【しあわせなお産】自然出産に向けてメンタルを整える
今回の妊娠期間で意識したことは、産む力をつけること。
安産のためにメンタル面とフィジカル面の両方を考え直し、日常をどう過ごし、お産に向けて体をケアしていったのかをシェアしていきます。
今回の記事は、お産に対して持つイメージを書き換えたお話し。
出産レポはこちらから。
お産に向けてメンタルを整える
私たちが持つお産のイメージ
出産・お産と聞いたとき、どんなイメージが浮かびますか?
色々なイメージが浮かぶ中、私の中でいちばん色濃く出てきたのは、「陣痛の痛み」でした。
第二子出産に向けて、聞いたことのある「オーガズミックバース」「気持ちのいいお産」のワードは調べてみてもそれがどういうものなのかよくわかりませんでした。だって第一子出産のとき、助産所に向かう車の助手席で陣痛の痛みにのたうち回っていたから。
痛みのないお産をしたことのある人をちゃんと知らないし、あの痛みを感じないなんてよっぽど痛みに強い人だろうと。
でもある時、もしかするとお産は痛いということ自体、私が作り上げている幻想かもしれない、と思うようになりました。
それからすぐに、アナスタシアにお産の痛みについての一節を見つけます。
お産の初期設定を書き換える
ヨガや自然から学ぶことを日々の体験を通して落とし込んでいく癖がついているので、この一節を見つけてからは、お産に対しての実験欲がむくむくと湧いてきました。
お産に対する痛みが私の作り上げる幻想だとして、その幻想を壊し、痛くないしあわせなお産のイメージを植え付けたらどうなるのだろう。
初期設定の書き換えの始まりです。
私がお産に対して持っているイメージ「陣痛の痛み」は、他の人からすると全く持っていないものかもしれない。日本食と言われて思い浮かべるものが人によって違うように、お産のそれも様々だろう。
それならば、痛くないお産を自分の持っているイメージ=初期設定にしよう。
私の場合、映像を観ているかのように頭の中でビジュアライズしてイメージをつくりあげて初期設定をしていきます。
リアルさが大切なので、場所や人、環境などを細かく設定し、つくりあげた映像を何度も頭の中で流していきます。
でも実際にお産のシーンになったとき、どうしても第一子出産のときに経験した陣痛の痛みがチラッと一瞬現れてくる。その度にアナスタシアの一節を読み返し、お産のイメージを上書きしていきます。
書き換えようとしている痛くないお産のイメージが経験と相反するものなので、しっくりとする感覚がないまま書き換えができたのか否かわからないものの、大きくなっていくお腹。
痛みはもうどうでもいいや。
何よりもお腹の子が無事に、そして安心して産まれてくることがいちばん。
と、痛みの意識から解放され、お腹の子へ100%意識を向けるフェーズが突然やってきました。いま考えると、この時点で初期設定の書き換えが完了したのだと思います。
しあわせなお産をイメージする
お腹の子へ意識を向ける準備ができた後に出会った、しあわせなお産のイメージをビジュアライズするのに助けになったのが、先ほど引用したアナスタシアの一節。
「創造主は愛する我が子である人間に出産の痛みを伴わせることなど考えもしなかった。」
「出産時に次々ともたらされるのは快楽やよろこびの感覚であり、痛みではない。」
「人間が誕生するプロセスは、よろこびにあふれ、心地いいものであるはず。」
この一節は妊娠期間中に何度も繰り返し読み、一緒にお産に挑んでもらうパートナーにも読んでもらいました。
実際のお産はどうだったのか
経産婦でも「痛かったけどお腹の子も頑張っていると思ったら頑張れた」という話しも聞いたことがありましたが、第一子出産の時はそんなことを思う余裕すらありませんでした。
今回のお産では、痛みがあるかないかでいうと、痛みはありました。が、第一子のときとは痛みの質が全く異なりました。
痛みに我を忘れ、助手席でのたうち回り、前を走る車に「遅い!」と暴言を吐き、助産所に着いたら着いたで、「早く出てきて!もう無理!」と口走り、助産師に「そんなこと言わないの!赤ちゃん頑張ってるのよ!」と怒られる有様だった前回。
頭蓋骨を動かしながら狭い産道を通ってくる赤ちゃんの方が苦しいに決まっているのに、自分の痛みしか見えていない。
妊娠期間中あれだけお腹の子に声かけていたのは何だったの!?というくらい、未熟さが溢れ出していました。
それに比べると今回はかなり上出来。
陣痛の波がくる。「痛い!」と声に出して、痛みを認める。
「はあー」と声に出しながら息を吐き、痛みを体から出す。
次の吸う息で、お腹の赤ちゃんに酸素を届けるイメージをする。
2と3を繰り返す。
痛いと声に出しているものの、出した時点ですでに手放している。(手放すために声に出しているというのもある)次の呼吸からは、赤ちゃんに全集中。一瞬でも痛みに意識を向けそうになったときは、アナスタシアのよろこびに満ち溢れたお産の一節を思い出す。
アスリートがイメトレするかのように、妊婦もイメトレ
いちばんに重きを置いていた「お腹の子が無事に安心して産まれてくること」は達成されていました。
そして、痛みを無くすことよりも
痛みに向き合い、それを認め、それでも尚更お腹の子へと意識を向け続けること。
前回できなかったけど、やりたかったこと。
大切にしたかったこと。
それが実現されていたのだなと思います。
そして、第二子のお産を一言で言うと
とても楽しいお産だった!また産みたい!
この気持ち自体が、わたしにとってのオーガズミックバース。
気持ちのいいお産なのかな、と思っています。
妊娠期間中いちばん時間をかけて繰り返し行っていた、お産のイメージづくり、初期設定の書き換え。アスリートがイメトレをするかのように、妊婦もお産のイメトレ。何度も繰り返しお産のイメージをしたからこそ、自分で産む意識がより強くなり、安産に繋がったのかもしれません。