【 11th ESPIAL 】虚構をリアルタイムで綴るライブ小説
インターネット時代の小説は投稿サイトで利用者が作品を発表しまくって、既存市場として開拓されたのだが、まだ未開拓市場が残されている。それがライブ小説である。
ライブ小説に至る経緯はこうです
というわけで、ライブ小説について説明しよう⋯⋯⋯と、その前に。
小説は、
作者が伝奇物語・歌物語・日記などの形式を選択し、
筆記や写本に始まり、活版印刷の発明で新聞・雑誌の掲載・連載、単行本や叢書(シリーズ化など)によって出版され、
掌編・短編・中編・長編・ショートショート(掌編と短編の間くらいのアイデア・ストーリー)の文量を駆使して執筆される。
インターネット通信の発明は音声や文字、画像や動画でのリアルタイム・コミュニケーションを可能にし、人類史上、最大多数の小説投稿を実現した結果。
インターネット時代のNEO掌編と呼ぶべき、「Twitter小説」(ハッシュタグ: twnovel )に端を発する140字小説、140字の複数投稿による連載スタイル、「ほぼ百字小説」(ハッシュタグ:マイクロノベル)、「54字の物語」が創作された。
インターネット時代のライブ小説
今や我々はリアルとネットを駆使して自由に小説を創作している。ぶっちゃけネットなら、小説を書き上げた瞬間に発表できる。
ということは、理論上、小説は書きながらの発表だって可能だ。っていうか、短文の連続投稿で小説は連載されてるんだし、リアルタイムにつぶやき続ける日常はそこかしこにある。
あとはもう、リアルタイムに小説を書く試行錯誤へ突入するかしないかの差でしかない。
もちろん、オンラインエディタを利用したライブ会場でのモニター・パフォーマンスだったり、AIに小説を書かせたり、AIで小説のイメージ映像を作らせたり、といった方法論は実に魅力的だ。
しかしである。
私としては、小説はあくまで文章のみで勝負したい。作者がリアルタイムで文章を書き上げた瞬間、読者へ文章が届き、ライブの読書体験が始まる。そのプロセスを味わうのがライブ小説の目的だ。
確かに、実際にリアルタイムで書いている様子が確認できたり、作者と読者が同時に集まる約束がなければ、ライブ小説が世の中へ定着しないのは、そりゃまあ承知している。
私のスタンスとしては、路上ライブのストリート・パフォーマンスのように、ソーシャルメディアのネット路上からライブで虚構を綴り始めるイメージで、誰かが気づいてくれれば御慰なネット・ストリート・パフォーマンスである。
さて、どうでしょう?
【参考】スペシャル感謝!!....._〆(・∀・*)ノ【参照】
壁l・ω・) 壁l)≡サッ!!