ベクシンスキーについて

ベクシンスキーを知ったのはたしか高校生のころだったか、とある動画のコメントで、「ベクシンスキーの絵のようだ」というのを見つけたのがきっかけだった。
おそらく「3回見たら死ぬ絵」のキャッチコピーほうがベクシンスキーの名前より有名だろう。
が、しかし人間は皆いずれ死ぬので、どうせなら生きているうちに3回以上見た方が得である。美しいので。


※この記事では作品画像をバーチャルギャラリーから引用するため、怖い絵が苦手な方は閲覧をおやめください。
また、比較的怖くない絵を引用する予定ですが、検索等ではショッキングな絵が出てくることもあるため、十分お気をつけください。


ズジスワフ・ベクシンスキーはポーランドの芸術家で、絵画以外にも彫刻や写真作品なども手掛けている。1929年から2005年までを生きた近代芸術家である。

詳細が知りたければ検索か、和訳されているので画集を購入したほうが手早い。
また、彼の作品はバーチャルギャラリーで閲覧が可能である。リンクは文末に記載。
作品の実物はポーランドまで足を運ばなければ見ることはできないが、昨今の情勢的には厳しいものがあり、涙を飲んでいる。


ベクシンスキーは作品に名前をつけない作家だ。そのことが見ている側の感情にも深く影響する。彼の絵を眺めている時、ひどく悲しくなったり、焦燥感に駆られたり、不安になったり切なくなったり、その全てがないまぜになった感情は、名状し難い。

また、彼の作品を見て、自分がその絵の中に立つことを空想するのが好きだ。どんな風が吹いているのか、土埃の匂いがするのだろうか、人の形をしたなにかは呼吸したり動いたりするのだろうか。節くれだった関節の触感や、建物の先に続く空間のこと。

たとえば、この絵なんかは特に没入感があり、自分がその場にいるかのように思える。

建物と自然の輪郭は曖昧で、しかし荘厳で美しい星空へ続く階段は明瞭だ。血のような赤い液体が滴っていたとしても、思わず先へと進みたくなるほどに美しい。
この塔のような天蓋のような建物の先は、一体どんな場所へ続いているのだろうか。

建物…というより建造物だがこの絵もいい。

人智を超越した大きな何かの足元を、ひとりの人間が歩いている。灯火は微かながらも強い光を放っていて、わずかな希望が感じられる。
この絵から漂う退廃的な空気と、絶望感、同時に存在する物悲しさが好きだ。
自分がもしここを歩くとしたら、きっととんでもない建造物へのワクワクと途方もない絶望を感じてしまうんだろうなと思う。

ベクシンスキーは、人のような人ならざるものをよく描く。時には明確に人のものもあるが、やはり顔のどこかが陥没していたり、関節の数が異様に多かったりする。
この絵は比較的怖くないものだが、胸元のあたりに関節のような節が多いのがわかるかと思う。

溶けるようなひび割れたような輪郭は銃かなにかで撃ち抜かれたかのような衝撃を想起させる。触れただけでぱらぱらと崩れていきそうな繊細さがある。しかしこのゴツゴツとした節をなぞり、稜線を確かめたいという欲も芽生える。いったいどんな感触なのだろう。

こんなふうに没入感を満喫し、共鳴した感傷に浸りきって満足したところで現実に戻る。その頃にはなんだか憑き物が落ちたようにすっきりとしている。たぶん、浸っている間に気持ちの整理ができているのだ。
いつかポーランドに出向いて、実物をこの目で確かめるのが夢なので、それまではなんとか生きていこうかな〜と思っている。ベクシンスキーの絵を眺めながら。

引用元:http://www.dmochowskigallery.net

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