつも、南画的であり心象造形的であるようにも思われました。

さらに作品番号139, 140, 141, 142の「山水画 春」、「山水画 夏」、「山水画 秋」、および「山水画 冬」は、「四幅対」といってよいのでしょうか、四季の風景を描いた印象深い作品でした。

ちなみに写真の「山水画 春」の軸の右横に張られている黄褐色の小さな紙を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

この四幅の中に30人もの人々が描かれているそうです。数えてみようとしましたが、数え切れませんでした。

有道先生の水墨画? 作品を拝見して思いましたところは、先ほども申し上げさせて頂きましたように「南画」的な印象でした。洋画(油彩画)作品とは異なり、水墨画作品は実景ではなく心象風景を描かれているのではないか、と弊方勝手に一方的に思い込みで妄想したいと思います。

そうであるとしても、いや、そうであるからこそ、洋画作品にも水墨画作品にも、有道先生の「意志」というか「思い」というか「精神」という強い何かが共通して感じられるような気がいたしました。・・・何を言うてるかわかりませんですね。おっさんボケてまんねん。申し訳ございません。

さらにちなみにですが、第4室には、扇形のうちわ? 作品、あるいは帯に描かれた作品も展示されておりました。こちらも僭越ながら雑な写真を掲載させて頂きます。こちらも含めた資料関係は、出展目録には掲載されていないようでした。

本展「有道佐一回顧展」は豪華な図録が制作されており、弊方もちろんゲットさせて頂きましたが、それだけでなく蒲田正樹先生による『自適の人・有道佐一』という書籍(飯塚書店、2024年発行)や、有道先生の鮎が描かれたうちわも販売されており、こちらも思わずゲットさせて頂きました。僭越ながら雑な写真を掲載させて頂きます。

改めて、このような素晴らしい画人を弊方にご案内くださった星野桂三先生に深く深く感謝させて頂くとともに、このような素晴らしい展覧会を企画開催された、よびかけ人の皆さま、並びに、世話人の皆さま方にも、深く深く感謝させて頂きます。

最後まで閲覧頂きありがとうございました。

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