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ホメオパシーの構造②

ヨウ素の考察をしていて、どうしても構造論につっこんでしまうので、こちらの続きに書いていきます(ヨウ素の連続記事も、各論の位置づけで書いていますが、周波数や波動、というものについての解説になっているので合わせてどうぞ。)

ホメがなぜ効くのか、を知ることは、人はなぜ病むのかを理解することとほぼ同義なのだけれども、レメディの生成方法はそのまま、人が力を手に入れるために、日々義務感いっぱいに、自分に鞭を打って、やりたくないことに人生のほとんどの時間を使い、その力の果実、で、他の熟れた物語を購入する、という過程そのものの疑似的シミュレーションだったりする。

病という漢字をよく観察してもわかる。病の中には「丙」が入っており、これは甲乙丙、1,2,3 と数える時の3番目の漢字である。この漢字は、法律関係の文書に頻繁に登場するので、見慣れている人は見慣れているだろう。契約当事者のことを「甲は、、、乙は、、丙は、、」といって記述するといえば思い出してもらえるだろうか。

そして、3という数字は、力の世界での象徴的な数字だ。力のセオリーを神格化した、三位一体トリニティのトリは、まさに3である。鳥居も、birdという漢字があてはめられているが、本来は3という数学的な世界観を崇拝するための当て字ではないかとわたしは思っている。
こうなってくると、キリスト教も神道もほぼ同じ何かを愛でているということになってくるわけだ。
3辺で成り立つ三角形のかたちも、建築などの世界からとらえると、非常に力として安定している基本的な形態である。

つまり、この3の法則=力の世界 にあやかりすぎたときの副作用、が病なのである。そう、病は力の副作用、なのだ。

病は嫌だというのはみんなそうだと思うのだが、力にあやかることもまた、みんな望んでいる。だから、安直に癒えるというのはなかなか身勝手な話で、確かに症状は消せるかもしれないが、それをするとまた、その行為の副作用が生じる、ということが延々と続いてしまうわけだ。

で、レメディの作り方である。
ホメオパシーの理論を築いたとされるハーネマンは、当初、何度も何度もたたきつけてレメディを製造する、というところまではやっていなかったのだが、馬車で運んだレメディの効果が高まっていたことから閃き、積極的に、このたたきつけて反復継続させる、ということを取り入れるようになった。

ホメオパシー初心者向けの説明において、レメディは聖書にたたきつけ、祈りをこめながら製造しているので効き目があってありがたいんですよ、みたいな解説がされているが、これは半分正しくて半分は正確じゃないとわたしは思う。

別に、祈りをこめなくてもレメディは作動するからである。
というか、どちらかというと、「日々の暮らしに祈りがこもっていない状態になっている=病 に対して、同じように祈りがこもっておらずがらんどうになっているが、そこに力が充満しているかたち を同じようにぶつけて、同種療法を引き起こす」というところに本質があるからだ。

だが、このからくりをきちんと理解できる、オープンマインドな人はとても少ないのかもしれない、、(この話ここで書いてしまってごめんなさい。)

ところで、レメディをつくるときにものすごい回数叩く、ということを違う言葉で説明すると、筋反射による反復継続、な状態を疑似的に複製しているといういい方ができる。

ヨウ素の話でも触れた、frequencyという言葉には「頻度」という意味があり
まさしく、ものすごい高い「頻度」で、ある情報をたたきつけて刷り込む。
それでできあがったものの頻度が高ければ高いほど、高potency と言われるわけだが、potency とは、ポテンシャルの仲間の言葉で、効能とか能力とかそういった意味合いがある。
だから、高ポーテンシーは波動が高くてなんかありがたい
みたいな話があったはずです。

で、そのメカニズムを丁寧におっかけてみると、
ものすごい数、あるストーリーが、それこそ顕微鏡でみるくらい小さな領域に無数に、数え切れないくらい、そのストーリーの複製のかたちが詰まっているわけだ。

それが、わたしたちのなかにある、古い、刷り込まれた細胞ひとつひとつにしみわたった記憶に作用し、その偽物のかたちが消えることによって、わたしたちの本来さが戻ってくる、そういうことなのだと、思う。

・・・・だけどこれも使いようで
場合によったら、それが大量の偶像注入、みたいな効果にもなりかねない、、

そういうところが、物的なツールのちからを借りながらやることの
難しさだよな、としみじみ思った。
即効性はたしかにあるかもしれないけど、それには裏面もある、、
ストーリーへの敬意がなくても効果がある、、そういうのってわたしは違うと思うのである(ストーリーを伝えたら怒るから秘密にしておくというのもよくあります)。

だからわたしは、ホメオパシーのユーザーであり愛好家だが、信者では、ない。

どちらかというとかなり慎重に、力によって自ら損なってしまった、ストーリーへの敬意を払い、そのイメージにつながりなおす、ということを本体にして、大事にしたい、と思っています。

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