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私のテレビゲーム史と今(その1)

山本一郎氏が文春オンラインで、懐かしいネタを取り上げていた。どういう読者層を狙っているのか、今一つ不明だが個人的にはピンポイントに刺さったので、これに纏わる自分事を今回は書いてみたいと思う。一気に書くと途中でめげそうなので、書けるところまで。

私が最初にテレビゲームに出会ったのは、たしかゲームセンターのPONGだったように思う。当時ゲームセンターでちゅうちゅうハンターをカンストしたりとかそれなりにゲームセンター小僧だったのだが、ビデオゲームが出るとそっちにはまっていった。そして、それが家で出来るというので買ってもらったのが、システム10である。(メルカリで現在30万円(!)で出典されていた画像を引用)

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テーブルテニス以外にも付属の銃で画面の白い四角を撃ったり、二つのつまみで前後左右にパネルを動かせるサッカーと銘打たれたゲームが出来たりとなかなか凝った作りのゲーム機だった。当時思い出すのは、映像の入力はRFからつまりアンテナ端子にクリップのように端子を挟んでチャンネルを1か2(地域によって放送と被るため切り替えられるようになっていた。)にすることで映像が表示される仕掛けになっていたことだ。

ほどなくして時代はブロック崩しのブームがやってくる。そんな中で入手した二台目のゲーム機は、ATARIのビデオピンボールであった。

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当時小学生だった私は、暇さえあればこれをやっていたように思う。同級生もよく遊びに来てはこれをやっていた。これはほぼブロック崩ししかできない専用機なのだが、ブロックを全部消すと新しいブロックが現れ、玉の速度が速くなるということを繰り返すのみであった。一定回数消し続けるとちょっと玉の速度が落ちるという仕様だったように思う。あるとき同級生と3人で、交代しながら延々とクリアし続け、ついにブロックが出なくなるという現象までたどり着いたことがあったことを覚えている。いわゆるカンストというやつか。たしか、クリア記念に写真を撮ってもらったなぁ。

その後インベーダーゲームブームが来て、ゲームセンターにも良く行っていたが、それをついに家でもやれるようになるのが1979年にバンダイから発売されたスーパービジョン8000である。お値段59800円。よく当時買ってもらったなこんなの。しかし、まともなインベーダーゲームが出来るのは、当時これしかなく、その後いくつかでた家庭用のものは、アーケードに比べてはるかに貧弱なものだったことを考えると最良の選択肢だったのだと思う。これも狂ったようにやっていたことを思い出す。

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専用ゲーム機として買ったものとしては、これが一区切りで、あれだけはやったファミコンには手を出さなかった。(その前にカセットビジョンがちょっと流行ったがそれも買わなかった。上のスーパービジョン8000よりも全然絵がしょぼくつまらなそうだったからだと思う。)

ちょうどファミコンが出た1983年に時を同じくして出たのがシャープのMZ2000である。

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こっちに手を出してしまったので、ファミコンがカセットいれて遊ぶだけという(その後、BASICは出たけど)印象を持ってしまい、興味をなくしたんだと思う。といいつつ、MZ2000でもゲームばかりしていたのですがね。印象に強く残っているのは、なんといってもミステリーハウスだ。

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MZ2000は標準では、カラーが出ず単色なので、絵はこういう線画になります。そして、N(orth)とか、OPEN DOORとかコマンドを入力するのみでシナリオを解決していく。当時はこういうコマンド入力型のアドベンチャーゲームが色々流行っていたが、グラフィックがついたものとしては、これが草分けのような存在だった。(その前にシエラオンラインがApple2用に、ほぼ同様なグラフィック付コマンド入力型アドベンチャーを同名タイトルで既に出してはいたのだが。)その後、ミステリーハウス2というシリーズものも出ることになるのだが、これには、ちょっとした仕掛けが入っていて、とあるシーンで、いきなりカセットデッキの蓋がガチャっと開くのだが、これが超絶に怖かった。おそらくゲームをやっていて心臓が飛び出るほど怖かったのは、これより上はないと思う。(ただし一度限りで、二回目以降は怖くない。)その後色々やったゲームの中でも、例えばバイオハザードは、怖い演出が非常に上手で、けっこう怖かったのだが、物理的に動くこの仕掛けを超えるものは未だ体験したことがない。今後VRとかが進んできたら、超えられるのだろうか?

MZ2000には、その後カラー化したりFDDをつけたりHDDをつけたり、ライトペンをつけて絵を描いたり、XYプロッタをセントロニクス接続して年賀状を書かせたり、CMU800というシンセサイザーをつけて音楽を鳴らしたりFM音源ボードを作ってみたりとかなり色々なことをしていた気がします。Z80のアセンブラもこれで勉強しました。

当時は、パソコンショップなるものがあり、NEC、富士通、シャープの御三家がシェア争い?をしていた時期でもあります。他にも多くの日本・米国企業がパソコン業界に参入していました。

というわけで、その1はここまでにしておきます。

日々思っていることを形に。こういうところに残しておけるのは良い時代になったと感じています。BBSのログとか復活させたくなります。