【どまつり】審査員目線は観客投票目線と何が違うのか。
1245文字/このnoteは約3分で読めます。
2018常笑・2019夜宵。ともに「会場観客投票1位。ニコ生1位。なのに準大賞。(!?)」
この2例から、どまつりで観客投票してる人たちの目線と、審査員の目線に差があることが分かります。
このnoteでは、そのちがいは何なのかを考えたい(妄想したい)。
「結局どまつり性でしょ?」
と、いじわるな声が聞こえてきそうです。その指摘はあながちまちがってはいないのですが、このnoteでの主張は、
審査員目線=「初対面」目線。
観客投票目線(の多数派)=「初対面じゃない」目線。
です。
❶まず顔ぶれを把握するところから。
⚠️2019年のファイナルの審査員。録音せずに、メモしたので不正確だったり抜けてる情報あります。敬称略。
1.平岸天神ソーラン踊り保存会会長 中井昭一
2.(株)リクルートジョブズ執行役員
3.日本イベント業界会長、奥野圭、オリエンタルランド
4.三味線本庄流家元(?)、本庄いえただ(?)
5.コミニケーションプロデューサー、竹内正美
6.東京大学名誉教授、伊藤 亜人
7.コスプレサミット実行委員長
8.振付師 三浦享
彼らの価値観が、「名古屋や日本の多数派」と大きくズレてるように私には思えない。毎年3.4人のマーケターばたけの人(素人の目のプロ)が入ってるし、多くの人を巻き込んできた方々ばかりだ。女性が少ないのは気になるけど、選ばれてる方々は納得も納得である。
❷ズレてるのは審査員じゃない。
「会場・ニコ生(の多数派)」の方。YOSAKOIファンの方が名古屋・日本の多数派とズレてるのだ。わるいという意味じゃない。差があるといいたい。そのズレの正体は、演舞するチームへの先入観・期待感の有無だ。
❸期待感をもって見るかどうか
で夜宵2019の見え方が変わる旨はこの記事にも書いた↓
みる側は、「得体の知れない」まま観続けるのはストレスなので、無意識に「何者か」を想像しながらみる。
期待感をもってない人にとって、「得体の知れないまま」はノイズ。
期待感をもってる人にとっては、(そもそも「得体が知れない」と思ってないので)、迫力があれば気にならない。
2018常笑・2019夜宵の審査結果から、審査員は前者である、可能性が高い(と思う。)
また、
「期待感・先入観をもっていない」とは 初対面目線に限りなく近いといえる。
❹実際に審査員たちは「初対面目線」なのか?
つまり「YOSAKOIファンじゃないし」かつ「木金土で一切その年の演舞みずに日曜に初見」をしているのか。
全く取材せずに爆裂妄想をかますと、YESだと思う。
といっても昨年に引き続いての審査員も半数以上いる。そこに「どまつり性」という審査項目を設けることで「初対面目線」を担保している(ように私にはみえる)。
〜まとめ〜
会場・ニコ生の多数派は、名古屋・日本の多数派や審査員とは、ちがう点がある。それは「初対面目線」かどうかだ。
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