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「南総里見八犬伝、後半が退屈問題」について、実際に読んで感じたことを書く
『南総里見八犬伝』が話題になっている。
『南総里見八犬伝』あまりにも長期連載すぎて(連載期間28年、全98巻、総計106冊)完全版の現代語訳がいまだにないんだけど、頑張って原本を読んだ人が口を揃えて「あまりに引き伸ばしすぎて後半味がしない」「ジャンプの引き伸ばし展開より酷い」「今出てる総集編が一番おもろい」言ってるの元気出る
— 平野レミゼラブル@C104日曜東C20a (@28kawashima) September 12, 2024
これを見てうなずいた。そのとおり。
実は、『南総里見八犬伝』を1か月ちょっと前に読み終わったところだ。
読み始めは2月なので、およそ半年もかかったことになる。
ようやく最終巻まできた! pic.twitter.com/vAebgIJHRu
— あわうみ (@awaumi_s) July 13, 2024
つまり、「里見八犬伝の後半」を最後に読んだのは、僕なんじゃないか。
それならば、後半について「実際にどう思ったか」を一番書けるのは僕、ということになる。
それならばと筆をとった。
言いたいことは一つだ。
『南総里見八犬伝』の後半はたしかに退屈だが、それでも読む価値はある作品だ。
それでは、後半が始まり揺れ動く心をお楽しみください。
(注:本記事には『南総里見八犬伝』のネタバレが含まれています。)
「後半」の始まり
さて、今回読んだのは「岩波文庫」の南総里見八犬伝だ。
岩波文庫版は全10巻に分かれている。内容は旧仮名遣いそのまま、注釈もほとんどなしのハードボイルドなつくりだ。
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後半が始まるのは、全10巻中の7巻だ。
7巻では、八犬士(メインの8人)がようやく集う。今までは復讐を優先したり捕まったり人助けしたりして合流できなかった彼らがようやく集い、物語は最高の盛り上がりを見せ始めた。
Jポップでいえば、間奏が終わりいよいよラスサビに向けて歌いだすところだ。
今までさんざん苦しみながらも、それぞれが持ち前の武力と知力で切り開いてきた。
そんな彼らが集まったらもう敵なしだ。これは、いわゆる「俺TUEEE」ってやつが始まるのでは!
後半の盛り上がり
期待を裏切らず、次の敵が現れる。彼らが集まった「安房の国」に対し、敵はその周りの国の連合軍だ。
まさに絶体絶命のピンチだ。さあ、いよいよ八犬士の本領が発揮されるのだ。
さあ、見せてくれその実力を!
そして、彼らの逆転が始まる。
始まるのだが。
その戦いのシーンが、長いのだ。
具体的には、文庫本3冊分も続く。
イメージしてほしい。文庫本3冊分「俺TEEE」な展開が続くライトノベルを。
Jポップでいうと、最後のサビが始まったと思ったらそのサビが5分ずっと続くような状況が始まっている。
単調に感じる理由はそれだけではない。
主役である八犬士には「完璧超人すぎて個性がない」という問題がある。
8人のキャラをおおざっぱに分類すると、
神童な末っ子(犬江親兵衛)
血の気が多すぎ(犬山道節)
超優秀な青年(残りの6人)
となる。
彼らはそれぞれに陣を張り活躍していくのだが、彼らの個性がないばかりに同じようなシーンを繰り返して見ているようなことになる。
彼らはひたすら勝利を突き進んでいく。道節がたまに勇み足を踏んで7人に止められるのが唯一の面白みだ。
もったいない。物語の前半では、犬塚信乃と犬川荘助が二人で八犬士の証である珠を見せ合い、「互いの秘密だよ」と約束し表立っては仲悪く見せるシーンがある。
そんなてぇてぇシーンがあるのに、ほかの八犬士と合流してからは二人の友情エピソードがないんですよ。どういうことですか作者の馬琴さん。
僕が書くなら、合流したあとに「仲間が増えた嬉しさ」と「互いに一緒にいる時間が減るさみしさ」の板挟みでモヤモヤして一人足をじたばたさせるシーンを入れますけどどうですか作者の馬琴さん。
ようやくの終わり
さて、こうして10巻の半分まで使いようやく戦いは終わる。10巻の343ページで、ようやく本編が完結した。
目が滑って進まない僕と本との戦いもようやく終わった。
面白かったけど、やはり最後は退屈だったな。
それが嘘偽りのない感想だった。
この時点では、だ。
なんとか読み終われた疲れと「もう読まなくてすむ」という余韻とともにページを閉じようとして、
その手が止まった。
ページがまだ続いている。
「解説」があった。
この解説が、まさかの「爆弾」だった。
容赦のなさすぎる解説
そこに書かれていたのは、作者曲亭馬琴の人生だった。
「28年間もかけて完成させた」
「失明しても口述筆記で書き続けた」
この28年間のエネルギーを受け取った今ならわかる。彼がどんなに情熱をかけてこれを作ったのかを。
ただ、ちょっと心に使えるものがあった。それならば後半もう少し面白く書いてほしかったな、と。
そう思いながら解説をめくると――
「本の人気に引きずられて無理やり引き伸ばしたのではないか」
「八犬士が集まったところが物語の終結で、残りは切り離すのがいいのではないか」
「戦記のシーンがまるでなってない」
「八犬士はみんな思慮分別があって人間味がない」
思っていたモヤモヤした部分がすべてここにあった。
ちょうど僕もそう思っていたところだよ。
ただ、あまりにストレートでちょっと馬琴がかわいそうになってきた。
解説の勢いはもう止まらない。
今度は馬琴の人となりを取り上げ始めた。
「馬琴ほど嫌われている人は少ない」
「重箱の隅をほじくり小理屈を並べる気難し屋」
「世辞も愛嬌もないブッキラ棒な男」
やめてあげて。馬琴のライフはもう0よ。
200年前に生きていた人なのに、現代にしてここまで言われる馬琴、いったいどんな危険人物だったんだ。
今、後半への苦情が、「馬琴かわいそう」の思いで上書きされた。
名作だった
解説が終わり、今度こそ本を閉じる。
最後に残ったのは、読み終わった達成感よりも、南総里見八犬伝という作品への興味だった。
南総里見八犬伝が名作なのは間違いない。
FFに出てくる刀「村雨」は八犬士の刀がネタ元だ。それ以外も、8つの宝珠を集める展開や、引きの強い場面で章を終わらせる手法など今の日本のエンタメと被るところが無数にあった。
八犬伝は今でも日本のエンタメを引っ張っている。10月には映画が公開される。
ソシャゲの「Fate/Grand Order」や「モンスターストライク」では、八犬伝をモチーフにしたイベントが行われている。
また、来年の大河ドラマ「べらぼう」には曲亭馬琴も出てくるという。
そんな八犬伝全体の魅力の前では、後半の退屈さなど本の一要素にすぎない。
それが、今回の文章で一番伝えたかったことだ。
少しでも興味があれば、ぜひ手に取って全部読んでみてほし――
いや、やっぱり全部読むのをオススメはできないか。
もし興味があれば、チャレンジしてみる価値はありますよ。