長閑浜のデネボラ 1の3 浜川市山城区
浜川市は、静岡県にある人口がおよそ70万人の政令指定都市だ。
南北を一級河川が流れ平野が広がり、その東西は台地地形になっている。
北は山々が連なり、南は太平洋に面している。
かつて海辺の近くに松林があり、天女が舞い降り羽衣をかけて休んだ言い伝えが“長閑浜”の由来だ。
気候は一年を通じて温暖で晴天率も高い。気温の寒暖差も小さく、温厚でのんびりした人柄が多い。
冬は雪が降らないことは良かったが、“からっ風”と言う乾燥した西風が毎日吹き荒れる。
夏は太平洋高気圧が南風で運ばれて、北の山々の谷間に溜ることで日本最高気温を記録した事もあった。
北方の山間部では昔から林業が盛んだった。鉱物も出た為、一時期には採掘もされていたらしい。
木材を南北を流れる川だけでなく、私鉄が並行して通されて、太平洋沿いを走る国鉄まで運ばれた。
第二次世界大戦の前には物流を複線化する目的で、山間部から直で、東西の近隣都市へ輸送する鉄道も建設された。現在はワンマン運行の単線鉄道で、第3セクターになっている。
終戦すると産業も変わって行った。林業から工業、鉄道から自動車、軍事から娯楽といった具合だ。
山城区は元々、浜川市の北にある山間部を有した“山城市”だった。
平成の大合併で、地域経済の中心部だった濱川市を基にした合併案が挙がり、山城市はそれに加わった。
合併に伴い、より多くの市民に親しんでもらう為に「濱」から「浜」に変わった。
昔の山城市は、濱川市に負けないほど人が多く、賑わってたらしい。
面影はないが、映画館やボーリング場があったと言う。市場を連想する地名もまだ残る。
国道や県道から中の道に入ると、昭和色が強い家や小売店が残っていた。
昭和レトロ路線で観光業に転換しようとしたが、継続的な進展は出来なかった。
働き手の流出と町の高齢化で悩ましい時に、合併案は渡に船だった。
おれは十数年前に、大学進学を機に濱川市を出て上京した。卒業後は東京で就職して働いた。
今この状況に至るのは、後輩の女性社員を庇って上司と喧嘩したのだ。
しかし、ありがた迷惑だったのか何なのか…
とにかく誤解だったらしく、おれだけが辞職する運びになってしまった。
求職サイトに登録すると山城タクシーの提案があった。
今までとは異なる業種である事に興味が湧いた。
また、タクシー免許に必要な2種免許が会社負担と言う事と、土地勘もあるから出来ると安易な予想をつけて再就職した。
Uターン転職して、もう2年経っている。
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