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外山合宿と政治の季節

先日、福岡某所で行われた外山恒一さん主催の「第19回教養強化合宿」に参加してきたので、その感想と、ロシアがウクライナに攻め入った今だからこそ光る外山教養合宿の利点を書いてみました。

合宿本体について

読んだ本の紹介

今回の合宿では最初に『マルクス主義入門』(外山著)の簡略版を読み、『近代』の成立からソ連崩壊までの歴史をマルクス主義を中心に理解した。
高校で世界史を勉強した人にとっては半分くらいが復習となるのでマルクス=エンゲルス理論を正確に理解しておけば講義には付いていける。細かい人名と行動はノートに簡潔に書いておいたので後で見返すときに役立った。

その次に読んだのは『中核vs革マル 上』(立花孝)。
これは50年代からの学生運動の歴史を丁寧に追い、その後の70年代前半に両派の壮絶な『内ゲバ』が不可避となった時点までを歴史的事実として淡々と解説する本。
正直に言ってこの本は感想が分かれると思う。

まず一つは、読者がこの本から普遍的な教訓を汲み取ることができるかにかかっている。人間が主体的に他者と共同(・協同・協働)体を作り参加するとき、その運動体は「党派」となる。そのとき「党派が発揮してしまう危うさ」に気づいた読者ならきっとこの本を飽きずに読むことができると思う。そうでなければB級暴力映画となる。

そしてもう一つは、一つ目の点のような話に既に自覚的かどうかにかかっている。人が集まって何かを共に行うこと、すなわちキョウドウ的運動体となることに伴って生まれる強みと弱み、メリット・デメリット、恩恵と害悪について経験的に(理論的に知っているような人は合宿に来ないと思うので除外)知っているかどうか。読者がすでにそれを知っているならこの本は復習本となるが、知らないならばきっと新鮮な発見があるだろう。

さて三冊目の本は『ユートピアの冒険』(笠井潔)。
この本は、全共闘当事者の笠井が、『全共闘』が終わり、その最大の旗印だった「共産主義革命」が全くの失敗に終わった事実と向き合い、『全共闘運動』に対する回顧を、ポストモダン思想、同年代の西側諸国の政治運動、当時までの世界情勢(冷戦終結など)とも絡めて、なぜか小泉今日子似の女子大生との対談という体裁で、書いた本だ。

この本ではやや難解な引用文を読まなければならない所も有るが、全体として分かりやすく笠井の主張が説明されているといってよい。
この本は小泉今日子似の女子大生が変に物知りだったり急に饒舌になることを除けば、笠井なりの『党派性』に対する反省と、それでも共産主義革命を諦めないという強い意志が感じられる、「良本」だと思う。「まつりのあと」に何をすべきか、軽くない絶望の中で必死に考え悩み、その結果、理想に向かって再出発しようとする意志がやはり小泉今日子似の女子大生との会話というナルシスティックな形式を通して伝わってくるのだ。
そして私がそれを感じた時、まるで農作業で汚れた手のような質感に素直に敬服していたことは合宿の思い出の一つだ。

そして最後に読んだ本は『1968年』(絓秀実)。
白状すれば、私の文芸批評に関する前提知識があまりに乏しいのでほぼ読み飛ばしたような所もあった。なぜかといえばこの本は文芸批評の話に入った途端「門外漢お断り」になるからだ。
一応、主張の簡潔な図式と主張同士の論理的関係は把握したがその内容と関係付けが正確かどうか全く分からず、もっと文芸批評に慣れておけば良かったと後悔していたのだが、(外山さんもここは軽く流していたので)少なくとも合宿参加者として初めて読む程度なら流し読みしても大きな間違いではなかったのだと自己弁護しておきたい。

文芸批評の部分を除けば、1970年7月7日の『華青闘告発』を中心に新左翼の歴史と理論の変遷が記述され、そこから現代史を左翼イデオロギーの面から俯瞰するような議論に移る。そして最後には執筆時点(2006年)での絓の思い描く理想的な『党』の在り方が示されて本書は閉じられる。
その内容は是非合宿に参加して確かめてほしいが、一つだけ私が傲慢にも言うとすれば……、すがさん、それは無理ちゃう?

また、外山さんの講義は本当に多方面に渡り、脱線して紹介するエピソードの一つ一つが笑えるので合宿生を飽きさせない。講義内容は政治関係に限らず知らない文化人名と作品名もたくさん出てきて、とても覚えられないと思った私はノートに走り書きしておいて、暇があれば見返してYouTubeで曲を聴いたりネットで調べたりしている。

夜の動画視聴の時間は、私はどれも軽い気持ちで見たが、これも好きなように気持ちを設定して見ればよいと思う。ただしあんまり感受性を高くしているとマスメディアの扇動にやられてしまうので注意(笑)


他の参加者、衣食住、その他

ここまで合宿の本体についてネタバレを避けながら紹介してきた。
合宿参加を考えている人が次に気にするのはもちろん他の参加者や外山さんの人柄、あるいは合宿の衣食住のことだろう。

まず最初に一応了承しておいた方がよいのは他の参加者についてだ。合宿OBOGの話を聞くと参加者たちの人間性(というより社会性)についてはバラつきがあるようだ。幸いにも私が参加した19回の人々は食事係りを務められたOGの方から褒めていただけたが、決して褒められない人間が参加する回もあるようでそれと当たってしまう可能性はあるが、とはいっても大したリスクではない。そもそも9泊10日という短い期間に「詰め込み教育」を受けるので決まった自由時間は少なく、関わりたくない人と関わらないように過ごすことは容易だ。安心してほしい。

また、面白い人や自分と興味関心が近い人もいるだろう。合宿中は不思議な合宿力(ぢから)が働いて人と仲良くなりやすい期間だ。「終わってからラインでも連絡取れるし……」などとやらない理由を探してはいけない。できるだけ多くの人と互いの経験や情報や活動を話し合えば、思わぬ出会いがあるかもしれない。実際私は同期生が作ったサークルに参加させてもらった。

次に外山さんの人柄だが、こちらが最低限の礼を失さなければ外山さんも応えてくれるだろう。むしろ外山さんが予想以上に穏やかな物腰なので最初はこちらの調子が狂うかもしれない。

最後に衣食住について。
衣は自分で持ってくるからよいとして、食は募集の記事にある通り朝はパンか前日のご飯を食べて、昼と夜は食事係の方が大鍋で作れる料理を一品作ってくださるのでそれを全員で食べた。(ちなみに飲酒も自由だがそこらへんは講義に支障が出ない程度にした方がよいかもしれない)
寝床は布団を敷いて、各自が適当に好きな時間に寝るだけだった。遅くまで同期生と話し込む人もいれば、すぐ就寝する人もいた。ちなみにスーパー銭湯に入浴しに行けば、(一台しかない自転車をこがない限りは)就寝時間が1時以降になると思っておいてほしい。

最近の世界と教養合宿

さて、ここまでが合宿の本体部分で、ここからは私が合宿を通じて学んだことが人生でどのように生かされ得るかについてだいぶ壮大な話とともにお送りしたい。

20世紀は近代の盤上

今回私が参加したのはちょうどロシアがウクライナに侵攻し始める前だった。帰ってきて数日経った時に世界を驚かせるニュースが飛び込んできたわけだ。このことについて外山合宿で扱った時代と結びつけながら雑感を述べてみる。

新左翼も旧左翼も、それどころかフランス革命を象徴として始まった近代政治体制は近代的イデオロギーに裏打ちされていた。『20世紀』を悲惨な戦争の世紀にした3つのイデオロギーー自由民主主義・共産主義・ファシズムーはどれも『近代』の子孫で、乱暴に要約すれば、理性を信じる態度はどれも一致した上で、『自由』と『平等』の二つの価値を『自由』ベースに合体させれば自由民主主義になり、『平等』の価値を先鋭的に理想像とすれば共産主義になり、『団結』と『自由』という両立しがたい二つの価値を理性でもって同時に達成すればファシズムとなるのではないだろうか

あくまでイデオロギーの面からみると『20世紀』とは、一次大戦で近代以前の帝国主義が力を失い、それ以降は冷戦終結(=20世紀終結)まで主なイデオロギーが近代の子孫に占められ、その間『最強近代イデオロギー決定戦』をしていたのかもしれない。
冷戦終結とともに戦いの優勝者は自由民主主義陣営となり、その盟主であるアメリカが世界に自由民主主義を輸出する時代に入った。もはや民主制が人類が採りうる最良の体制であり、これ以降イデオロギー闘争は起きない。「大きな物語」が再び語られ出すことはない。「歴史は終わった。」

近代の退潮と21世紀の始まり

……というわけではなかった。
それを最も象徴するのがロシアによるウクライナへの侵攻ではないかと思う。
まず明らかにロシアの言い分には法的な正当性が全くない。
仮に二国間で領土主張が昔から対立していた地域をめぐって全面戦争が始まったなら、最終的に先に宣戦布告した国がどちらであれその正当性の審判は極めて困難だ。事実関係を把握することすら難航し、もし把握できたとしても双方の政治的・軍事的圧力に影響されずに国際機関が判定を下すことは実際には不可能だろう。
しかし今回のロシアのウクライナ侵攻には法的正当性はもちろん、道徳的・倫理的正当性すら見出すことは難しい。そうした侵略行為が大統領プーチンの強い権力によって実行されてしまった。また、プーチン氏はこれまでも南オセチア、チェチェン、クリミアで彼の領土欲を現わしており、その野心は19世紀までの勢いのあった帝国主義とよく重なるように思う。
帝国主義を隠さないのはロシアのプーチンだけではない。中国の習近平もそうだ。最近ではウイグル族への「民族浄化」政策と香港の民主化運動に対する弾圧が話題となったが、そもそもチベット族や他の少数民族に対しても、まさに大航海以降のヨーロッパの帝国主義的野心に似たものをぶつけてきた。

また、このような『反近代』的な勢力は帝国主義的勢力だけではない。その最大勢力はイスラム勢力だろう。その他にも『近代』に恭順しない価値観を共有する集団は小さいものも含めれば世界各地にある(自由民主主義の本場アメリカにもアーミッシュという近代文明を拒絶する集団がいる。インドのヒンドゥー社会の「カースト」も近代と相容れない身分概念だ。)
そしてそれらはアメリカが「世界の警察官」をやめたことに伴って更に勢力を伸ばしつつある。

これらのことを考慮に入れると、ぼんやりとした歴史予想が成り立つ。結論だけ言えばロシアのウクライナ侵攻によって象徴されるように、世界は再び大きなイデオロギー闘争の場に戻ったのではないかということだが。
しかしさらにここで、近代を前期と後期に分けたい。『平等』が大きな価値を認められる前の、『自由』を至上価値とする夜警国家的な在り方を前期近代国家と呼び、それ以後の『自由』と『平等』が均衡し『団結』が大きく後退した結果生まれた福祉国家的な在り方を後期近代国家と呼ぶとすると、これからの世界のイデオロギー闘争の構図が分かりやすくなるのではないか。
つまり、21世紀の世界の「大きな歴史」は、アメリカを代表とする前期近代と、ヨーロッパ大陸・EUを中心とする後期近代と、中露などによる帝国主義と、イスラム教を筆頭に各地の根強い宗教や信仰が、それぞれの正しさを掲げて争いを続けるのではないか。ということだ。

政治の季節

これはまさに、『政治の季節』だ。
『68年』以来の政治のうねりがすぐそこまで来ているように思えてしまう。気のせいではないと思う。
そして日本も他人ごとではない。日本も同様に政治の季節が近づきつつあり、その原因を二つ挙げたい。
一つは、世界のイデオロギー闘争に巻き込まれるからだ。ロシアがウクライナに侵攻したことを中国は非難せずに注視している。もちろん中国指導部は「隙あらば台湾」を狙っているわけだが、仮に台湾併合に成功したとしても領土的野心がそこで満足する可能性は非常に低い。南シナ海、東シナ海及び沖縄を狙っていることは明らかだろう。
そこで日本の方針が問われる。果たして中国に従い堪え難きを堪えるのか、開戦を覚悟し突っぱねるのか。そのとき戦後民主主義というイデオロギーが見直されるかもしれない。

もう一つは日本国の扶養システムが遠くない将来に限界を迎えるからだ。
特に何も生産しない(するつもりがないか、できない)老人が大勢いて、その人たちが十分に衣食住を手に入れ、困ったときは遠慮なく医療を頼り、さらに老いれば不足ない介護を受けられるようにするためには、それを支えるモノとヒトが大量に必要だが、やがて日本にはそれをするだけの生産力が無くなっていく。なぜならモノは元から乏しいうえに生産するヒトが減っていくからだ。特に労働集約型産業である介護は深刻になるだろう。
そこで日本の福祉政策は転換せざるを得なくなるわけだが、当然そこには政治的な思想の転換が伴っている。なぜなら政治とは希少性のある価値をどう配分するかという決定と実行のことに他ならないからだ。

以上のように、21世紀のイデオロギー闘争に日本も無縁ではない。
これからは、たいていの人がたまには政治のことを考えざるを得なくなる時代が来るだろう。
このような『政治の季節』に向かって令和の大学生は生きており、そのことを各自の政治的立場あるいは政治的立場如何に拘らず自覚すべきと私はお節介にも思っている。

そしてこのような季節に入るにあたって役に立つものがある。
そう、外山合宿だ。

外山合宿で学べるのは表面的な新左翼運動史だけではない。直近にあった政治の季節に先人たちが何をしたのか、何がどう成功し、何がどう失敗し、後世にどのような影響を与えたのか……。これからの激動の時代だからこそ役に立つ教訓がくみ取れる本当に実り多い合宿であるはずだ。迷っている人は是非行ってほしい。


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