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【しあわせなお産】日々の暮らしの中にあるお産〜第二子出産レポ〜
第一子のお産から5年半が経ち、迎えた第二子のお産。
今回は、産後うつと産後クライシスを乗り越え、家族としての絆が深まった私たちの第二子お産の体験談をシェアさせてもらいます。
(お産に向けて整えていたメンタルとフィジカルのことは、また別で記事を書こうと思います。)
第一子のお産振り返り
全てが初めてだった5年前。
夜中に来たお腹の違和感や重い生理痛のような痛みが何を意味するのかもわからず、この違和感はなんだろうと思いながらも、夜中に電話してお産じゃなかったら迷惑かなと助産所に電話するのもためらい、痛みも弱いし眠いしでうとうとしながら朝まで過ごした。
早朝、これは普通じゃないとようやく気付き、助産所へ向かう車の中で本陣痛。助手席で転げながら助産所に着いて30分ほどで産まれるというスピード出産だった。
痛みに我を失いながら、何がなんだかわからない間に「スルスルスポーンと産まれてきてね」と妊娠中何度も話しかけていた通りに産まれてきてくれた第一子。
第二子の妊娠経過
貧血はあるけれど、ほとんど順調に過ごしていた妊娠期間。
8ヶ月のとき、第一子の時と同様に子宮頸管が2.5cmで切迫早産気味と診断された。
体の様子をよく観察しながら、腹帯とトコちゃんベルトを巻いて切迫早産に効きそうな体操をして迎えた9ヶ月の検診。子宮頸管の長さが変わらずに、無事に切迫早産を乗り切ることができたことに家族で安堵した。
前回の経験があるので、今回は「スルスルスポーン」とは言わずに、「自分のタイミングで産まれてきてね」とお腹の子に話しかけ続けた。
ヨガを毎日続けているおかげで体の微妙な変化に敏感になり、ここ数年内省を何度も繰り返して、自分の直感を信じることができるようにもなっていた。
お産当日
とても雪の降った日の朝、今日産まれそうな予感がした。
でも、午前じゃない。たぶん夕方以降。
産まれた後は家族にコミットしてもらうため、パートナーに午前は産まれないからと午前いっぱい滑ってきてもらう。
宿のマネージャーとしてお産の当日も働いていたので、お客様対応や宿業務を進めながらも、いつも以上に体へ意識を向けて、助産所へ行く準備もしていく。
おむすびを結び、梅生番茶とフルーツをカゴに詰めていく。事前に準備していた助産所で過ごすための荷物は車へ。ソワソワしながらも、ああ今日なんだなあと不思議な感覚。
午後になり痛みのある前駆陣痛が来始め、タイマーで陣痛の間隔を測る。
スノーボードで骨折し、緊急帰国することになった宿泊客のオージーの対応をする間に、徐々に強く、短い間隔になってくる陣痛。
いま助産所に行った方がいい!と感じたタイミングで助産所に電話。
助産所までは車で1時間かかるので、その間も陣痛の波を味わう。
お腹の子へと意識を向けると、小さく丸まりながら陣痛のタイミングで産道を押し広げながらくるんと回転して通ろうとしているのを感じる。
助産所へ着く頃には陣痛の間隔がまた長くなり、1時間ほど過ごしているうちに吐き気を伴うさっきよりも強い陣痛の波が押し寄せてきたのと同時に、外に夕食を食べに行っていたパートナーが戻ってきた。
「はーっ」と自然と声を出しながら、全身で息を吐き出す。
自然と体勢は四つん這いに。助産師さんが体を支えやすいようにクッションをセットしてくれる。
気付くと、娘は助産師さんの隣を陣取り、お産の進行を好奇心のある真剣な眼差しでずっと見つめている。
パートナーは手を握り、私の体を支えながら、お腹の子へと意識を向ける。
私は陣痛の波が来たとき、最初の吸う息で痛みに向き合い、吐く息で痛みを手放し、次の呼吸からはお腹の子へと意識を向ける。
ただそれをひたすらに繰り返す。
そして、いきみたくなり何度かのいきみを経て頭が出て、どぅるんと体が出てきたのを感じた。
産まれてきた子を胸にだき、ただただ溢れる感謝。
無事に産まれてきてくれて、お産を一緒に乗り越えてくれて、本当にありがとう。
お産の3時間前まで働き、日々の変わらない暮らしの中に産まれてきてくれた子。その全てを支えてくれた家族と、切迫早産気味との診断から宿の仕事をヘルプしてくれた友人たち。
尊い命の誕生の瞬間と、夢のような妊娠期間を支えてくれて、本当にありがとう。