『あなたの足音』
登場人物
本編
リサ「うおっ、真っ暗……おーい。電気、つけるよー」
(電気をつける音)
リサ「……ありゃ、もぬけの殻だ。あたしのほうが先についっちゃったのね……」
リサ 長期休暇を終えて、実家から帰ってきた。はあ、とほんの少しため息をつくと、荷物をほったらかして、ぼすんとベッドにダイブした。仰向けになって、スマホをいじって返事を確認。「今から帰るね!(超絶可愛い猫のスタンプ)」というあたしのメッセージは既読になってない。電源が切れたのか、残業してるのか。何にせよ、もうそろそろ切り上げてきて欲しい。あたしだって、そうしたんだから。
リサ あたし「大鳥リサ」は、現在ルームシェアをしている。不満の種はそのお相手「千羽ハル」のこと。今日帰るって伝えていたのに。女心わかってないなあ。……まあ、その相手も女なんだけどね。
リサ うだうだして、時計見て、またうだうだして、時計見てを繰り返す。段々飽きて来て、いつのまにか、眠りの世界へ落ちて行く。
リサ 目を閉じてたってわかる。あなたの足音。玄関で待ってる時、駅のホームで待ってる時、カフェで待ってる時、たくさん聞いた軽やかなスタッカート。そして今も、その音が聞こえてくるのを待っている。
♢
ハル「おーい……ちょっと……おーい!」
リサ「そんな大きな声ださなくても、聞こえてるよ。ハルちゃん」
ハル「水。やりすぎだって」
リサ「え?あっ、ああああ! なんで! いつのまに」
ハル「大鳥さんがやったんでしょ。ぼーっとし過ぎだよ」
リサ「まあでも、水分は多い方が、植物たちも元気になるでしょう?私も、カラカラよりはガブ飲みしたい派だし」
ハル「大鳥さんの個人的なことは聞いてない。それに水は適量じゃないと、根元から腐っちゃうこともあるんだから」
リサ「え!うそ!」
ハル「土の表面のバランスをよく見て、乾き度をチェックする。何事もバランス感覚が大事なんだよ」
リサ「えー、でも多いに越した事ないじゃないー」
ハル「話、聞いてた?」
リサ「うん、聞いてた。聞いてたー」
ハル 大鳥リサは先月うちの園芸部に入って来た女の子だ。とにかく変わり者で入部した理由も
リサ「食べれる花を育てたいんです!」
ハル だったり、
リサ「あたし、植物のことは何もわからないけど、一生懸命さなら負けません!おりゃりゃりゃりゃりゃ……え? 何をしてるかって?穴掘りです!さあ、植えましょう!」
ハル と奇行に走ったり……。要するに部内屈指のトラブルメーカーだった。たちが悪いのは、本人の瞳には悪気の欠片もなく、いつも純粋な気持ちでハチャメチャをおこすのだ。迷惑にも程がある。
ハル 平穏と草木を愛する園芸部にとって、嵐のごとく現れた彼女。そのお目付役として、私は選ばれた。……厳正なる抽選、あみだくじで。
ハル「私は、ただ、静かに、過ごしたいのに……」
リサ「ハルちゃん? どうしたの、そんなにうなだれて……」
ハル「きづいてよ……」
リサ「?」
ハル 大鳥さんと私の性格は正反対だった。付き合えば付き合う程、水と油のように、混じり合わない。園芸部の活動以外では、極力彼女と接しまいと心がけた。
リサ「ハルちゃん!」
リサ「ハルちゃん」
リサ「ハールちゃーん!」
ハル にもかかわらず彼女は、どこにいっても私の前に現れた。校内のどこにいても彼女は、まるで子犬のごとく付き纏ってくる。私が向かう所には、必ず彼女がいた。そして、 ニコニコと微笑みを浮かべているのである。
リサ「ハルちゃん、一緒に帰ろ」
ハル「いや、私これから塾が……」
リサ「じゃあ塾まで一緒にいこ」
ハル「なぜ」
ハル 彼女の押しに負けてしまう。結局、私が悪いのだ。私が、ノーとさえ言えればいいのだ。弱い自分が、彼女の行動を許してしまっている。私が頭の中をグルグル回している間にも、大鳥さんは楽しそうにあーだーこだしゃべっている。……今日こそ、ちゃんと言わねばなるまい。
リサ「でね、そのお店のケーキがすっごく美味しくて……」
ハル「あのさ……大鳥さん」
リサ「なに?」
ハル「私たち、別に一緒にいる関係でもないでしょう?どうして、いつでもどこでも近づいてくるわけ」
リサ「同じ部活じゃん」
ハル「部活は部活。友達になったわけでもないでしょう」
リサ「違うの?」
ハル「違う」
リサ「そっか……」
ハル 強めに言ったつもりだったが、やはり何も響いていないようで、少し口角を上げて不思議そうな顔をしている。私の中で、イライラのゲージが上がって行く。
ハル「わかったでしょう。なら、もう、私に関わってこないで」
リサ「えー、それとこれとは話が別でしょ?」
ハル「別じゃない! あーもう、ほんと貧乏くじよ、こんなの……。私はね、あなたのお守りを押し付けられたのよ!好きで、構ってたわけじゃないんだから!」
ハル しまった、つい、感情が強く出てしまった。普段ニコニコしている大鳥さんでも、さすがに、これには何か思うことがあるだろう。気まずさと沈黙が流れた後、恐る恐る彼女をみた。その表情は、笑顔のままだった
リサ「知ってたよ。そんなの」
ハル「え?」
リサ「だって、その様子、あたし見てたし」
ハル「見てたって……」
リサ「あのくじ、先輩たちが仕組んでたよ。ハルちゃんになるように」
ハル「え、そんな……」
リサ「でもよかったあ。ハルちゃんで。あたし、こんなんだから、人付き合いも上手くなくて…。すぐ皆んな、いなくなっちゃうの。でもね、ハルちゃんは、愛想尽かさず一緒にいてくれて…。ほんとに、ありがとう」
ハル その言葉は、大鳥さんからの嘘偽りのない感謝の花束のように思えた。それまで彼女に抱いていた気持ちが、やさしく収束していく。
リサ「ねえ、これからは、ハルって呼んでもいい?」
ハル「……まあ、いいけど。あ、周りに迷惑かけないように、しっかりしてくれるなら…。その、困るから」
リサ「……うん!」
リサ 「ハルちゃん」を「ハル」と呼ぶようになったあの日から、あたしたちの距離はぐっと近くなった。どれだけ彼女の前に姿を表しても、ハルは少し困り顔で、笑ってくれた。ハルは学校が終わると塾へ行ってしまう。あたしは、いつのまにか、塾が終わるまで待っているのが日課になっていた。
リサ 思えばあたしは、ハルのことを待っている時間が好きなのかもしれない。最初にあった時も、彼女はあたしの元に駆け寄ってきてくれた。それから、彼女と会う時は、無意識に、待っていたような気がする。
リサ ハルの足音。聞けば、心がゆっくりと水をかき分けて、泳いで行く。この音、ずっと聞いていたいなあ……ずっと……。
♢
ハル「……リサ。リーサー。起きてーほら」
リサ「ん……ああ、ハル。ふふふっ」
ハル「なに気味の悪い笑いしてるのよ」
リサ「えー別に?」
ハル「あんたはまた、脱ぎ散らかして。カゴに入れないと、洗わないよ?」
リサ「わかってるってばー。あとで、入れとくから。……それより、言う事ないの?」
ハル「ああ、駅前でシュークリーム買って来たよ。冷蔵庫に入れてあるから」
リサ「え!ほんと嬉しいー!って、違うでしょ〜!今日も可愛いねリサ!とか、愛してるよリサ!とか、この数日寂しかったよリサ!とか」
ハル「そんなこと言う玉だと思う?」
リサ「はははっ、まあ、ハルはそうよね」
ハル「一年ぶりの実家、どうだった?」
リサ「楽しかったよー」
ハル「妹ちゃん、元気してた?」
リサ「いやーそれが聞いてよー、知らないうちにさ、お姉ちゃんを差し置いて青春しちゃってたのよー」
ハル「お、高校生だねえ」
リサ「しかも誰に似たのか。あたしと同じアウトロー。ほんと、まっとうに成長してほしいものだわ」
ハル「はははっ、まあそうやって色々回り道をして、大人になっていくものですよ」
リサ「深いねえ」
ハル「それなりの年齢ですから」
リサ「……あたし、夢見てたよ」
ハル「どんな?」
リサ「私たちが出会った頃の夢。ハルもあたしも若くてピチピチ」
ハル「ピチピチって」
リサ「あの時はスッピンでいけてたなー。何にも気にしないで、ただ、自分の興味あるものを追いかけてた。なんだか、幸せだったよ」
ハル「そう」
リサ「ずっとこのまま夢の中にいるのも悪くないなあって思ってたの。でもね、足音が聞こえて来たの。いつも聞く音。聞き慣れた音。心地いいなあって思ったら、目の前に大人になったハルがいた。……案外、今も夢の中なのかもね」
ハル「なに言ってるのよ。夢だったら困るわ。リサ、高校生のままってことでしょ?無理無理。もうあの時のリサを相手にする体力は、私にはない」
リサ「そんな殺生なー、付き合ってくれよう」
ハル「はいはい。……過ぎちゃったもんは過ぎちゃったの。そんときに満喫できてたら、それでいいの。考えたり、悩んだり、離れたり、歩み寄ったり。積み重ねて来て、今があるんだから」
ハル「今は、今で……。ほら、素敵でしょう?」
リサ「……うん」
リサ「そういえば、まだ聞いてないよ」
ハル「なに?」
リサ「言い忘れてる」
ハル「あ。……ただいま」
リサ「おかえり」
※2017年1月初出/2023年5月更新