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アートは心のサプリメント:Lee Ufan展を観て

誰かが「アートは心のサプルメントだ」と語っていましたが、本当にそう思います。
 
先日、新国立美術館で開催中のLee Ufan展を観てきましたが、若干閉塞感を抱えていた頭の中が、すーっと開かれるような解放感を味わうことができたからです。
 
アートを楽しむために最も大切なことは、自分が持っている既成概念や常識をいったん、横に置いておき、素の心で作品と対話することです。
 
例えば、「関係項 別題 言葉」という作品があります。
55cm四方の座布団の上に約50cmの石が置いてあり、その向こうの白い壁に淡い照明で照らされた丸い光が浮かんでいます。

https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/lee_ufan_national_art_center_tokyo-report-2022-08


 これをみて、何を感じますか? 
 
座布団も石も照明の光も、それぞれは何も珍しいものではありません。
そう、それぞれに意味は見出させない。しかし、これら3点が関係しあうことで、何か不思議な意味を見出せそうな気がしませんか?もちろん、「正しい意味」などありません。でも、脳が勝手に想像を膨らまして、自分なりの意味をつくろうと作業を始める。そこでは既成概念や常識は、ほとんど役に立ちません。それよりも、邪魔者です。そんなものに頼ったら、「わからん。」で終わりです。
 
座布団と石と光に自分自身も加わった、新しい関係性が立ちあがってきます。そして、そこに何らかの意味が与えられるのです。
 
社会構成主義の考え方では、あるもの(あるいは人)そのものに意味はありません。意味とは、他者との関係性において与えられるものです。例えば、石そのものに意味はありませんが、もしそれを人が握り他者に殴り掛かれば、石は武器という意味を持ちますし、釘を叩けば金槌という意味を持つ。
 
こうして様々なものたちとの関係性から、それらの意味を見出そうという創造的なプロセスを体験できるというわけです。日常生活において、このような頭の使い方をすることは、そうそうないでしょう。だから、普段と違う頭の使い方をすることが、サプリメントを飲んだ後のような、心身へのプラス効果をもたらすのだと思います。普段使わない筋肉を使うと疲れるし筋肉痛になるかもしれませんが、後で爽快感を味わえますよね。それと同じです。
 
ディズニーランドがわかりやすい親切なエンターテイメントなら、アートはちょっとわかりにくい不親切なエンターテイメントです。でも、得られる喜びや価値はどちらが大きいかわかりません。
 
今回の展覧会で接するのは、そんな体験をさせてくれる作品ばかりです。Leeは、東アジア人特有の関係性を重視する感覚をとても重視します。だから、特にこうした刺激に満ちているのだと思います。

もう一つ作品を紹介します。
展示室の壁に、今回の展覧会のために描かれた「対話 -ウォールペインティング」です。

https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/lee_ufan_national_art_center_tokyo-report-2022-08

専用展示室に入ると、描かれた湯飲みのような形が、向こう側の壁の前の空中に浮かんでいるように見えます。(近づいて見れば、やはり絵ですが)

描かれた絵と白い壁面、そして展示室空間(つまり何もない余白)、さらに空間内にいる自分という身体が、なんだか溶け合ってひとつになったような感覚にとらわれました。描かれた絵は、それ自体に意味があるというより、それによって生まれた空間を創造するきっかけになっています。私たち東洋人は、昔から「余白の美」を重んじてきました。それをも思い起こさせます。つまり三次元空間に時間を加えた4次元で、身体が反応している感覚です。

なお、なんとメイキング動画もあります。

Leeは関係性や身体性などの切り口からでしたが、アートは他にもさまざまな切り口からイマジネーションを引き出してくれます。
 
考えてみれば普段の生活では、勝手に既成概念や常識で自動的に判断して、想像しないで済ませているだけかもしれません。全然別の意味もあるかもしれないにも関わらず。そんな生活を続ければ、想像力が衰えるのは当然です。だから、時々アート作品に触れて、想像力を鍛えようと思っています。鍛えたいからというよりも、爽快感を味わいたいからですが。



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