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バッタンバンで過ごす半日 東南アジア横断1-4

カンボジアの国鉄「ロイヤルレールウェイ」の終点「バッタンバン」はカンボジアでは3番目に大きな街だと事前にネットで調べていた。また、ポルポト政権時代のレジスタンスの最後の砦だったとも書いてあった。
どれほどの都市なのか、マイナーだけど面白い見所もあるんじゃなかと思って楽しみにしていたが、

ただの寂れた田舎町だった。
バイクに傘は珍しい

常に砂埃が舞っていて、アスファルトはガタガタに穴が空いてる。雨が降ると排水はできずいつまでも水溜りが残り続ける。
第三位の都市でこれなのかと衝撃を受けた。
一応この町でも観光資源はあって、郊外に行けば「バンブートレイン」と「アンコール王朝時代の遺跡3つ」があることがわかった。バンブートレインは夕方には終わってしまうらしくて時間が合わなくて行けなかった。
日があるうちなら行ける遺跡に行くことにした。
3つある遺跡の中からワットバナンを選択。すぐにトゥクトゥクを配車して向かう。
到着するとほとんど観光客はいなかった。多分ここでトゥクトゥクの配車はできないだろうと思ったので、ドライバーに交渉して待っていてもらうことにした、ドライバーも空気を乗せて街に帰っても1円にもならんので二つ返事でOKしてくれた。
入り口から50mくらい歩くと階段が見えてきて、ぐーーーんと高いところまで続いていた。

毎週末、ジムで鍛えた足腰で登る。
登り出すと小さい女の子とその母親みたいな人が後ろについてきた、多分物か何か売りたいんだろうと思った。完全に無視してちぎってやろうとペースアップしたけど、全く引き離せない。この家族は何万回この階段を往復してるのだろう。はっきりしない感じで女の子が話しかけてくるけど、振り向きはしなかった。そもそも何言ってるかわからん。

登り続けていると、次はおっさんの声がした、いつの間にか母と娘は諦めていなくなっており、おっさんが話しかけてくる。英語で数字を言ってくる。おそらくこの階段の段数だろう。こういう豆知識を話してきて「へぇー」みたいなリアクションを引き出して最後にガイドしたからチップくれって言ってくるパターンだろうと思った。過去に経験したカイロのスフィンクスの周りにいっぱいいるおっさんの手法だ。

一度振り返っておっさんの顔を見た、でもおっさんに焦点は合わせない。
寄り目で連続したイラストを3Dにして見るときの見方でおっさんの顔を見た。
おっさんの目が3つに見える。こちらが反応してくれて一瞬嬉しそうなおっさん、でも焦点があってないから「なんか違う」って顔をしてた。まるでおっさんの後ろの木を見ているような、おっさんがこの世に存在していないかのように振る舞った。
階段はラスト5mくらいがすごい急勾配だった。設計の人、階段作る時角度間違えちゃったから急いで修正したのかな?って感じだった。しかもそのあたりになって雨が降ってきた。足を滑らせたら終わりだから慎重に登った。

登り切ると、寺というか祠が十字に5つ立っていた。
正直、ベトナムのチャンパ族の遺跡と見分けがつかない、この頃、アンコールワットを作ったクメール王朝とチャンパ族はバチバチにやり合ってたので技術力にも差がなかったのだろう。

遺跡の奥から景色が見えた。本当に何もなくて木と木の隙間から地平線まで見えた。
ずいぶん遠くまで来たなと感じた。陸路で国境を跨いで移動してきたことにも価値を感じた。
飛行機で来たんじゃいつまで経っても地球の大きさはわからないだろう。このまま進んでいけば東南アジアの大きさなら掴むことができる気がした。
遺跡の端っこで雨が止むのを待って階段を降りた。
次の日は朝からシェムリアップに向かうのでバス停の位置を確認して、スーパーで普段は飲まないビールを買ってホテルに帰って寝た。

シェムリアップについてから知ったのだが、バッタンバンは中国語で「安達」って書くらしい。


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