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『ムーンダスト・フレア』

《登場人物》
佐伯詩織(さえき しおり)
滝川由菜(たきがわ ゆな)


○車の中


滝川「あまり運転上手じゃないので、ごめんなさい」

佐伯「代わります?」

滝川「いえ。佐伯さんも運転苦手そうだし」

佐伯「ご明察。免許証なんて身分を証明するためにしか使ってない」

滝川「いつも藤乃さんに運転させてたんですか?」

佐伯「私たちほとんど遠出しなかった。仕事で東京を離れられなくて」

滝川「私は沖縄行きましたよ? 藤乃さんと」

佐伯「へえ…。暑いの嫌がりそうだけど」

滝川「藤乃さんが行こうって言ったんです」

佐伯「(独り言のように)日焼け気にする人だったのになあ。一度一緒に海に行ったことがあって。帰ってきて、ずっと怒ってた」

滝川「私と一緒の時は、そんなことなかったですよ。終始楽しそうでした」

佐伯「だとしたら、あなたは藤乃を変えたのかもね」

滝川「さあ。私は、私の目線から見た藤乃さんしか知りませんから」

佐伯「そりゃそうだ。…あ、火、持ってる?」

滝川「車内禁煙です」

佐伯「はーい。……藤乃、タバコもやめたんだ」

滝川「出発します」


佐伯 私、佐伯詩織の隣で運転する滝川由菜は、私の元カノ「御崎藤乃」の恋人。今日初対面の私たちは今、同じ車の中にいる。


佐伯・滝川「ムーンダスト・フレア」


○回想・佐伯の家


佐伯 事の経緯は、すこし前に遡る。朝の八時。甲高いインターフォンの音で、私は目を覚ました。目をこすりながら、重い足取りで玄関へ向かう。

この時間にインターフォンが鳴るのは、午前中指定の宅配便くらいだ。定期便のヘアオイルかな?とドアを開けたところ、その女はいた。

長袖のプレーンな白のブラウスと黒のスラックス。垣間見える真綿のような雪肌。針金のように細い手足。暗がりの中遠くで見たら、亡霊か何かと見間違うシルエットを持つ彼女には、およそ生気を感じない。

しかしその切れ長の瞳から、私を刺すような凄みが伝わってくる。

滝川「朝早くにすみません。佐伯さん、ですよね?」

佐伯「はい、そうですが…。何か…」

滝川「私、滝川と申します。前にあなたが付き合っていた藤乃さんの彼女です」

佐伯「…藤乃って、あの?」

滝川「御崎藤乃さんです」

佐伯 御崎藤乃、という音の響きが、私の心臓をぎゅっと鷲掴みにする。まさかその名前を再び聴く日がくるなんて。今日はもうおだやかに過ごせそうにない。

滝川「藤乃さんの近況は知っていますか?」 

佐伯「何年も会ってないし、連絡も取っていないので…」

滝川「では、なにもご存じないんですね」

佐伯「突然、家を出て行っちゃってから…。電話も繋がらないし、メールも返信がなくて。でも、あなたと一緒だったんですね。生きてて良かった」

滝川「死にましたよ」

佐伯「え?…は?」

滝川「藤乃さんは、死にました。去年です」

佐伯「いや、嘘でしょ?」

滝川「私が出張中にいなくなって、山奥で見つかりました。おそらく自殺、と言われてます」

佐伯「じさつ…?……は、は、は……ははは……。それは……。あー……そっか」

佐伯 全く見ず知らずの人の言葉を信じてしまうのは、藤乃がいつ死んでもおかしくない儚さを持っていたからだろうか。いや、私の目の前からいなくなった時点で、彼女はもうずっと死んでいた気がする。それでも突き付けられた事実は重く、萎んだ風船みたいに身体から力が抜けて、その場にへたり込んでしまった。

佐伯「……それを伝えに? わざわざ?」

滝川「…これからお墓参りに行こうと思うんですが。よければ、ご一緒します?」

佐伯 車の鍵をチラつかせながら、滝川は軽く、でも、私に届く芯のある声でそう言った。亡霊のような見た目をした女が、葬り去った恋人の記憶を蘇らせる。

過去からは、逃れられない。


○回想終わり・車の中


佐伯「よくわかったね、うちの場所」

滝川「遺品整理をしてた時に、あなたの名刺が出てきて。そこから辿りました。退職していたので苦労しましたが」

佐伯「藤乃がいなくなった後、フリーランスになったの。環境変えないと、どうにかなりそうだったから。…五年一緒いたからねえ。あの時は寂しかった」

滝川「今は大丈夫みたいな口ぶりですね」

佐伯「仕事やってたら忘れるよ。昨日も夜中までずっと」

滝川「なんか、佐伯さん…」

佐伯「ん?」

滝川「…被害者ぶってます?」

佐伯「へ?」

滝川「あなたが藤乃さんを捨てたって聞きましたけど?」

佐伯「え! いやいや! 捨てられたとしたら私の方!朝起きたら、突然いなくなってたんだから!書き置きもなく。連絡手段もぜんぶ断ってたし…」

滝川「限界だったそうですよ。私と出会って間もない頃はずっと泣いてました。何をしても振り向いてもらえなかったって」

佐伯「そんな風に言ってたの…?むしろこっちセリフなんだけど。……何考えているかわからないし、心を開いている感じもしない。でも、そばにはいてくれるし、気分が乗るとめちゃくちゃ求めてきて」
滝川「……。その感じ、わからなくもない」

佐伯「でしょ!?藤乃って、不貞腐れると何にも口聞いてくれないし、甘える時は激しいし、ジェットコースターみたいだよね」

滝川「私の藤乃さんの印象は物静かで優しくて、でもベッドでは衝動的で激しかった。付き合ってからは、情緒は落ち着いてましたよ」

佐伯「……そーなんだ。想像できないな」

滝川「佐伯さんが、藤乃さんをおかしくしたんですよ。やっぱり」

佐伯「死人に口無しだからって、都合よく解釈しないでくれる?」

滝川「彼女を傷つけたのは事実だと思います」

佐伯「まるであなたは傷つけてないって物言いだね。……藤乃の最後の恋人は滝川さんなんでしょ?あなたと一緒にいて、藤乃は死んだ」

滝川「……怒りますよ?」

佐伯「もう怒ってるじゃん」

滝川「……」

佐伯「滝川さん、私をサンドバッグ代わりにしにきたの?別にいいけどさ。元カノは悪者になるって相場が決まってるから」

滝川「……」

佐伯「私、藤乃が死んだこと、知らないままでよかった。あの人は過去なの。今は私、別の人生を生きているの。……まあ、好きなだけボコしなさいよ。気が済むまで」

滝川「……(大きなため息)はあああ〜〜〜〜〜〜〜」

佐伯「ちょ、ちょっといきなり止まんないでよ!」

滝川「……降りてください」

佐伯「は? ここで?」

滝川「おりて!」

佐伯「ちょっと、やめてよ!」

滝川「いいから、おりろ!」

佐伯「いーやーだっ!」

滝川「いい加減にして!」

佐伯「それはそっち…」

滝川「こんな不毛な言い合いをするために、あなたに会いにきたわけじゃない!」

佐伯「じゃあ、なんでよ…!」

滝川「……。ちゃんと、傷ついてもらいたくて」

佐伯「……どんな感情」

滝川「……藤乃さんって、全然友達いなかったじゃないですか」

佐伯「まあ、うん」

滝川「彼女が死んでも、誰も思い出を持ってなくて。私この一年、ずっと一人で藤乃さんの死を抱えてたんです。死んだこと伝えた時、佐伯さんが崩れ落ちてくれて。信用できると思ったのに。失望しました…」

佐伯「……なにそれ」

滝川「……」

佐伯「…まあ、私も、ちょっとよくなかった」

滝川「……死んだっていうのに、まだ私、藤乃さんのこと好きなんです。もっと知りたいと思っている。どんなに些細なこと……たとえ、嫌なことでも。……馬鹿ですよね」

佐伯「恋って、感情のバグだからさ。おかしくならなきゃ嘘だよ。あーあ。……滝川さんと話してて思った。私も、藤乃の話がしたかったんだと思う。どうやら…」

滝川「佐伯さん。もうちょっと素直になった方がいいですよ」

佐伯「お互いにね。藤乃にも言われたな。わかりやすいから信じれるけど、でも時にすごく傷つくって」

滝川「私は、優しすぎて本音が見えないって言われました。居心地はいいけど、預けられない…みたいな」

佐伯「何様だ、あの女。自分のこと棚に上げて」

滝川「理不尽ですよね。……けど、抵抗しようがない。好きになっちゃったから」

佐伯「……他人事にしたかったなあ」


○回想モノローグ


・佐伯

特別、恋愛にこだわってきた人生ではなかった。
恋なんかしなくたって人生は楽しい。
仕事も暮らしも順調だった。

藤乃との出会いは、青天の霹靂。
駅のホームで突然、声をかけられて、
その日は仕事で失敗して鬱屈していたのもあって、
つい一緒に夜の街へ飲みに行ったのが運の尽き。

まさか自分が女の人を好きになるなんて思ってなかったし、
こんなに一つの恋を引きずって自分の形を歪められてしまうなんて。
藤乃は、野性的な魅力で、私のことをすぐ女にしてしまった。
   
付き合いたての頃は、自分の感情が許せなかった。
どうしてこんなに会いたいんだろ、気を引きたいんだろ。
連絡が返ってこないと不安なんだろ、
でも、家の扉を開けて待っててくれたら、全部許しちゃうんだろ。

藤乃が突然いなくなって、涙が枯れるまで叫んだ。
自分の感情が洪水のように溢れて止まらなくて、
あなたがいないだけで、
自分の体がこんなに不自由になることを知った。


・滝川

私は来る人を拒まない。
かといって、特に自分からは距離も詰めない。

恋人はずっといた。ひとりは寂しかったから、
なんとなく動物を飼うように、常に人をそばに置いていた。
男でも女でも年上でも年下でも、いろんな人と付き合った。

藤乃さんとの出会いは、青天の霹靂。
一年付き合った恋人とさらっと別れた帰り道、
道端で泣きじゃくる彼女と目があった。

その人の瞳は静かな怒りと色気を秘めていて、
はじめて人を恐ろしいと思った。
  
付き合ってみると藤乃さんは落ち着いていて、
わがままを言うこともなく、いつも微笑んでいた。
けど私は、あの出会った時の瞳が忘れられず、
もう一度あの恐ろしさに触れたくて、躍起になった。
   
追いかければ追いかけるほど、掴めなくて、
取り憑かれたように求めては、優しい虚空に触れて、
その度、自分の奥底に眠る黒い欲を実感した。


・佐伯、滝川

あの取り返しのつかない
憎らしくて愛しい日々が

私たちのすべてであり
色鮮やかな末路だった


○藤乃の墓



佐伯 藤乃の墓は、どこかで見たことのある平凡な形をしていて、それに違和感を覚えつつも、私たちは花を手向ける。


佐伯「……ここに入ってるなんて信じられない」

滝川「這い出てきそう」

佐伯「藤乃ならやりかねん。こんな場所に収まってなさそう」

滝川「わかります」

佐伯「もしさ、もう一度会えたなら、どうする?」

滝川「…………殺してやりたい」

佐伯「なにそれ、もう死んでるのに」

滝川「なんか、悔しいので」

佐伯「たしかに。殺したいわ、うん。殺したい」

佐伯「(息を吐いて)ふうーー……。……お腹減った」

滝川「だいぶ時間、過ぎちゃいましたね」

佐伯「……。なんか、食べに行く?」




※2022年7月初出


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