異世界判例万選
はしがき
前回の版から64年が経った。この間、新たな判例が続き更新の必要に迫られていたことから、この第392版を出版する運びとなった。新たに収録された判例は5772番の「傷害罪か窃盗罪か」をはじめとして各法分野にいくつもある。
編集方針は従来と同じく、「事案の概要」を始めに置き、次に「判旨」、最後に「解説」を配置し初学者でも分かりやすいように工夫した。
わがエルフ連合の法(解釈)学では長い年月の中で積み重ねられ、時には廃された判例の数々が極めて重要であるのは言うまでもない。諸外国からは「判例偏重主義」との批判もあるが、私見を言えば、判例を重視する姿勢はエルフに漂う時間感覚に由来しており、エルフに最も適した考え方であると言える。
そのような地位をもつ判例の編纂に携わることができたのは編者にとってこれ以上ない幸福と言える。改めて共同編集者の※※氏はじめ、執筆・編集に協力いただいたすべての皆様と、なによりも読者の皆様に深く感謝を申し上げたい。
32488年149日
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1.エルフの始期(エルフ連合上審エルフ暦30023・421)
事案の概要
エルフの現在の生殖方法は、親となる者(人数は問わない)のマナを等量だけ詰めた特殊な容器を世界樹の根に刺し込み、約600日後に保護膜につつまれて枝からゆっくりと落ちてくる子のマナの性質を鑑定することで親を判別するというものである。
エルフAとエルフBは30021年94日に子を作るためのマナ容器を世界樹の幹に差し込み、その512日後に枝に樹子(落下する前の、世界樹とつながった子をいう。)が結実し、596日後に子Cは世界樹の枝から落下し、597日後に地面に到着し、598日後に保護膜から取り出されAとBの子であることが確認された。しかし結実から3日後にAは戦争で死亡し、落下が始まった後から地面に到着する前までにBは事故により死亡している。
AとBが同居していた住所の最小自治政府(独立して権力を有する最小の自治体をいう。)の長Xは一般私法第1287条に基づいて、Bの財産を相続しようとしたが、子Cの法定代理人である子の祖父Dは、Bの死亡時にすでにCは出生していたとしてCの相続権の確認を求め提訴したのが本件訴訟である。
同法第3条は「エルフの法的能力は出生に始まる。」と定め、同法第1287条は「相続人がないときは、被相続人の住所の最小自治政府の長がこれを相続する。」と定めているので、子Cの他に相続人となりうる者がいない本件は、「出生」の時期によって決することとなる。
Dは出生の時期を世界樹から離れた時点である旨を主張し、Xは保護膜から取り出された時点である旨を主張した。
下級審のコモタミム地区裁判所は、「樹子と出生したエルフの境界はもっぱら世界樹との身体的関係及びマナ的関係によって決定すべきであり、世界樹とのマナの交わりの程度について樹子は落子(落下中の子をいう。)より極めて大きいこと、樹子は世界樹から離れた子と違い身体の生育に世界樹の影響を直接受けていること、樹子である間は物理的又はマナ的な力に対する耐性が世界樹とほぼ同じであるが、落下し始めてから落下する間に徐々に落ちていき保護膜から取り出される時点では落下前の1割ほどの耐性しか残っていないこと等から、世界樹から離れた時点で世界樹と子の関係に質的に大きく不可逆な変化があるというべきであるから、エルフの出生は落下に始まると解するのが相当である」としてDの請求を認容した。Xが控訴。
判旨
控訴棄却。
「エルフは、種族の誕生から個のエルフの出生及び死亡に至るまで常に世界樹とつながりをもつ種族であり、数億年前に世界樹からその力をごく一部受け継ぐ形で出現し現在に至るまで、すべて個々のエルフは出生した時の身体を世界樹から与えられ、マナ的に世界樹と常に強いつながりがある。……先述したこれらの理由により、エルフの始期をもっぱら世界樹との身体的関係及びマナ的関係によって決定すべきとした原審判断は是認することができる。」
「樹子と落子を比較すれば、世界樹とのマナの交わりの程度、身体の生育に受ける影響、世界樹から与えられる物理的又はマナ的な力に対する耐性等が大きく不可逆に変化することが判明している。樹子から落子になるに際して、世界樹の一部から物理的に切り離され、世界樹から強い影響を受けつつも個々のエルフ独自の生命を形成し始めることが認められるため、出生の時期を落下の開始時点とした原審の判断は正当である。」旨を判示した。
解説
エルフ連合一般私法第3条は「エルフの法的能力は出生に始まる。」として、出生によりエルフが法的なエルフとなることを定めているが、この出生の時期については従来から争いがあった。
古い判例や学説では、エルフは世界樹の一部であり、世界樹に出生がないことと同様にエルフに出生はなく、そのため本質的に個々のエルフに違いはなく、法律上のエルフの「出生」はエルフ同士で便宜的に識別するための目印に過ぎないから、「出生」は子を保護膜から取り出した後、マナを鑑定し親を判定し終えた時点とする説が有力であった。(便宜説)
しかしその後、個々のエルフが独自のマナを身体の一部に形成することが発見されるなどの事情により便宜説は支持を失った。
その後支配的となったのが新便宜説であり、これは便宜説が事実を誤認していた点を修正しつつも、改めてエルフと世界樹とのつながりを強調し、個々のエルフの差異は「無視できるほどに小さい」としたうえで、「出生」はあくまで、きわめて小さな差異を区切りにしなければ現実のエルフ社会に不都合が生じるためにエルフ自身が設けた基準にすぎないとする説である。
新便宜説は長らく通説とされていたが、エルフと世界樹の関係について科学的な知見が深まるにつれて批判が多くなり、新たな説を提唱する動きが活発になった。下級審を含めた裁判例でも、必ずしも新便宜説に則っていないとみられるものが出されており、本件はこのような経過において上審が新たな判断を示すのではないかと注目された。
本判決は、エルフと世界樹の間に観測される事実を基に、エルフは世界樹と完全に一体ではなく無視できない違いがあるとする分離説を基本的な立場とし、分離説の中でも樹子が落子に変わるに際して不可逆な変化が起こる時点を出生の時期とする落下分離説の立場をとったものとみられる。
他方で本件被告が主張した保護膜分離説の立場はとらなかった。保護膜分離説は、保護膜までは世界樹の直接の恩恵が及んでおり、実際に子の生命維持機能は保護膜から取り出されるまでは動いておらず、保護膜から取り出されて初めて子は自律的に呼吸やマナの循環を始めることを理由として保護膜から取り出された時点を出生の時期と解する説である。
この説に対しては、落下分離説の立場から①自律的な生命維持を基準にしているが、そもそもエルフは世界樹とのマナの関係が切れると3週間ほどで死に至るから、保護膜から取り出された後に自律的な生命維持が行われているというのは都合の悪い事実を無視した見解である、②保護膜に世界樹の直接の影響が及んでいるというが、実際には保護膜は経時劣化し1年ほどで子を保護する機能を失うので世界樹の影響は間接的なものにとどまる、などの批判が加えられている。
下審のコモタミム地区判決ではこれらの批判点が挙げられていたが、上審はこれに直接言及していない。
本判決によって、エルフの出生の時期すなわちエルフの始期についての争いは、少なくとも実務上一応の決着がつくとみられている。
ただし、あくまでも当事者の対審構造の中で出された判決である点に注意しなければならない。落下分離説と保護膜分離説の他にも、出生時期を結実の時点とする結実分離説、地面に落ちた時点とする着地分離説も少数であるが有力に唱えられている。
また、上審は下審が挙げた保護膜分離説に対する批判点を少なくとも明示的には是認していないので、両説の厳密な比較・検討は「回避」し、現時点での両説の支持者それぞれに共通する見解だけを材料に判断したとみることもできる。したがって今後の裁判例にも注目しなければならない。
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