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〈風説の流布対策・まとめ〉池内先生の親族(学者)情報

こんにちは、Awiです。

今回は、池内恵先生の親族(学者)情報まとめです。
こういう私的な情報って、本当は扱いたくないのですが…

池内先生の家系は、著名な方が複数いらっしゃいます。
けれど、SNSを見ていると、どうもお名前を取り違えていることや、「身内だから」という決めつけが散見されるのが気になります。
そこで、今回は、公開情報のまとめと、それに合わせてFacebookで池内先生がお身内のことについて言及されていた長文を1つ載せておきます。

注:池内先生がSNSや雑誌への寄稿で書かれたお身内のお話は、とても美しい文章が多いので、私は個人の趣味としてそのほとんどを集めていますけれども、完全に私的なものはここに出しませんし、今後もまとめを作るつもりはありません。これはとても大切に扱うべきで、私などの部外者が軽率に触れてはいけないものと考えています。

それでは、はじめます。
まずはプロフィール(敬略称)。リンクはWikipedia。

池内 紀(いけうち おさむ、1940年11月25日 - 2019年8月30日)は、日本のドイツ文学者・エッセイスト。
カフカを中心にドイツ文学の評論・翻訳が専門。旅行記や人物伝、大衆芸能と幅広く文筆活動を行う。
弟は天文学者の池内了。

池内 了(いけうち さとる、1944年12月14日−)は、日本の天文学者、宇宙物理学者。総合研究大学院大学名誉教授、名古屋大学名誉教授。理学博士(京都大学)(1975年)。
宇宙の進化、銀河の形成などを研究。
軍学共同反対連絡会共同代表。
兄は独文学者の池内紀。

池内 恵(いけうち さとし、1973年9月24日 - )は、日本のイスラム研究者。東京大学先端科学技術研究センター教授。
イスラム政治思想を専門とし、日本における中東政治、中東地域研究の代表的研究者の一人。
父は独文学者の池内紀、叔父は天文学者の池内了。

これが池内家から出た著名な学者3名。
まずは3人の違い、わかりますよね? 研究分野も全く違います。

(池内家は、名前が漢字一文字、かつ人名にしか使わない読み方をするのが慣例なのかな…?)

さて、池内恵先生に対して、よく見かける親族関係の批判については、こちら。

①父親が東大教授だったから、息子もコネで東大教授になることができた。
②叔父が軍学共同反対連合会の共同理事だから、甥も同じ思想を持っている。

はい、それでは、エビデンスのお時間です。①から検証します。
①父親が東大教授だったから、息子もコネで東大教授になることができた。

まず、お父様の池内紀先生。東大での教員歴がこちらです。
1986年 東大文学部 助教授
1990年 東大文学部 教授
1996 年 早期退官

次に、池内恵先生の東大教員歴を。
2008年 東大先端研 准教授
2018年〜 東大先端研 教授

職歴でわかる通り、お父様が退官されて12年も経ってから池内先生は東大教員になっているんですよ。どうやって縁故使うの?という話。

そして、ここでまた、東大規則集から、東大教職員就業規則を見てみましょう。

これだけだと採用の仕方がわかりにくいです。
でも大丈夫。東大教職員の選考採用に関する要項があります。

うーん、選考自体は作文や面接、過去の経歴なので一般の会社とあまり変わらない気がするけれど、その前(選考の要件)に、「当該選考の対象者を総長に推薦し、審査を経ること」が必要なんですね。
選考については、要項でしっかり決められています。これを満たさずして東大教職員に採用されることはありません。以上です。

それでは②にいきましょう。

②叔父が軍学共同反対連合会の共同理事だから、甥も同じ思想を持っているはず。

結構めちゃくちゃな話だと思うのですが。
(一般人の私だって、「お前は父親と同じ思想に決まっている」と赤の他人に決めつけられたら不愉快です)

さて叔父様、どんなことをなさっているのか。
大学教員としてはすでに退官されて、名大名誉教授となられています。
プロフィールには軍学共同反対連合会の共同理事とありましたね。
軍学共同反対連絡会のホームページに行ってみましょう。

共同代表の筆頭だ…。
お知らせの画像に、
「日本学術会議法改悪阻止!学術会議の独立をまもれ」
という横断幕が見えます。
連絡会については以下のように書かれています。

“軍学共同反対連絡会は、大学や研究機関における軍事研究(軍学共同)に反対する団体・研究者・市民が参加する連絡会として、2016年9月に設立されました。
この連絡会は参加団体・個人相互の交流と情報交換を中心に活動しますが、連絡会として一致した場合には意見表明・共同行動の提起を行います。
多くの市民の皆様、科学者の皆様、そして様々な課題に取り組まれている市民団体・平和団体の皆様が、個人として、団体として、ご参加下さることを呼びかけます。“

HPを見ていたら、こんな発信も。

軍学共同反対連合会ニュースレター第83号

大学や研究機関(理系)での軍事研究に反対する組織の共同代表なんですね。

さて、それでは、日本学術会議について。
HPからもわかるように軍学共同反対連合会は、既存の日本学術会議擁護派です。

それでは、池内先生の日本学術会議に対する考え方を見てみましょう。

中央公論 2021年1月19日
池内恵 時代錯誤のレッドパージと学者集団の大いなる矛盾

“確かに私は、この問題に関して、日本学術会議とそれを強く支持する学者たちの言動にも、批判的な目を向ける立場である。“
明快です。

それでは、池内先生が東大でどういう研究をしているかというと…
やはりここは、先生が代表をしているROLESのHPへ。
(池内研の研究も入っていますからね)

これ本当に今更ですけれども、ROLES副代表、小泉先生。
売れっ子スターなので大きく載せてみました(嘘です。HPから探すとこの絵になってしまうのです)。

“ロシア・旧ソ連諸国の軍事・安全保障政策 国際関係論“
文系の由緒正しい(?)ロシア軍事研究家です。

また、ROLESの衛星画像分析プロジェクトでは、ICBMの基地などを観測した報告がされています。ミサイル基地だから、軍事関係ですね。

以上から、池内先生は叔父様とは全くもって同じ立場ではないことがわかります。

ということで、検証まとめ。
①父親が東大教授だったから、息子もコネで東大教授になることができた。
→お父様の在職期間から12年も経っていて、コネが使えるとは考えにくい。
また、東大は採用に際しての細かい規則があり、コネ就職などできる隙はない。
②叔父が軍学共同反対連合会の共同理事だから、甥も同じ思想を持っている。
→全く逆。池内先生は日本学術会議に批判的な立場。また代表をしているROLESでは、文系ながら軍事関係も研究内容の一つになっている。

以上です。

ここで、池内先生の投稿を。
今回の内容を読んできた方には、何がどうおかしいかおわかりですね?

正しい情報で、正しい批判や抗議の方法を選択しましょう。

最後に、先生がお父様と叔父様について言及した過去の投稿を載せておきます。是非読んでみてください。先生が昔からあれこれ根拠のないことを散々言われていたのがよくわかります。
頭のいい家系に生まれたら良かったなぁ…とは私も思いますが、でもこんなこと始終言われるのは…やっぱり平凡な一般市民でいいかな。

(個人的な感想を言わせてもらうと、先生の一人称が「私」から「僕」に切り替わる瞬間が好きです。あ、先生の中で何か切り替わった…って。これは読み手としての感覚ですが、楽しい)

それでは、どうぞ。

Facebook 2015年1月15日 投稿

夜中に論文書きながら、ふとこのブログエントリ(注:中東イスラームの風姿花伝『「イスラーム国」による日本人人質殺害予告について:メディアの皆様へ』)見ると、「いいね」が「3万3000」になっていたりして、もうこれ自体が社会現象と化している感があるので、思想史家としてこれを対象化しようかという気にもなってくる。まあ苦しい論文書きからの逃げだと思ってください。

 「いいね」が何万もついたら「このやろー」がその同数か、半分か、10分の1かあるいは100分の1ぐらいあるのが当たり前で、それが健全。
 なので悪口言ってそうな媒体を探すと、出てはいる。
 ただ、内容があまりに貧弱なのだ。批判するならこの文章の内容をまず批判してほしい。ところが批判は煎じ詰めれば下記のいずれかだ。

(1)党派的所属をもって悪とする
(2)家系的つながりを問題とする
(3)自分が権威と考える先生の説を引いて、「だから池内は悪」と結論づける。といっても引いてくる偉い先生の説も、単なる(1)と(2)を取り混ぜた罵倒なので、それらの亜種・受け売り系に過ぎないのだが。

(1)の党派的所属、というのは要するに「右翼」「ネオコン」「安倍シンパ」といったもので、これらに根拠はない。私が首相の外交日程にも影響を及ぼしたとか、全く有り得ないことを書いていたりするとびっくりする。当たり前ですが、なんの影響力もありません。一個人です。右翼か左翼かというと、私は政治党派には属していない。ただ、明確にリベラリストとして議論を展開している。これはかなり以前からで、フェイスブックでも紹介した、多文化主義の観点を自由主義はどれだけ取り込めるか、特にイスラーム教の特性を考慮した場合にどこまで取り込めるか、という議論は早い時期にしていた。
 なお、雑誌『正論』には一度も書いたことがございません。依頼も受けたことがない。池内は『正論』で対テロ戦争を擁護、とかデマですから。
 そもそも「右翼」「ネオコン」「安倍シンパ」だったとして(そうではないが)、それが批判になっているのだろうか?自分の仲間はそれらの反対物だということかもしれないし、あるいはそれらに敵対したり憎んだり悪し様に罵ったりすることで仲間意識を固めている集団なのかもしれないが、そのような集団に対して「池内は敵です」と通報しているだけではないだろうか。それは既存の党派に基づいた、「仲間か敵か」を認定する作業に過ぎず、市民社会における公共的議論とは言えないのではないか?
 こういった議論の亜種に、「あなたは仲間だと思っていたのに池内の議論をシェアするのか」といった「仲間かどうか再確認」系の論難が特定の著名な人で私のエントリをシェアした人に対して投げつけられている。いや、今回の私の議論に幾分かでも頷けるところがあったら、別に仲間じゃなくてもシェアしてもいいでしょ。それとも世界は完全に悪い人(=敵)と完全に良い人(=仲間)に分かれている、分かれていなければならない、と固く信じていて、そうではないグレーゾーンの人が出てくると危機感を感じるのかな?

(2)家系的な問題というのも微妙でして、要するに「池内紀」の息子だからどうこう、というのだが、その「どうこう」がどうもはっきりしない。はっきりしないのも当然で、池内紀というのはそもそも世間一般ではそんなに有名な人でもないし、有力者でもない。ただ、一部の文学愛好家には愛されているようだ。しかし、その政治的立場がどうなのかというと、最近の膨大な著作を見ても、はっきり言ってわかりません。ユルユル・グズグズなのだ。はい、私にもよくわかりませんあの人の政治志向というものは。
 「池内紀」と関係があるから悪い、という時の関係づけ方の一つは、「親の東大教授のコネで偉くなった」というもの。ありえない。東大文学部教授を数年間やっただけで、しかも定年前に辞めちゃったことで話題になった(不祥事じゃないですよ。筆一本で立ちたい、と言い続けて、本当に辞めちゃったのです。その当時は新聞とかでちょこっと話題になった)人の大学人事への影響力なんて、ゼロ。というか、組織に従わずに辞めちゃう人の息子なんて、疑いの目で持って見られるだけだ。
 ただ、文筆業に傾斜した大学教授の子として育ったことは、私の今のような活動に影響を与えたかといえば、与えているだろう。それを不公平、というのであれば、そうかもしれない。ただ、私のことをコネだと言って非難する人は、誰も私のようになりたいと思ってないでしょ。学閥なしで、偉い先生の下にとどまることなく、派閥を作って子分を作ることもなく、独り立ちして、文筆を通じて自分の説を世に示していく。そういうこと本当にやりたい?やっている人を見たことないよ。
 あと、池内紀が泣いとるぞ、みたいな揶揄はもうどうしようもない。あの人の政治的立場って知っているのかな?知らないでしょう。僕にもわからない。グズグズなんだもの。泣いてるはずないだろ。
 名誉を守るためにいうと、池内紀は昔はすごいキレた。怖かったよ。あっちがキレキレの40代の頃にこちらは物心ついて同居してたんだから、それはすごい怖かったよ。暴力をふるうわけではもちろんないが、ティーネイジャーの頃に、人生の深淵を深く鋭く突くようなセリフを食卓で毎日言われてみろ。ある意味すごい暴力だ。人格歪むよ。被害者は語るだ。できればすくすくと育ちたかった。
 時を経て消化してみると、あの教育は僕にとっては良かったのかもしれない。だが、それは後になってから言えること。今でもそうは言い切れない。
 少し真面目な話、別に僕も池内紀も文学史上に残るような人ではないが、池内紀の影響をどう受けたのか、考えてみてもいいかもしれない。池内恵がそんなに悪い人だというのなら、池内紀の息子だからいけないというのなら、せめて、どっちがどう影響与えたのかぐらい、仮説を立てて考えてみてほしいものだ。
 例えば、シャルリー・エブド紙事件の時にさ、なんで僕があれだけ活発に発言したかって、気にくわないと思っている人、揶揄したいと思っている人であればこそ、池内紀と関係づけるなら、誰か一人でいいから言及してほしかったな。池内紀の出世作は『風刺の文学』であることを。まあ「亀井勝一郎賞」なんてものをもらったらしいので他人がつける経歴には書いてあることが多いが、誰も読んだことないだろう。そもそももらった賞の亀井勝一郎賞だってとっくに存在しなくなっているし、亀井勝一郎といったって誰も知らない。でももしかしてこの本の中に、突如池内恵が風刺をめぐって夜中に騒ぎ出した根拠があるかも、て探してくれた人がいたら嬉しかったな。別に探して読まなくてもいい、たぶんそんな大した本じゃないと思うから。タイトルだけ見つけて、僕を揶揄するのに使ってくれたりしたらそれだけで嬉しかったのだけれども。まさに池内紀が泣いてるぞ。
 僕を党派に属しているものと勝手に誤解し、コネで発言権を得たと思い込み、僕は党派で自分の議論を決めるのだと思い込んでいる人は、僕の叔父が、これまた全然別の政治的話題、東大の軍事研究とかの話で結構注目される「池内了」であることについても何か言いたいようだ。けれども、「学閥」やら「血縁のコネ」で人は生きていると思っている人にとっては、池内了と池内恵の論調があまりに違いすぎて(表面上は)、分からなくなってしまうのだろう。
 それはそうだ。だって関係ないもの。別人格です。コネもなければ連絡もない。それぞれが勝手に言いたいことを言っているだけだ。別に一族会議して大学ポスト配分とかしてません。「どうせコネだろ」という話と「池内了は進歩的・良心的なのに池内恵は違う」という話の両方が成り立たないと思い込んでいる人は、批判が変になる。
 父と、叔父と、私と、共通するものがあるとすれば、それぞれが「筋が通らないことが無茶苦茶嫌い」ということだろう。それは多分気質で遺伝してるんではないか。また、組織に埋没した生き方ができない、しない、というところも、これは遺伝なんではないかと思っている。年を経るにつれて、そういう気質面では似たところが出てくるんだなあとも最近しみじみ思う。良い面悪い面も含めて。
 単にそれぞれの「筋」とするものが、世間一般の政治的な割り当てではあっちゃこっちゃの方向なので、三人の一貫した姿勢が見えずに困惑する人がいるんだろうが、真実は「それぞれが好き勝手にやってる」というところだけが共通しているのである。

(3)もうどうでもよくなってきたが最初に列挙してしまったので第3点。「うちの偉い先生が池内はダメだと言ってるからダメ決定」という論理。これはもうどうしようもない。せめて自分の頭で考えてダメな理由を論議してください。(1)の焼き直しに過ぎず、「村八分にしたよ」と言っているだけだ。それのどこが思想なのか。あとこの議論の別の形としては、彼らが「悪」と考える有名教授の名前などを出して、「某が庇護して引き上げたからダメだ」とかいうものもある。「某」がすでに「悪い人」「村八分」認定されていて、それと同類だったり直接的に庇護されたりコネをもらったりしたからダメだ、という論証ですね。これも「某」がすでに村八分決定だからダメ、という議論にはなんの説得力もないし、そもそも、「某」が本当に池内を引き上げたのか、庇護したのか・・・というと、事情を知っている人は爆笑したりする。そうだったら人生もっと楽だったと思うよ。
 人を批判する時、しかもほとんど会ったこともない空想上の敵を批判する時は、批判される敵として描かれる姿は、批判している人の姿を多く映し出している。池内はコネで学閥で引き上げられた、と思っている人は、自分がコネと学閥で引き上げられた人か、引き上げられようと願っていて、単に親分に力がない、と恨んでいるのではないか?
 僕自身は、何か金字塔といえるものをこれまでに打ち立てた学者ではないが、学閥、コネで這いつくばっていなくても、発見したことを小さく泥臭く文章で発表し続けていれば、学閥抜きで読んでくれる人が出てきて、まったく関係のないところから機会を与えてくれる人たちが出てきて、どうにかこうにかここまで続けてこれた、そういう珍しい事例だというところだけで、同年輩にも、後輩にも、何かを示せてきたと思う。同じような生き方を誰もがしろとは言わないけれども、学閥に縛られて、言いたくないことを言って、会ったこともない人を悪し様に罵る先生・先輩・同僚に同調しなくても、一人立ちして生きていく道もある、そのことを示すためにも、今後も頑張っていきたいと思う。

 あと、『風刺の文学』なんて今持ち出されて迷惑しただろう池内紀氏へのお詫びに、本当にすごいのは、エリアス・カネッティの『眩暈』の翻訳だよ、とここで宣伝しておこう。何度も再版、改訂版が出てその度に売り切れている。今度も売り切れる前に買っちゃいな。

今回は、以上です。
ありがとうございました。

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Awi (藍)
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